ウリ坊(完全版)
ウリ坊日和(恵)
今日はウリ坊を干すのにうってつけの、どんよりと曇った良い天気だ。
ウリ坊は台所で昼食の支度をしていた。
茶色の縞が目立つ体に割烹着を羽織り、鍋なんかかき回している。あ、
私の視線に気が付いたようだ。つぶらな目をこちらに向けて、もうすぐ
出来るよぉと言う。
私は、食べ物が煮えたり包丁で物を叩いたりするときの、細やかで断続的な
音が嫌いだ。今も眉をひそめていたのだが、ウリ坊は気にした様子もなく
再度鍋に目を向けた。イチゴクリームスープの甘ったるい匂いが、
湿った空気と混ざり合い私を包む。
私はウリ坊の首根っこを引っつかむ。何するんだよぉ、と叫んでうろたえる
彼の耳に、今日は曇り空だねぇと囁いてやった。
可哀想なくらい青くなるウリ坊。
私はウリ坊を台所から攫った。
ウリ坊は小柄な私には手一杯のサイズではあるが、女手1つで抱えられる
ほどには軽い。廊下を渡り、縁側から外へと飛び出して、物干し台に向かって歩く。
やめてくれよぉ、と彼はようやくうめき声をあげた。私は力任せに竹竿へと
放り投げる。軽いとはいえウリ坊はウリ坊。投げるのにはちょっと力がいる。
私は反動で地面へとへたりこんでしまった。
立ち上がり、ズボンに付いた泥を払う。やだなぁ格好悪いと思いながら目線を
戻すと、ウリ坊が竹竿を遙か越えて飛んでいくところだった。ばかな、と呟く。
ひょっとすると、これは春風のいたずらなのだろうか。私は家を飛び出す。
空を見上げ、時折地面も確認しながらウリ坊を追いかける。
弁当屋やショッキングピンクの看板や長々と続く土塀。息をするのも嫌になった
頃、河原沿いにある洋風の家のひとつへとウリ坊は落下していった。
そこの軒先にはワニが干されていて、ウリ坊は落ちついでにその口の中にも
落ちた。気の毒なことだ。
チャイムを鳴らそうとしたとき、庭に面したガラス戸からひょろりと背の高い青年が
飛び出してきた。やぁ大変だ、と叫び、ワニの口の中に手をつっこむ。ワニは
堅そうな鼻先で彼の顔にアッパーを食らわせた。これは当然かもしれない。
男は鼻血を吹いて地面に倒れた。
ともかくウリ坊を取り戻そう。押してみたらあっけなく開いた門扉に
眉を顰める。いかに強盗殺人が無い世の中と言えど、少しセキュリティが
甘いのではないだろうか。まぁ他人事だが。
ワニが私を上目遣いに(地面から見上げると、どうしてもそうなってしまうのだろう)
ここはワシの家じゃ、あんた誰じゃとうなる。私は長い口の下に足を入れると
思い切り蹴り上げた。ワニは当然ひっくり返り、芝生に頭を打ち付ける。そして
震える声で許したるわと言う。
ワニの飼い主であろう青年はボタンを押された人形の如く目を見開き、
私の顔を見つめた。
「ウリ坊の飼い主で、恵(けい)と言います」
彼はあぁ、と呟き、どうしよう、とこぼした。
いきなりの馴れ馴れしい口調が気に障り、私はワニを再び蹴って元に戻すと
枯れ木をその口の中に立てた。
どうしようもくそもない。早くウリ坊を連れて家に帰ろう。
彼は芝生から身を起こして、ちょっと可哀想じゃないですか、と口を出す。
ひとにらみすると大人しくなったので、鼻血拭きなさいよと忠告し
さっさとガラス戸から家の中に上がった。
雨が降り出した。走っているうちにこの空模様はいよいよ怪しいと
睨んでいたので、当然のなりゆきである。彼は慌てた様子で家に入ってくる。
不法侵入者の私に向かって、ティッシュで鼻血を拭きながら暢気に
久々の雨ですねなんて言い出すのだからやりきれない。
開きっぱなしのワニの口の中に雨は降り込んでいく。
しばらくすると、雨でとうとう胃の中がいっぱいになったらしく、
ウリ坊が流されて出てきた。
「ふぅ、酷い目に遭ったよぉ」
ため息をつくウリ坊を抱き起こす。こいつもあさってな奴だ。
ワニの飼い主(飄(ひょう)と言うらしい)がタオルを持ってきてくれたので、
茶色の毛皮をわしわしと拭き、フローリングの床に置く。ウリ坊はプヒィプヒィなどと
鳴きながら、蹄で頭の毛を梳いている。
「間違えて呑み込んだ場合ってこうするのか……」
彼は感心したように呟く。私はあのね、と呟く。
「こういう時のために、ペットは曇った日に干すことになっているんですよ」
そう、嫌味たっぷりに返すのだった。