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其は匂ひの紫

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 利市は絢人に今までのことで礼を言い、言われた通り店から外に出ようとすると、絢人が呼び止めた。
「川村さん、時々遊びに来てな。そんで、タキちゃんにまた、着物、作らせて」
「絢人くん?」
「ぼく、タキちゃんが友禅挿してるの見るの、好きやねん。かっこええと思わへん?」
「うん、思う」
 挿し友禅の時の多喜の横顔を、利市は思い出していた。「かっこいい」と言う俗な言葉は似合わない、清廉な美しさがあった。あの姿をこれからも見たいと思う利市であったが、彼がどのような気持ちで友禅に対峙するかを考えると、無理強いは出来ない。
「でももう、したないって言うてるけど」
 絢人は首を振る。
「本当はしたいと思う。だって、楽しそうやったもん。それに着物、出来上がって来て広げた時、嬉しそうに何時間も見てたし」
 車が止まる音がした。利市の視線をそちらに向ける。それからまた絢人に戻すと、彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。子供にはわからない事情が大人にはある。そう単純には何事も運ばない。
「来たみたいや。ほな、行くな」
 利市は店のは入り口に二、三歩進む。後ろから絢人の声が聞こえた。
「タキちゃん、一生懸命な人、好きやねん。そやから、次も川村さんが言えばするよ」
 利市が振り返るのと、クラクションが鳴ったのは同時だった。「え?」と聞きなおそうとする利市に向けて、再度、促すようにクラクションが鳴る。
「約束な、川村さん」
 用は済んだとばかりに手を振ると、絢人は居間の奥へ引っ込んだ。利市は揺れる暖簾に向かって手を振り返す。彼の言葉を反芻しながら表に出た。運転席から多喜が、店札をひっくり返してくれと利市に頼んだ。


『タキちゃん、一生懸命な人、好きやねん』


 利市は多喜を見つめた。「何や?」と彼がサイド・ミラーを覗いて言く。顔に何か付いているのかとでも思ったのだろう。
「なんでもない」
 引き戸を閉め、札を裏返した。それから店構えを見る。
 利市はまたここを訪れることになるだろうと、予感した。
作品名:其は匂ひの紫 作家名:紙森けい