いちごのショートケーキ 6
愁兄みたいに優しい気の利いた言葉をくれるわけじゃない。こっちの気持ちを全部分かっていてくれるはずがない。冬路みたいに、優しく笑って待っててくれるわけじゃない。私が立ち止まったことに気付かなかったし、訳を聞いて慰めてくれるわけでもないし。第一私を女の子として扱ったことが無い。だけど今、隣にいてくれたのが夏樹で良かったと思った。
私が好きな苺は最近はビニールハウスで育つことが多くて、その中でそれぞれ色々な苺になる。自然に育つイチゴよりも「甘くという合言葉で品種改良されてしまうものがほとんどだと思う。すべては消費者のために。
だけど私は苺の気持ちを知らない。消費者のためにと、姿を変えていく苺は一体どんな気持ちだったの?受け入れられなければ、きっと捨てられてしまう。・苺はどんな気持ちで、甘くなっていったの?どんな気持ちで変わっていったの?
「高村君、何か良いことあったの?」
部室の扉を開けると高村君がとても楽しそうにお喋りをしている姿があった。
「何もないと思うけど?」
そういって首をかしげてみせた高村君はとても嬉しそうだった。最近の彼は悩ましく、難しい表情をすることがあった。最もその原因の一つに私があることは一応自覚している。
「今日も、一人で自主練習?」
「ソロパート任されたし、頑張らないと!」
彼はあれから、私の前でいっさいフルートを吹かない。サボりではないにしろ、部室にも以前ほど積極的に顔を出してくれない。私は彼の優しさにつけ込んで何度もリクエストを繰り返した。その度に彼はサラリとそれを交わしてしまう。
「じゃあ、フルート聴けないね」
私は彼の演奏が好きだった。彼の繊細な感性で奏でられるフルートはその場の状況によってさまざまな色を見せる。一つの譜面に無限の音色を作り出す彼のフルートがたまらなく好きだった。
「そんなに聞きたい?」
こちらを振り返った高村君の表情は読めなかったけど、構わずに頷いた。禁断症状みたいに、私は彼の音色を覚えていた。
「屋上に行こう」という彼について、部活の始まる音楽室を私は悪びれも無く後にした。
久々に来た屋上は気持ちの良い風が吹いていて、陰った空が寂しかった。
高村君は私の少し前に立って、黙って目の前に広がる景色を見つめていた。軽く手に持ったフルートが光の角度で光っていて、彼等を見分けるための最大の特徴であるサラサラの黒髪が静かに風に揺れていた。
「高村君?」
不安に思って彼の背中に声をかけると、彼は大きく深呼吸してフルートを構えた。
ゆっくりと、初めの音がなる。次の発表会の曲は明るくて爽やかなもの。屋上で聞く高村君のフルートはその上にサラリと大きな優しさを乗せていた。ソロ部分では若い無邪気な明るさをなくさないで、くどく主張しないようにそっと包み込んでいく。小さな酸味の強い苺たちをミルクにつけたみたいな、フレッシュな甘さ。彼の優しい音色が好きだった。
だけど、この音は違う!今、私の目の前でフルートを奏でる高村君は相変わらず私に背を向けているため彼が何を考えているのか分からない。だけど、これは違う!アップテンポの明るい、可愛らしい曲は何故か落ちつかない。それは楽しさ故のことじゃなく、どういうわけかひどく切なくて苦しい。心がギュ~ッと捕まれて動けない。辛くて、明るい音色にそっと寂しさを漏らす。可愛いアップテンポに切なさを隠した。本当は、少し怒ってる。呆れてる。だけどいつものように微笑んで「仕方ないな」って許してくれる。優しい高村君だから。
私は本当は知っていた。だから、ずっと気付きたくなかったんだ。分かってた。高村君が私を好きだってこと。あの言葉が真剣だったことも、彼は優しい人だからこそ、私とあの場所を切り離さないでいてくれたことも。私はずっとそれを知っていた。知っていたのに。彼の優しさに甘えて、ふたをしていた。
「だから、森下さんの前では吹きたくないって言ったんだよ」
音が止んだことに気付かなかった。高村君が少し呆れ顔で私を見ていた。いつもと何も変わらない高村君が微笑む。だけど、私はやっと気付いた。ずっと、気付きたくなんかなかったことに。気付かなければ、いけなかったことに。
「私…ごめんね。ずっと気付かないでいて」
「俺、入学した頃から森下さんのこと好きだったよ」
世間話をするかのように軽い調子で高村君は私に言葉をくれた。その優しさに目がかすんで、涙が頬を伝った。
「…ありがとう。ごめんなさい」
私は彼が私を想ってくれているのとは違う気持ちで彼を好きだった。それは尊敬という言葉に当てはまるかもしれない。彼はこんなズルイ私を好きだと言ってくれた。
「うん。それが聞きたかった」
高村君はそういって私に今まで見た中で一番の笑顔をくれた。
作品名:いちごのショートケーキ 6 作家名:日和