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そして、境界線

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1.



 ガサリ。片手に持ったビニール袋の中は既に通例となっている食料品やら日用品やらで一杯で、数日前に友人に言われた「通い妻」なんて呼び方が頭を過った。もっとも、半同居状態でパラサイトしていると言う事実を知らない友人、だが。
 慣れた手つきで合鍵をポケットから取り出す。最近はキーホルダーも携帯ストラップも混ぜて多量に付けているのが女子のみならず男子にも広がりつつある流行らしいが、基本的に必要最低限をポケットへ入れて身一つで出掛けるのが好きな自分には縁遠い話だった。味気のない鈴付きの交通安全のお守りと一緒になっている合鍵で、鍵を開ける。

「せんぱぁい?」

 嗚呼、通い妻って言うよりも押しかけ女房だな。不意に思い浮かんだそれを胸中で笑えば、もそりと人の起き上がる気配がした。
 遮光性が高いカーテンによって判らないのだろうけれど、窓の外は冬にしては随分と暖かい日差しが照っていますよ。まぁ、太陽が天辺に近いのだから当たり前だけれど。
 小さくはない声で独り言宜しく呟きながら、玄関と呼ぶには少々手狭な場所に靴を脱いで上がると、キッチン兼通路との間を遮る為に付けてあるカーテンの間から白い手がにょきっと伸ばされる。慣れていても心臓に悪い、先輩の手だ。
「今、何時?」
「11時半ですよ。そろそろ仕度しないと待ち合わせ時間に遅れるんで」
 そう言いながら伸ばされた手へ買って来たばかりのミネラルウォーターを差し出せば、少しの躊躇いもなくカーテンの中に腕は戻されてキャップを開ける音がした。あまりにも当然のように受け取る動作に釈然としないものを感じつつ、意趣返しにスパークリングウォーターを渡しても別段彼は気にしないだろう、なんて判っているから無意味な事はしない性質だ。
 小さなキッチンの流し台には、彼を象徴するように缶チューハイが数本、タワーになって積み上げられている。
「…俺が居ないと際限なく飲むもんなぁ…」
「んァ?何だ?」
 何でもない、と返しながら流し台の下、観音開きになっているスペースに常備しておいた市販の指定ごみ袋を取り出した。もっとも、飲んで面倒になった時以外はそれなりに整頓されているキッチンを片付けるのなぞ数分で済む。
 着替えている気配をカーテンの向こう側で感じながら幾分か広くなった其処に買ってきた昼飯の準備を広げていると、不意にポケットの中で携帯が震えた。
「…げ、」
「なぁ、そう言えばお前の後輩って…」
「インフルエンザで自宅軟禁だそうです、アイツ」
 正しくグッドタイミングと呼ぶべきか、それ以上に不幸な奴と言うべきか。
 話をすれば何とやら。携帯に入ってきたメールの送信者の名前に何か嫌な予感を過らせたと前置きしながら白い封筒のアイコンをクリックすればそんな、悲痛さ漂う文面が視界に入ってくる。読み上げるように告げれば、「マジかよ」と呆れるような同情するような声が小さく応えた。
 先輩と俺は、同じ大学に通っている。学年も学部も違う為、広い構内では殆ど会う事も無い筈だったろうに、俺達は出会った。俺はそれを勝手に運命と呼んでいる。
「可哀そうにな…本気っぽかったのに、今日の合コン」
 アンタもな。音にはしない儘、胸中で突っ込みを入れてやれば、それに促されるようにカーテンが開かれる。締め切られた儘の薄ぼんやりとした部屋の中でも輪郭が判るのは、俺の目が暗闇に慣れているからか、先輩の気配に慣れているからか。眠そうに眦を擦るジェスチャー、それでも声だけが楽しげに「おはよう」と告げた。


■□■□



 少し固そうな長めの黒髪、線の薄い体つきをしているけれど頼りなさを感じる訳でもないその人が一年上の先輩だと知ったのは、俺がまだ期待と夢に胸を膨らませていた新入生だった5月の頭だ。
 レポートを片手に、本を読みながら歩く。傍目から見ても危なっかしい人を周りの人たちは遠巻きに眺めているようで、ざわざわと喧噪を背中に引き連れていたが当の本人は全くもって無自覚。余程集中していたのか、周りを気にしない人なのか。
 そういう俺も、周りを見て歩けと言われてばかりだったので人の事をとやかくは言えないけれど、つまりはそう、俺達は、盛大にぶつかった。
 はらはらと白いレポート用紙が空を舞い、地面にばらばらと広がり落ちていく本。いっそ季節はずれの華吹雪のように綺麗に散ったレポートを呆然と見る2人。
「ぁ、…済みません」
 呆けていた事に気付いたのはレポートの一枚が風に舞って、舞って、舞って、そりゃもう遠くへと飛んで行ってしまった頃だった。
 慌てて見える分のレポートを拾う。
「す、すんませんっ!枚数は!?」
「……ぁ、嗚呼…ぇと、」
 切れ長の目、通った鼻筋のライン、苦く笑う唇。俺が彼を、願書の時の人だと気付いたのはその時だった。しかして、彼からのレスポンスは存外に低くてテンションも底辺を這うような感じ。散らばったレポートを数えようともしない。
「大丈夫、ッスか?」
 もしかして、そこまでショックだったか?さっきの一枚、やっぱり取りに行った方が良いよな?
 段々と重く圧し掛かってくる無言のプレッシャーに耐え兼ねて走ろうかと思えば、其処で漸く彼は悪戯っ子のように双眸を細めて笑ってみせた。どちらかと言えば諦観が混ざっているようにも見える、ひどく厭世的な表情で。


「…白紙だから、コレ」



■□■□




 先輩と入れ替わりに部屋の奥のカーテンを開けば、暗闇に慣れた目にはツライ、眩しい程の日差しが一気に部屋中を満たした。おお、イイ天気だな。呑気な声が背中に掛かる。
「俺の普段の行いが良いもんで」
「うっわ、嘘くせぇ…」
 間髪入れずの突っ込み、ありがとう御座います。声にはしなくとも伝わったのか、やはり年上と呼ぶには無邪気な雰囲気を残す笑みが、にやりと返った。まぁ、それ位のアイコンタクト的なやり取りが出来る仲だ。良くも悪くも。
 所狭しと重ね上げられた文学書の山の上に置かれた眼鏡を取り、細いフレームのそれを掛ける仕草はひどく様になっている。部屋の片隅に置かれたパソコンデスク一式の横へ手慣れた様子で布団を畳むアクションも独り暮らし歴が長い事を物語っていて、妙に羨ましさと寂しさが混ざった。
「…で、3対2でやんの?」
 何を、と尋ねずとも今日の話題は恐らく全て夕方からのスケジュールである合コンが占めているのは明らか。セッティングの為に奔走した俺へ探りを入れてくる時点で、先輩がどれだけ今日を楽しみにしていたかが窺えて笑えてくる。勿論、苦笑い。
 今日の合コンは、人文学部3年の先輩と建築学部2年の俺、1年の後輩が男性陣の予定だった。勿論、今から誰かを探すのもアリだろうが、男が何人減ろうと女が減らない限り気にしないのは合コン男子の暗黙の了解。死して屍拾うもの無し。インフルエンザとかお前、今日この日に判明したなんて馬鹿じゃねぇの!?状態である。
 元から3対3の計6人メンバーは少ない方だが、友人同士の飲み会の延長である合コンなんだしこの際だから気にしてもしょうがない。
「そうしましょ。俺、女性陣にメールしときます」
「おぅ、頼む」
 嬉しそうに笑ってくれる。
作品名:そして、境界線 作家名:シント