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Twinkle Tremble Tinseltown 6

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wheel of fortune



 一回転するたび、かたんと落下するような音は擦りむいた手の腹と宵闇の中へ無機質に響いた。歪んだホイールが違和感を訴える。幅が広く柔軟性に富むとの触れ込みだったセミスリックタイヤは、その弾力と加速による負荷で自らにも多大な損傷を与えたのだろう。興奮と惨めさで呆然としたまま、ユルゲンは壊れかけたマウンテンバイクと共にボウルクレスト通りを突っ切っていた。取ってつけたかのようなネオンが散発的に、乾いた舗装へ色を叩きつける。その度ジーンズの汚れが目に付き、情けなくて死にそうだった。表面についた泥。裏面についた血。膝を曲げるたびにずきずきと痛み、固い布地が傷口に張り付く。


 思い返してみれば、今日は調子がよさそうで良くない日だった。学生時代から使う中古のフォードは昨日修理に出したばかり。だが出勤前に見た空は夜明けを抜け出したばかりの清々しい冬晴れで、ベダルを漕ぐ足取りも自然と軽くなる。夜半の降水確率が40パーセント、しかし今日は8時時交代だから問題ないはずだ。荷物をいつもの手提げではなくナップサックに押し込み、家を出たのが7時前。一時間弱の通勤時間。職場に着いたら、脱獄した収監者に自転車を盗まれないよう守衛所に押し込んだのち制服を着る。目立った騒ぎもなかった。苛立ったことと言えば巡回の最中、父親殺害を皮切りに出所するたび前科を増やして帰ってくる青年が午後中ずっと後をついてまわり、「おまえが振り向く場所は悲しみに溢れている、お前が行く場所、全てにだ」とキーの外れた声で歌っていたくらいの話。いつものことなので警棒をちらつかせてやればすぐ退散したし、最後に一発尻を蹴り飛ばしてやったから気分もせいせいしたはずだった。
 最初は楽しいと思っていたことへも余計な後付けをしまうのは彼の悪習で、学生時代もよく女に詰られたものだ。『ねえ、今時運命論者なんて流行んないのよ』。


 思考の癖をまざまざと思い出す羽目になったのは帰り道だった。もしも無事に帰宅することができていたら、彼は一日を何とも思わずベッドに着いていただろう。残り物のシチューとテレビの待つ生活。予定を変えたのは一匹の猫の身体。狭い路地に横たわっていた死骸をライトが捕らえ頭が認識するまでに、猛スピードで邁進していたタイヤに柔らかい感触、急ブレーキを掛けようと手を握り締めるよりも早く体がつんのめり、それから思い切り後ろにぶれる。尻が痛いと思う間もなく、同僚から譲り受けたルイガノは盛大にひっくり返った。金属が固い地面とぶつかる甲高い音が夜の冷気を破裂させる。前方に一回転こそしなかったが、アスファルトの上に投げ出された体は見事車体の下敷きになり、滑った瞬間には感じなかった掌の痛みが、肘、膝、腰、背中、腹と多重奏。もはや傷ついたのが肉体か己の自尊心かすら分からない。運が良いのか悪いのか、通行人もアパートの窓から覗く人間もなし。彼の職場であるパンタゲス医療刑務所から車で10分、ティンゼルタウンの南部にあたるこの周辺は、非常に中途半端な治安状態で知られていた。ポン引きや麻薬の売人、それに付随する女たちのねぐらではある。しかし彼らが商売をするのは金のあるアップタウンが近いもう少し東で、煩雑期である日暮れ後明け方前の時間帯は、こうした群れの空白ができてしまうことも珍しくなかった。曲がりくねった細い路地が煩わしいので、ユルゲン自身も自転車通勤で近道をするとき以外は滅多に通らない場所である。普段の道で事故を起こすより、アブノーマルな状況に災難が上乗せされたことに気が滅入る。自転車の下から這い出す時、ユルゲンは低く唸った。勿論他人のための通りは冷ややかに無視。求めていないはずの助けを欲しがっていたと知り、羞恥が痛みを上回った。跳ねるようにして起き上がるまでみっともない独り言を零さなかっただけましというものだった。


 30分も歩けば、今まで辛うじてリズムを成していたタイヤの回転が金属の擦れる不規則な音へと変わる。投げ出したい。だが200ドルとパイプハンガーの代償を忘れることは出来ない。まだ使って半年、しかも10回と乗っていないのに。フレームは多少歪んでいるが、修理次第でもしかしたら。淡い希望にしがみつくことで今の状態を無視しようとした。

この調子でとろとろ歩いていたら、21時半からの「ホイール・オブ・フォーチューン」には間に合わないだろう。一人の夕食から下らないクイズ番組を取り除いたところで大したことはない。そう思っているのに、習慣を変更するという事実はただでも下落した気分を更に奥深い気鬱へ引きずり込んでいった。

 騒ぎ一つ一つの個性が判別できるようになり、ネオンが忍び寄る。作り上げられた強烈な明るさに比べ、外の闇が際立った。治安も決して良いとは言えないこの近辺でユルゲンが時間を潰すことはこれまでなく、今になって興味を持つこともない。ただこんな場所で壊れた自転車を引っ立てているのは非常に惨めなことなのだろうとは、流石の彼でも分かった。

 西部劇にでも出てきそうな羽板のドア前を通り過ぎたあたりで我慢の限界が訪れる。自転車を電柱へ立てかけ、その場へしゃがみ込む。当たり前だがレンチなど持ち合わせてはいないので、タイヤの緩みを直すことは少なくともこの場では不可能。それにぱっと見ただけでも、ステアリングコラム周辺が千切れかけたりぐらついたりとひどいことになっている。努力はした。もういい加減、惨めな自転車を見捨てたところで天罰は下らないだろう。周りには人もいない。立ち上がった瞬間痛んだ膝に顔を顰めながらも、結局ユルゲンはそのままナップサックを背負い直し、愛車へ背を向けた。


 ばたんと開いた扉に振り返るよりも早く、激しいデジャブ。金属とアスファルトがぶつかる神経を逆なでする音が、店の中から聞こえる音の上へ横たわる。
 自転車へ覆いかぶさるようにして倒れた人影は酔っ払いのように見えた。だが起き上がる動きは機敏だし、足は最初の一歩こそふらついたものの、すぐさま勢いよく地面を蹴る。まるで子供のように。
「助けて!」
 ぶつかるようにしてしがみついてきた身体を支えきれず、ユルゲンは数歩後ろへよろめいた。右腕に取りすがる手は小さいが、全身の力がそこへ集まったかのように必死で強い。自らの胸の位置にある頭が激しく揺れ、再び少し掠れ気味の声が裏返ったとき、彼は自らが何かに巻き込まれてしまったのだとようやく認識した。
「やめて、やめて、やめて、来ないでってば」
「悪かったよ、いきなり驚かすような真似」
 酒場の扉から現れたのは40がらみの男だった。顔ははっきりと見えない。興奮している相手とは裏腹に口調は軽く、くだけてはいるが知性を感じさせる喋り口は想像していたごろつきのものとは程遠い。かといって堅気の人間かと聞かれれば首を傾げてしまう。彼は右手に掴んでいたものをスーツのポケットへ押し込み、一歩こちらに踏み出した。
「話を聞きたいだけなんだ、ちょっとだけでいいから」
「だめ」