仏葬花
背後を振り返る。ガラス戸だった。真ん中で仕切られていて、下は擦りガラスでひびが入っている、上は透明なガラス。その向こうに視線。高い位置に女の顔があった。
その部屋は先程覗いただけの南向きのリビングだった。素早く見えない位置に動く。
「そこにいるのはわかってます・・・お願いします・・・こちらへ来てもらえませんか・・・」
シヨウは動かない。息を殺す。頭脳が必死で計算していた。決断まで数秒かかった。ガラス戸を開ける。
さっきソファだと思っていたものはベッドだった。床まで届く大きな窓の近くに配置されている。そこに女が寝ている。ゆっくり歩いてベッドの側まで行った。
シヨウの心の準備と覚悟は、女性を見て簡単に打ち砕かれた。
顔に皺が寄り、目は落ち窪んで頬は痩せている。首も手首も細い。もう人間としての寿命がきていた。彼女が搾り出すように声を出す。
「何を、してたの?」
「食べ物を探していました」
「どうして、こんなところに、いるんですか?」
「さあ。気が付いたらあちらの部屋に寝かされていました」
「え? あなたは、誰?」首を動かそうとしている。でもごくわずかしか動いていない。「あの人は? どこ?」
探し人は見付からないと諦めたのかシヨウに向き直る。
「あら、あなた・・・?」首を傾げる。「手を・・・」
女は手を広げた。躊躇していたが手が伸びてきて掴まれた。そしてもう一方の手が服の袖を捲り上げた。視線が手首から上に走り、止まる。赤い跡を指でなぞりながら眉を寄せた。
「まさか・・・」ますます苦しい顔になる。
「ああ・・・すみません・・・本当にすみません・・・」
女の目はみるみるうちに濡れて、顔を覆い泣いている。
「・・・なんて馬鹿なことを」
「あ、あの・・・」
「大丈夫ですか? 体調は? どこか悪くないですか?」
「えっと・・・特には」
それを聞いて彼女は少し笑顔を浮かべる。しかしすぐにまた泣く。
「もう手遅れなのに・・・何を・・・ああ」
「私が、どうしました? どうして連れてこられたのか知っているのですか?」
「ええ、はい。多分・・・」
女は息を吸って涙を拭う。彼女が語り始めるまでシヨウは部屋を見渡していた。
「あの人は、魔女の血をノス・フォールンに輸血しようとしてました。日頃から魔女の血には不老の力があると・・・。私も本気で言ってるとは思ってませんでした。でも・・・私の静養のためにこの地に移り住むと言い出して・・・」
「長寿の魔女と短命のノス・フォールン・・・」
面白い発想だ、という言葉は飲み込む。しかし感心はすぐに消える。素人の思いつきなんて大昔に検証済みだろう。
その能力故の短い寿命。
そして、ノス・フォールンの寿命はシヨウの知っている範囲では延びていない。
「ごめんなさいね・・・」
赤く泣き腫らした眼で女が言った。急に老けこんで見えたので、なんと返したらいいかわからなかった。虚ろな目が窓の空を見ていた。
「あの人、見境なくて、でも悪い人じゃ、ない・・・の。ちょっと、真っ直ぐすぎて。自分にも訪れる、自然の摂理が、理解できないのよ・・・。私達、出会わなきゃ良かった・・・」
「そっれは違う。別れを呪うんじゃなくて、・・・出会えたことに感謝しないと」
最初の言葉に力が入って、でも抑えた。
「二度と、触れられないのが・・・悲しい・・・。生まれ、変わったらまた、どこかで、会えるかなあ・・・会いたいなあ」
目を閉じ、涙が頬を伝う。
「生まれ変わりを信じているの? 生きている人しかいないのに?」
「そんな、こと、ない」
もう、よく聴き取れない。シヨウには微笑んでいるように見えた。
「この世界は双子で、見えないけど隣合ってる・・・そこを魂が、行き来してる」
普段から睡眠時間が多いノス・フォールンだが、それがどんどん短くなりほとんど眠らなくなる。最終段階に入ると老化症状が現れ、徐々に眠るようになり最終的にほとんど眠っているという状態になる。
末期のノス・フォールンを見るのは初めてだった。
いくら、本で見ても写真で見ても所詮、それは情報だ。
実物には比べ物にならない。
呼吸がゆっくりになり彼女はやがて、目を閉じた。
4
リアは椅子に座っていた。サーシャの作った衣装を着て、今は髪を結ってもらっている。リアの髪は長いので時間がかかる。
「たのもー!」
布の扉を開けてサーシャが飛び込んでくる。
「ちょっと、さっきの子戻ってこないんだけど?」
「さっきの子?」
「ここに衣装届けてくれた外の子。戻ってきてって言ったんだけど・・・あれ言ったっけ」
少しだけ振り向いてリアは答える。
「どこかにいるか帰ったんじゃない?」
「衣装ならちゃんと届いたわよ」
赤毛の女性がリアを指した。
「何言ってんの。外にかけられてたって言ってたじゃん・・・え、まさか」
彼女は手紙を握り、年上達を見る。
「どこにも証拠も痕跡もない。捜しようがない、というより騒いで要らない動揺をさせるだけよ」
「でも! 人の命がかかってるのよ、何かあってからじゃ遅いっていつも皆が言ってることじゃない。今こんなことしてる場合なの?」
「それがいつ起きるか、本当に起きるのかは誰にもわからないわ。そして起きてしまったものはしょうがないの。皆、楽しみにしてたのは知ってるでしょ」
それでも引かないリアを見て赤毛の女は折れる。リアは貴重な、ロエを使える魔女だ。
「あとは大人に任せて、ね? リア、あなたは踊りのことだけに専念しなさい。今は、お願い。わかるわね? 誰か、ノス・フォールンを呼んで」
赤毛の女は行ってしまった。
椅子に座ると、頭の飾り付けが何事もなく再開した。
自分の替わりに連れ去られたかもしれない人がいる。
全然関係のない人。魔女ではないかもしれない。
リアは立ち上がる。
「あの・・・どちらへ」
着付けの女が困惑した様子で訊いた。
「お手洗いです。一人で行けます」
優しく言ってテントを出た。衣装の裾を摘んで歩く。数人の魔女に囲まれたノス・フォールンがいる。民家の前で話している。きっと協力してくれるだろう、そう見えた。彼等は総じて優しい。呼び止めるにも自分の格好は目立ちすぎた。
どうにか声をかけようと考える。自分と間違う魔女に興味があったが今はそんな時間もない。衣装も汚すわけにもいかないので草むらにも飛び込めない。
突然、彼は気が付く。右を見て、左を見る。
『こっち、後ろよ』
リアのほうを振り向いた。見ている。自分が呼んだと、今度は目で頷いた。リアは待った。
すぐに動かない賢さ。話し終えて自然な足取りでこちらに向かってきた。
手招きをして家と家の間の細い道に入る。ノス・フォールンは彼女を見て多少困惑しているようだった。無理もない、周りの連中は架空の生き物の仮装。リアはそれとは無関係、見せるためだけの衣装だ。
「すみません。魔女はこのとおり、頭の堅い人間ばかりで。本当なら私が・・・。ノスのあなたなら捜せるかもしれない」
そう言ってさきほどの手紙を差し出した。
「その紙の裏に書かれている場所へ行ってみてください。恐らく、多分・・・。このくらいしか私には出来ません。すみません」
もう一度頭を下げた。
伝統だとかいう祭りだけど、続ける価値はどこにあるのだろう。