アイラブ桐生・第4部 41~43
京都の代名詞のように言われている加茂川は、
京都の市街地の東半分を、ゆるりと北から南へ流れていきます。
二条大橋の西岸から取り込まれた水の流れは、
高瀬舟でも有名な高瀬川と名前を変えて、
木屋町通りに沿って加茂川と平行に流れています。
この木屋町通りはまた、明治期に日本最初の電車が走ったことでも
知られています。
さらには、近世の歴史の転換期である、幕末と明治維新の時代を
見つめてきたことでも、きわめて有名な通りです。
京都ホテルとなった地には、かつては、長州の藩邸がありました。
三条と四条の間には、土佐の藩邸もあり、
明治維新を戦いぬいた志士たちが、たむろしていた
旅館や料理屋などが数多くあった通りです。
かたや京都の西半分には、二条城や御所があり、
幕府方の縄張りとして公認の島原の遊郭などもあり、新撰組や
幕府方などの遊興の地になっています。
京都は、勤王と佐幕を担う双方が、左右に陣取って幕末から維新の時代に、
日本の行く末をめぐって、日夜にわたって生死をかけて争った町です。
静かなたたずまいを見せる高瀬川の川筋は、
坂本竜馬や中岡慎太郎、桂小五郎たちが歩き、それを追う
近藤勇や沖田総司たちが駆け抜けたという歴史の道にもあたります。
そんな昔に想いを馳せながら、不思議な気持ちのまま、
四条から高瀬川をさかのぼりはじめました。
そして、ちょうどこのあたり、
加茂川と高瀬川にはさまれている界隈が
舞妓さんや芸子さんで有名な、花街のひとつ先斗町です。
この界隈の一帯が、後になってスケッチブックを片手に日々を過ごす
私のホームグランドになりました・・・・
京都に滞在中に、染色の師匠といえた、
京友禅のお千代さんとの出会いを生んでくれたのも、
またこの高瀬川の川べりです。
しかし今の時点では、私はただ、やっとの想いで京都に辿りついただけの、
沖縄からのひとりの「漂流者」にしかすぎません。
作品名:アイラブ桐生・第4部 41~43 作家名:落合順平