仏葬花
シヨウは懐を探る。手に当たる固い感触を感じながら、自分に降りかかる事態を想定する。けれど、後悔のほうが大きいと踏んだ。足の傷を確かめる。黒い粒を一つだけ懐から出した。
少し離れたところに人間が倒れていたことに気が付く。シヨウが気が付いたことに、彼も気が付いた。彼は語り出した。
「こんなにもいるのに、どうしてそんなに執着する? 一人二人いなくなったって大したことじゃない」
「そうね。人間は基本、目の前の自分の関わる世界しか考えない。自分の子供が人口に数えられていないとでも思える考え方しか持っていないように見える。持てる以上のものを持って、他の領域を侵食する」
シヨウの自宅の隣は、子供がいる家族が住んでいる。その家族の荷物で通路が塞がって、外の通路を回り込んで通っている。他の住民の荷物は雨ざらしになっている。
「増やしたら自分が死んで調整しようと考えないね。だからこうも増えた。最終的に自分達の首を絞めていることに気付いていないように見える」
「植物のようにはいかない。心が邪魔をする」
「子孫を作った後もいつまでも自己を持っていようとする。日夜、人口を増やす行為をやめない」
「ええ、そう」
彼は動かない。シヨウも動かない。
「価値のない人間は、いる。与えられているだけで自分は何もしない」
経験と記憶が発想を阻害する。昔よりも明らかに頭脳の動きが鈍くなっていることを確認する。
「消費するだけは、今の時代はごみよりも価値がないと思わない?」
「星の環境で人間はいつか滅んでしまうから放っておいてもいいでしょう? 関わるだけあなた方の時間が無駄。だからそれまで待っ・・・」
「それはいつだろう」
「・・・先すぎてわからない。でもいつか」
「それは未来を予見出来るお前達の言い分だ。我々は今を生きている」
シヨウは何も言えない。
「君は・・・こちら側だね」
「考え方はそうかもしれない。人間はどちら側の考えも発想することが出来る」
彼女は頭を振る。
「でも違う。あなたは許さない」
世界からオウカを奪った。
存在していることを許さない。
まだだ。もう少し。もっと出血しないと。
先ほど足に植えた仏葬花の種に血が染み込む。発芽。根が筋繊維を這う。這うのがわかる。力が抜ける。吸い取られている。
まだまだ彼女の生命力のほうが上で、それ以上は成長しそうになかった。
足への突き。太腿への直撃は剣で軌道を逸らした。彼の剣の一本が樹に刺さる。それを抜かせまいと思ったが、その剣から血が滲み出した。シヨウは張り付けられ、そこから逃れるには隙が無さ過ぎた。
頭を樹に押し付けられる。
(あ、やばい・・・)
突然の暗闇に脳が思考をやめる。疲労と多少の達成感が、抑えていたものを零れ出させる。
もう、いいかな。ここまで頑張ったし。
今死ねば、彼が他人に殺されるのを見なくて済む。それでもいいではないかと脳の一部が言っている。それでいいのかと別の箇所は言っている。
光を。
日向を思い出す。
皆。
目を開けると指の間から辛うじて目の前が見える。爪を突き立てその腕を掴む。剣はもう手放していた。今度は絶対逃がさないと己に言い聞かせる。
足で蹴る。下半身だけを逸らしほとんど躱される。でも、予想通り。その足から植物を引き抜き、もう足から注意を逸らして、彼女へ向き直りかけていたその眼へ突き立てた。
「あ」
何が起きたのか、一瞬では理解できていないようだった。次の行動は。
葉や茎を引き抜こうと手が動く。ゆっくり。でも。
挿し木でも生える彼等は既に侵食を始めていた。簡単に抜けると思った植物は、意外な強さで根付いていたようだった。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」
両手で植物を抜こうとした手を放さない。
その手が乱暴にシヨウの頭に力を入れるが、まだ放してやらない。
視界が彼の手でいっぱいになり頭蓋骨が悲鳴をあげる。頭を木に押し付けられ、かろうじて避けていた剣の刃が肉に沿って通過する感触。少し悲鳴が出るがそれより大きい彼のものに掻き消される。
「お前、よくも、よくもオオオオオ」
気配で顔が近くにあるのがわかった。手を伸ばす。彼女自身の血で、手は既に砂や土や黒い粒といった色々なものがこびり付いている。その手で彼に触れる。植物を掻き毟ったほうの眼だ。やっと気付いたようで手を振り払われる。
狭い視界からかろうじて見えるのは彼の残された赤い眼。
その色で見るな。オウカは翠色だ。
頭を押さえつける手に、より一層力が込められる。掴むが花を成長させるための消耗で力がうまく入らない。伸ばした手が落ちる。
次の一手を考えなければとやっと思い付いた瞬間。
何かの音がし、次いで押さえていた彼の腕が奇妙に重くなる。
放れるのではなく落ちそうだという感覚だったので受け止めようと、そこでやっと目の前の状況に意識が向いた。
数度斬られたのか彼は血に塗れて足元がおぼつかない。そこへ横薙ぎの一閃が走る。
鮮血の尾を引いて、彼の頭は地面に落ちる。
終わった。
本当に。
終わってしまった。
体も地面に崩れ落ちる。それを見届けて、彼はやって来た。
ノス・フォールンにはノス・フォールン。
彼等に悟られず近づけるのは同じ風景が見える脳を持つ者だけ。
「大丈夫?」
オウカ、オウカ、
オウカ。
倒れている彼を見る。そして目の前のノス・フォールンを見る。彼は笑っていない。
「抜くよ」
彼女を磔にしていた剣を抜く。疲れたので跪こうと膝を着くと彼が心配そうに支え、ゆっくり座らせてくれる。
彼は幾度か迷う仕草を見せ、そして言った。
「ごめん」
どんな表情をしているのかは長い前髪で見えなかった。
4
「ああ、いたいた」
ベリルが坂を上ってくる。倒れているフリークスの体に気が付き、そちらへゆっくり方向を変える。膝をついていたがすぐにシヨウの方へ来た。
「はあ。また無茶なことを」
「いえ、割と大丈夫です・・・」
「リアももうすぐ来ると思う。心配だから行こうって言い出したのは彼女だよ」
ベリルはシヨウの傍らにしゃがむ。彼は微笑んでいる。
「確かに。生きているね」
「なんですか」
変な問いかけに笑ってしまう。
「言おうと迷ってたことがある。多分、あれはオウカの幽霊とか魂だと思う。ここに来てからずっと・・・」
彼は一度視線を地面へ落とし、それから戻して続けた。
「ここまでを案内してくれた」
足の仏葬花がざわつく。先程と似た侵食の感覚。けれどどんな状態か確かめるのが惜しいくらい、シヨウは走り出した。
自分の現在地はわかっているが、どこへも向かっていない。
「オウカ」
闇へ向かって声を放つ。
しかし何もいない。何も返ってこない。死んだ人間の魂を見る能力は彼女には無い。
シヨウが走り去ってすぐに音も無く降り立ったのは黒い忍。
フリークスの頭部を保持剤が敷き詰められた箱に丁寧に入れている。
「皆さん、ありがとうございました」
箱を胸に大切に抱えている。
「ところで。ヨーギは死んだ者が見えるって噂、本当だったんですね」
「はは。嘘に決まっているだろ」
「そうなんですか? それは残念です」
では、また・・・丁寧な言葉と笑みと共に、風のように消えて行った。
黒髪のヨーギはぽつりと言った。