安全な戦争
ゴゴゴ、という低いエンジン音が空間を振動させる。
俺は戦車兵専用のバイザーをかぶり、各計器を点検していく。
すべての機器に異常がないことを確認すると、俺は一息ついて、車長席独特の柔らかい座席に身を沈ませた。この車長席に座るまでに、俺は大変な苦労をしてきた。たったこれだけのために死線を潜り抜けたかと思うと、我ながら呆れてくる。
(準備完了)
操縦手が耳の奥にある骨盤に埋め込まれた骨伝導装置を震わせ、連絡を入れてくる。
「了解」
車内は空調が効いているとはいえ、かなり湿っぽい。日本の梅雨の時期もじめじめとした日が続くけど、ここはさらに居心地が悪い。戦車兵の服装は操縦に支障が出ないように袖が短かったり、薄手の動きやすい服になったりするんだけど、それにしても劣悪な環境だ。
戦車の機能の向上ばかりが技術班の仕事だが、もう少し乗り心地というのを考えてほしい。幹部用の装甲車のような居心地をねだるわけではないが、こっちは常時戦いに出ている。だがこれも、立場の違いで割り切らないといけないのかな……。
(二曹)
操縦手の柏木が、さらに無線連絡を入れてくる。
何か不都合が見つかったのかと思い、耳の裏側を少し押し込みながら回線を開く。
「なんだ? 異常か?」
(いえ、違います。俺、これが終わったら日本に帰れるんですよ)
柏木は陸士長だ。確か今期が最後の任官期だったかな?
「そうなのか?」
(ええ。やっと国に帰れるんです)
柏木は今、十五歳の任期制の自衛官だ。陸士長の肩書からもわかるとおり、彼はこれで退官できるようになる。
「よかったな。向こうに帰ったら、高校に進学するのか?」
(ええ、そうです。帰るのが楽しみです)
嬉々とした声で話す柏木は、これからの任務を忘れ、帰った後の楽しみについて語り始めた。
(俺はもともと、東京に住んでたんです。近くにある中学校に進学したかったんですけど、やっぱりかないませんでした。でもこれでやっと願いがかなうんです。こんなに嬉しいことはないですよ)
(うらやましいぞ、この野郎)
砲手の沢村三曹が無線の間に割り込んでくる。彼は任期制ではなく、俺と同じ職業自衛官だ。俺も沢村も日本に帰る手立ては滅多にない長期休暇を利用するしかない。そして、帰国して高校に進学することもだ。
今の日本には、小学校卒業時点で、中学校進級試験に合格しないと自衛軍に徴兵される制度が適用される。それもこれも国際事情が関係しているのだが、俺たちの目線から世界を語ろうとすると、要はテストの点が悪ければ死んで来いと言われるようなものなんだ。
俺たち三人は中学校進級試験に不合格となり、戦場へ来た。ここからさらに三年間の任官期間を経ると、高校進学試験を受ける資格を得る。ここに居る柏木は俺たち特年兵にとっては難関の試験をパスし、日本に帰って高校進学ができる切符を手に入れた。
(帰って女作ったら、絶対に画像つきの連絡をよこせ)
(そんな、いきなり無理ですよ……)
(ああ? 何言ってるんだ、お前は。せっかくの学生ライフを満喫できるっていうのに、何を躊躇しているんだ)
(いやだから、無理ですって。帰還兵なんだから、煙たがれるに決まってますよ)
(ふざけんなよ、お前! 基地にも女はいるが、土埃で薄汚れたやつしかいないだろう。それに比べ、向こうでは何にもむさくるしくない、セーラー服を着たかわいい子ちゃん達がいっぱいいるんだぞ。これをチャンスと見ないでどうする)
沢村は興奮気味だった。まぁ、長年日本に帰っていない身としては、望むべきことだろう。俺だってかわいらしい女子高生とお知り合いにはなりたい。
「じゃあ、命令だ。女を作って報告しろ」
(ええ……)
「ええ、じゃない。上官の命令は絶対だ。だろう、沢村?」
(は、そうであります!)
(うう……。そんなの無理ですよぅ)
「泣き言を言うな。幾度もやばい時を潜り抜けてきただろ? そんなお前が女の一人や二人をはぶらせて、修羅場を潜り抜けないでどうする?」
(なんで俺が軽い男になるんですか)
(お前なら絶対いけるって。髪の毛伸ばして、今時風にアレンジすればコロッといくさ)
(……そうですか?)
(そうとも。俺がいろいろとアドバイスしてやるから、定期的に連絡を……)
(……って、自分がおいしい思いをしたいからじゃないですか)
任務前のふざけた会話は、投下五分前を示すアラームが鳴ったところで、上官からの無線が横殴りに響き渡った。
《降下五分前だ。気を引き締めろ》
ラジャー、と俺たちは声をそろえて応える。まさに鶴の一声といった感じで、空挺戦車の中に緊張感が漂い始める。
俺たちはまさに降下されようとしている。戦車にパラシュートを付けてダイビングするという、大胆かつ無像な作戦といっても過言ではないものだ。
効果地点は広大な砂漠だ。そこにいるゲリラ部隊の索敵・殲滅をするのが俺たちの任務。指揮官ははるか後方、五百キロの前哨基地で指揮を執っている。高みの見物をするかのように、衛星から伝わってくる情報をもとに俺たちを指揮するのだ。つくづく待遇の差を実感できるね。あいつらは砂漠の熱にうなされることもなく、冷房の効いた部屋でホットコーヒーをすするのだ。女性隊員に至っては、寒い寒いと言いながら毛布を膝にかけることだろう。馬鹿野郎、外に出やがれ、と叫びたいところだが、軍事活動には役割というものがあるのだよ。
俺の役割は戦場に行って戦うことだ。戦闘をサポートするのは基地で指揮をする指揮官の仕事だ。今頃は女性隊員にモニター越しで俺たちは見つめられている。投げキッスをしたいところだが、あいにく見えたとしてもおふざけとしかとらえられない。
俺は戦闘員といっても、貴重な戦車兵の車長で、前哨基地から送られてくる指令をもとに戦車を運用する。おのずと自由に使えるわけではない。俺としては大砲を使って大地に穴をあけ、障害物を戦車の重量と機動力を持って踏み潰し、何もない大地に向かって機関銃を打ち鳴らしたい。できるにはできるが、あとで膨大な量の始末書を書かされ、大目玉をくらうことになるので、やったりはしない。
降下というのは、あまり楽しくない。億分の一の確率でパラシュートが開かないことがある。俺たちはそれを対処する方法は学んでいるのだが、想像しただけでぞっとする。もし開かなかったら戦車の中で肉体がミックスされることになる。一見無傷でも、中は……いや、やめておこう。
俺たちは戦地に向かう恐怖と戦いながら、今という時間を過ごしている。当然、俺もできたてほやほやの新兵だったころは緊張感に胸が押しつぶされそうだったが、今じゃ何も感じたりしない。基地の夕食は何かなぁ、と夢想する日々だ。そして今日は金曜日だったから、大好きなカレーが出てくるはずだ。何事もなく基地に帰りたいね。