仏葬花
生き物が生き物である条件、生きていること。それを自らの意志で放棄するのは動物にでも出来る。しかし、理解しているのは人だけ。ノス・フォールンによってもたらされた最大の弱点だとシヨウは認識している。種族差別でもない、寿命の短さでもない、それが一番凄いことだと、彼女はこの議論をするとき常に思い当たった。
「人を捜しに来たのですが、誰かいませんでした?」
「あー・・・それなら、あのあたりに」
男が指す方向に倒木がある。そちらに歩き出す。もう少し奥だった。
朽ちた衣服。枝からぶら下がる切れた紐。樹の枝に混じって埋もれる、生き物だった残骸、に見えなくもない物体。それを上から眺める。しかし彼女には何もわからなかった。
シヨウが戻ると男はまだ座っていた。
「本当にやってくれるのか? どうして、今、やらない? 無駄な殺生はしないとか、今時言ってしまう人?」
「いいえ」
色々反論したいが我慢した。ノス・フォールンなら気付かれただろう。
「では、一旦戻りましょう。私はまだ死ぬ気はありませんので」歩きだす。「あ、もしかして、身辺整理してしまった後ですか? 私はちょっと、そちら方面の手伝いはできませんが・・・」
「ああ、それは大丈夫」
男が手を振って笑った。立ち上がって、衣服に付いた枝を払う。
「よし、戻ろう」
意外なほどに普通なのでシヨウは驚いていた。もっと暗く悲観的で、何にでも不満を感じ、人生にも人にも絶望しているものだと思っていたからだ。
公道に出た。男が先を歩いてシヨウが後を追った。近くの街までは歩いて一時間ほど。それまで二人の間に特に会話は成立しなかった。
シヨウは誰かといるとき、会話をしなくても平気な人間だ。苦痛に感じない。相手が何を考えているとか全然気にならない。ところが、稀に、苦痛と感じる人もいる。彼女にはそれが理解できない。それは、他人が自分のことをどう思っているのか気になるのだ。つまり自分をよく見せたい、好かれたい、せめて嫌われたくない、という極めて人間的な感情が働いていて、それこそが頭脳を行使する人間の集団、つまり社会との適合性の高さを表しているのではないか。
それなら自分は相当に不適合だな、と苦笑。
自分以外はすべて他の人。親も他人。自分で自分に驚く時があるのに、他人が把握できるはずがない。生まれ落ちたらすでに別個の人間と、思っているのは口に出さない。誰もがわかっているのに口にすれば皆、顔をしかめる。
なぜだろう、そこまで血に拘るのは。
それこそが人が人を作ろうとする、組み込まれたプログラムなのか。
しょうもない一人議論を強制終了。面白くない。他の頭脳の意見が聞きたくても、しかし、これは明らかに他人には聞くことができない話だった。
街まで来た。
「えっと・・・私はこれで」
「手続きを取りに役所へ行くのではないのか?」
男が急かす。シヨウは考えながら言った。
「会社へ行かなくてはなりませんので、少し待っていただけませんか」
「まあ、そういうことなら・・・。でもいいか、言っておくけど、生きていれば時間はある。けれど金は有限だ。作れば出来る時間とは違う」
「ええ、そうですね。けれど、日が沈みますので今日はもう・・・」
「だめだ。こういうのは早いほうがいい。すまない」
真剣さは伝わったが、彼女は首を傾けて息を吐いた。
「わかりました。では後ほど・・・どこかで落ち合いましょう」
「ではあそこはどうだ」
男が指す。民家の屋根の山の向こうに、樹が盛り上がっているのが遠目でも見えた。そこは昼間行った場所だった。
男と別れて、シヨウは支社へ急いだ。急ぐといっても走ったわけではない。一時間近くも歩いて足は棒のようだ。歩いている最中は気が付かなかったが街へ着いた途端、疲れを自覚した。
庭に赤い花が咲く民家の敷地へ入っていく。自分の家のように扉を開けた。
そこに見知らぬ男が二人立っていた。来訪者へ顔を向ける。支社を担当する女性と話をしていたようだ。先だって立っている男の髪の色に目が留まった。白に近いが光の加減で色が付いているように見える。それを後ろで三つ編みにしていた。眼の色も独特で、シヨウはこれまで見たことがなかった。
「お、噂をすればなんとやら、だな」
三つ編みの男が言った。
会釈をして通りすぎようとした。
「シヨウさん、ご報告いただけますか?」
受付の女性社員が言った。
シヨウは彼女を見て、男を見る。
また女性を見た。しかしどちらもシヨウの言葉を待っていた。
「あの樹海にはいませんでした。あと、死体かどうかわかりませんが・・・ありましたので連絡したほうがいいと思います。この写真の人である可能性は低いと思います。もっと古い・・・行方不明になる以前のものに見えました」
そう言って写真を机に置いた。黒髪の男性が写っている写真だ。
どうやら会社の関係者らしい三つ編みの男は、やけにシヨウを見ていた。
視線で串刺しにされそうだ。
「シヨウさん」
三つ編みの男がにこにこしながら言った。上司が部下に指示するような笑み。もう一人の男が影のように付き添っている。部下だと思われる黒ずくめの服装のその男も、微笑をたたえている。
「今日はもう時間がないので今度にしますが、折り入ってお話がございまして」
「どんな内容ですか」
目線が上を向く。
「訊きたいことが。そんな大したことではありませんから。日にちをみてまた伺います」
そのまま彼女は三人の視界の外になる位置まで歩いた。単に部屋を移動しただけだ。
そこは台所だ。しかし、使われている痕跡はない。
誰が考えたのか、仕事場に出勤する前に、支社への出社連絡をしなければならない。それに対する費用と労力と時間に、何の保証も賃金も無い。まったく意味不明のシステムがこの頃の社会では普通となっている。信用されていないのか、無断欠勤を何とも思っていないのか、シヨウは調べたことはないので、どちらの意識にも問題があるのだなという見方しかできない。賃金を貰っている手前、何も言わない。
外へ出てしまえば良かったのだが、いつもすぐに休んでしまうので奥に来てしまった。
また、玄関を通らなければならない。
けれどそんな気は起きなかったので窓から出ることにした。子供じみた不要の意地が、いまだにどうしても抜けないシヨウであった。
一階の窓から出て着地。窓を閉めたとき、鍵が開いてしまうことに気が付いた。が、もう諦める。
彼女は夕暮れの公園を歩いた。待ち合わせの階段の下に着く。階段の下を使って花壇が連なっている。天気のいい日は木陰、雨の日は雨宿りとして最適だ。ただ、今は薄暗く、柱の影はすでに暗闇に染まりつつある。
「こっちこっち。何、通りすぎているのさ?」
声のする方角を見る。先程、目の前を通り過ぎた人だった。見たことのないシルエットだった。
こちらに歩いてくる。シヨウはやっと気付く。自殺志願者の男だった。
気が付かなかった原因は髪だった。長かった髪が短くなっていた。肩に触れるか触れないかの位置で、髪の先が踊っている。
「今から役所へ行くのですか? もう閉まっていますよ」
「よく考えたらそうなんだよ。ごめんねえ。疲れているのに」
男の髪が揺れている。