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いちごのショートケーキ 7

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微かに日の光が残っていることを窓を眺めてボウッと確認した。リビングは怪しい熱気に包まれているのに妙に静かで、カリカリとペンを動かす音だけが響いている。 


 「しんど~。もう俺やだ!」


 初めに静寂を破った夏樹がテーブルにペンを投げ捨て、そのまま後ろの床に倒れこむ。試験一週間前からの最後の追い込みは、一番精神的に応える。


 「さっきもそう言って一人で休憩しただろ?」
 「そうだよ。もうちょっと頑張れよ、国語」


 「絶対に嫌だ!だいたいいくら考えても公式も無いし暗記のしようがないし、できねーよ!」
 夏樹の苦手科目はその性格上、少なくはない。じっとしているという行為が苦手なので、文章を読みじっくりと考えて解答を導き出す国語はその筆頭で、他に自分の感性や表現力を使い、それを形にするまでの地道な思考作業を必要とする美術や音楽も苦手分野だ。一方一卵性の双子ながら落ち着きのある冬路は国語も美術も音楽も苦手ではない。ただし、これといった得意科目もないが。


 「三人とも頑張ってるか?」


 扉が開くとエプロン姿の兄が甘い匂いを引き連れてきた。ちょうど私達が試験一週間前のカウントダウンに入った日に兄の試験は最終日だった。試験休みの今日、兄は朝から母をキッチンから追い出し、張り切ってお菓子作りだ。


 「唯兄ー、もう俺頑張れない~」


 弱音を吐く夏樹よりもすばやく、ソファーに座った兄の元へ駆け寄り、付箋のついた教科書を渡した冬路は、兄が教科書を読み出すのを確認すると授業で行われたノートやらプリントやらを用意し始めた。


 「唯兄、ここ教えて」
 「いちご同盟かぁ懐かしいな」


 今回の国語のテスト範囲は詩と物語文の読解が主なものだった。兄は黙ったまま教科書を読んでいく。冬路だけでなく、夏樹も私も慌ててノート片手に兄がそれらを読み終えるのを待った。パタン、と教科書が閉じられる。私達は一斉に兄に注目し、息を呑んだ。大きく深呼吸をした清々しい顔をした兄は、やがて私たちに教科書を返してこう言った。

 「…何度読んでも良い話だ!」

 冬路の手から、力なくノートが抜け落ちた。
 おとめ座の兄の好きな科目は、家庭科と国語だ。



 気持ちの良い風に吹かれ、朝の空気を吸い込んだ。珍しく早めの出発をした今日は自転車の速度にも余裕を感じる。いつもと違い、横に座るように後ろに乗った私は、鞄を抱えて小さな覚悟を決めた。


 「ちょっとさ、そのまま聞いてよ」
 「んー?」


 多分とんでもない話が飛び出すのは予想がついたと思うけど、夏樹は軽い返事を私に返す。つい甘えて見落としそうになるその優しさはうちの兄、唯と似ている。
 ゴクリとつばを飲み込むとなるべく軽く済ませてしまおうといっきに口に出した。


 「私冬路が好きなんだ」


 一瞬、夏樹の体がピクリとして目だけで私を見たのが分かった。だけど気付かないふりをする。夏樹も私に動揺を見せないようにする。何事も無かったように少し体を硬くしながら自転車をこぐ。
 「ちゃんとするから、夏樹にだけは知ってて欲しかったの。私達が、今まで通りのままいられるように」


 ふいに自転車がゆっくりと止まって、前を向いたままの夏樹がポツンと言葉を落とした。


 「…分かんねぇ。その‘好き’は分かんねぇよ。俺はみんな好きで、みんな友達だけど…その好きとは違うんだろ?」


 夏樹がどんな顔してるか、考えなくたって分かる。私はどっかでそれを分かってた。だけど、言った。そんな顔をさせたいわけじゃないけど、それでも私は女の子としてのワガママを夏樹にきいてほしかったんだ。


 「みんなじゃ嫌なの。私だけ特別じゃなきゃ嫌なの。イチゴショートの上に乗ってるイチゴみたいに」
「…それなら、今まで通りじゃ嫌なんじゃねぇの?」


 硬い声を出しながらも夏樹の足はゆっくりとペダルをこいだ。いつもより穏やかに拭く風を受けてコマ送りの景色を眺めながら大きく溜息をついた。


 「そこが複雑なんだなぁ。…でも、今のままが一番好きだからそれでいいの♪」
 「やっぱ分かんねぇや」


 足を休めないままで嘆いた夏樹におどけて「もう少し大人になったら分かるよ」と言ってやりながら実は胸のつかえが取れたみたいにほっとしていた。

 ショートケーキのイチゴは主役の座に乗っているのに、甘くない。イチゴは甘いはずなのに、生クリームと掛け合わされてみずみずしい酸味がきいている。冬路は私にどこまでも優しい。いつまでも優しい。優しすぎて、どんなに待っても酸味を与えてはくれない。それがあってこその特別なのに、それだけは絶対にくれない。


 私の言葉は、ひどく自分勝手でワガママだったと思う。だけど聞いて欲しかった。他の誰でもない夏樹に。それは夏樹と冬路が双子だからとか、そんなおかしな理由じゃなく。やがて肩を使ってため息をついた夏樹はさっきより大きくペダルを漕ぎはじめた。

 「明日香、いつまでも寝てんじゃねーよ。とばすぞ!」
 「はぁ?私ちゃんと乗ってないんだけど!」
 「振り落とされねーように踏ん張ればいいだろ!言っとくけど全速力だ!」


 迷いの無くなった背中に必死で掴まって文句を言いながら笑った。



 それは帰り支度をしていたときのこと。あたりはざわついていて、我先にと帰る者、分からない問題の教え合いをする者、数人で集まり今日の勉強会という名のお喋りの場所の相談をするものもいた。


 「明日香さ、今から大丈夫?」


 急に声が聞こえて振り向くと廊下の窓越しに冬路が片手に鞄を持ち立っていた。


 「何?」
 「フルート、聴いてくれない?」


 いつもと変わらないくせに、どこか気落ちした冬路はよく見ると杖のようにフルートを掴んでいる。乱暴に鞄を持ち上げては内心荒くため息をつき、廊下に出る。

 「屋上に行こう」


 微笑んだ冬路が先を歩く。昇降口ら向かう生徒たちの波に逆らい階段を上る。扉を開けると明るい空が広がって、静かに風が吹いた。突っ立っている冬路に構わず奥に進み、フェンスを背もたれにして座り込む。両足を広げてみると気持ちがいい。日中なら太陽の光でぽかぽかしていただろうコンクリートの床は、今はもう冷えて冷たい。

 「何ボーっとしてんの?座れば」

 床を叩いて呼ぶと、隣に座った冬路は同じように両足を前に投げだした。

 「女の子が足広げてる」
 「うるさい!たまにはいーの!」


 ふんぞり返って腕組をして、スカートから出た細くない足をいっそう開き、鼻で息を吐いた。子供みたいに頭を思い切りそらしたのは染まった頬を見られたくなかったから。
 心地よい沈黙の後、冬路のフルートの音が聞こえた。ここはお気に入りの場所なんだって、音色でそれが分かる。以前聞いたときとはまた音色が違っている。優しい音色が少し悲しい。涙が乾いたような、空っぽで、清々しくもある。そう思うのは冬路がそれを許してしまっているから。そーゆーのがなんだかとても冬路らしい。


 「ふられちゃったんだ」

 フルートを無造作に隣に置いた冬路が軽い口調でポツリと言った。

 「好きだったんだけどなぁ」