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Twinkle Tremble Tinseltown 6

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eternal truth



 壁へ頭を預け、眺めるのは車窓の外一面に広がる向日葵の花だった。
グラナダ大学で開かれる学会のために乗ったレヒオナル・エクスプレスの車両は外装こそ新しいというのに、青い座席にはもうピーナツのような匂いが染み込んでいた。膝に乗せたブリーフケースとスーツの上着。恐れていたほどの空調は利いていないが、かといって快適かといわれればとても頷けない。身体はワイシャツの中で少しずつ、だが確実に汗ばみ始めていた。

 先ほどまで目にしていた荒涼とした野原は、時おりその中に泥と石で作られた農家を見つけることができれば儲けもの。時差ぼけも手伝い、誘いを掛けるまどろみへ身を任せるのは楽な仕事だった。どれ程の時間転寝していたかは分からない。緩やかな線路のカーブが引き起こした慣性に揺られ慌てて瞼をこじ開けたのと、起き上がった身体を捉える驚きが現実へ引き継がれるまでの間に、腕時計を見る暇などありはしなかったからだ。

 終わりかけた夏の日差しはオレンジ色。とんでもない速さで過ぎ行く快速列車の中から眺めても、一つ一つの花弁に個性をつけることは難しい。だが視界の果てまでひたすら続く大輪は、群れることによって地平線を大きく膨らませていた。大地を覆う花々の上には雲一つない深く青い空。両手を広げるようにして世界を包んでいる。混ざり合うことなく並んだ二つの単色は確かに鮮やかな色だが、決してどぎつくはなかった。夢の中から持ち越した透明な恍惚の中へ染み入り、身体の奥底へ広がっていく。
「綺麗ね?」
 疑問形は自らの声である証なのに、唇を開いているのはアネッサだった。向かい合って座っていた彼女は、研究室にも散々鉢植えを持ち込んでいたくらいだ。この光景に対する感慨も一入なのだろう。それでも身じろぎに気付いた途端、食い入るように見つめていた視線を剥がし、にっこりと微笑む。大きな唇が、清々しかった。こんな状況にも関わらず。
「観光は出来ないけど、これだけで十分。素敵な思い出になるわ」
 嫌味ではなく本心から言っているのだ。その強さが苦しい。ああ、と今度ははっきりと自らが喋ったと確信できる相槌が、他人事の呈で溢れ出た。彼女がわざとらしく目つきを険しくして見せる。
「嘘つき。人の話なんて聞いちゃいないでしょう」
 だが結局、正しさなど重要性を持たない。彼女は再び夢見る顔で窓の向こうを見遣った。去っていく向日葵が名残を惜しむように手を振っている。誰だって別れるのが辛いと感じるほど、アネッサの髪は艶やかで、見事な栗色をしていた。


 拘禁室で待たされること2時間。大きな口と魅力的な藍色の瞳を持つ若い刑務官は予定の時間を覚えているにも関わらず、必要以上に早く患者へ拘束衣を着せるよう看護師に指示を出した。趣味なのだろう。今も20分に一回ほど、小窓から中の様子を窺っている。普段ならば抗議の一つもするのだが、昨日の朝以来投与されていないメタドンへの恐怖が身体一杯に蔓延している。耐え難い疼痛と、脳を這い回る虫の感覚がいつやってくるか分からず、それどころではなかった。叫び出せば思う壺だと分かっている。それでも磨かれたクロームの鏡に映るぼけた顔に、心は陶酔と緩慢な恐怖の間を振り子のように行き来していた。身じろぎするたび身体の節々と二の腕で固定された手首が軋る。この痛み、それに詰め物をした緑色の壁と地肌の間を伸び放題の髪が遮っているおかげで、辛うじて平静を維持することができた。

 
 再び開く小窓。確認が終われば、次に聞こえてきたのは錆びた噛み合わせが動く音。重量に見合った速度で開いた扉の隙間から、看守の青年が警棒片手に身を割り込ませてきた。薄暗い中でも、妙にさっぱりとした表情を浮かべているのが見て取れる。
「レナート“ワック(中華鍋) “マーチ。バージニア大学の元准教授。ヘロインに嵌った挙句、婚約者に果物ナイフで切りかかって重症を負わせた」
 首を捻り、背後にいる人物へ話し掛けている。
「虚言癖がひどい」
 入ってきた顔に見覚えはない。金髪。ブルーの眼。最低限の清潔さは保ったスーツ、ネクタイ付き。部屋の隅に居場所を見つけた看守へちらりと視線を寄せる。
「監視付きか?」
「規則なんだ」
 静かに言ってのけ、腕を組む。それ以上言い募ることはせず、彼は床に固定されたベッドの周辺を真っ直ぐ見据えた。近付く足にも何一つ躊躇は見られない。
「ダリル・レインウォーター。調査員だ。去年まで、貴方が頻繁に会っていたオルドリッチ”スタン“ガルプスについての話を聞きに来た」
 手を差し出そうとして、すぐに引っ込める。結局また振り返って注文。吐息は肌寒い空気の中で存在感を主張する。
「必要なのか、この格好。やりにくい」
「治療薬が切れると凶暴化する。この前も職員を引きずり倒して大変だった」
 先に暴力を振るったのはあっちだった、などと言おうものなら、拘禁時間が伸びる事は目に見えている。すっかり希望を失った相手にもダリルは怯まなかった。出来る限り相手の目を観て話そうと試みる。
「ガルプスからメスカリンを買っていた中で、一番まともな人物だって聞いてる。週に二回ほど、奴が表向き経営してるコーヒーショップ『グリーンロッド』へ豆を買いに行った?」
「ああ」
 感情的な紹介と論理的な質問は、どちらも余計な意見を許さない。そう言えば他人に紹介されたのなんて半年ぶりくらいの話だった。まるで自らが絶滅寸前の動物にでもなったかのように感じた。惨めさを出来る限り表面に出さないよう、力の及ぶ限りはっきりとした口調で言葉を続ける。
「コナって言えば、豆の底に袋を隠してくれた。ペヨーテはメキシコで、コカインならマンデリン。ハシシはジャマイカだった。まるでデパートみたいに。もっとも豆の方はカビが生えたような奴を売っていて、飲めたものじゃなかったが」
 一気に畳み掛け、それから調子に乗って正面の顔を見る。まともな会話をする機会など、今を失えば二度と手に入れることが出来ないかもしれない。混ぜ物入りの草の如く一気に燃え上がった感情に任せ、言葉があふれ出した。
 一瞬で頭を冷やしたのは、見つめる瞳が軽蔑と哀れみを混ぜたまま微動だにしないせい。冷静で一定の礼儀を弁えた言葉遣いとは裏腹に、態度を書く隙は一切ないようだった。膝を突くような真似もしない。相手が足を伸ばしても絶対届かない位置で両足をしっかり床へつけ、探偵は揺ぎない視線を送り続ける。
「スタン……ガルプス」
 久しぶりに怒りと苦しみ以外の感情で赤面しながら、ざらつく化繊布に包まれた膝へ視線を落とす。
「そんなしょっちゅうは会ってない。店へは滅多に顔を出さなかったから……月に一度会えば良い方だ。彼はまともじゃなかった」
 冷えた爪先を動かし、そう言えば靴を履いていなかったのだと気付く。
「普通なら近寄りたくない」
「ガルプス本人じゃなくて、店で働いていた女についてで」
 スラックスのポケットから引き出された光沢紙には、幾つかの皺が寄っている。覗き込めば影になって見えない。
「ニーナ・ウィロックス。16歳の高校生だ。母親は肝炎で入院、父親はアル中。本人はまともになりたがってたが、結局道を踏み外した。ガルプスの愛人の一人で、店番に立つこともあったって聞く」