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アイラブ桐生・第三部 第三章 34~35

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<後記>

事件はこれだけにとどまらず、
第2次のコザ事件が、わずかその半年後にさらに発生をします。
翌1971年8月17日に発生したこの暴動事件は、
前回とは異なり白人・黒人間の人種差別問題なども絡んだ、
きわめて複雑な事件となりました。

 泥沼化の様相を呈してきた、ベトナム戦争の後期、
アメリカ本国で盛り上がってきた反戦の機運と公民権を求める運動は、
沖縄に駐留する黒人兵たちの間にも波及をしてきました。


 事件が起きた1971年には、キャンプ・シュワブや
普天間基地などの基地内で、いくつかの反人種差別暴動が起きています。
当時のコザ市の歓楽街は、人種ごとに二分をされていました。
ゲート通りやセンター通り(現中央パークアベニュー)が「白人街」、
照屋地区が「黒人街」と区分されていました。



 そのために黒人が「白人街」に、白人が「黒人街」に来ると
即座に叩き出されるという争いが常に絶えません。
黒人の一部急進派は「白人街から白人を締め出して、
コザ市全域を黒人街にしよう」と呼号し、ゲート通りやセンター通りに
集団で繰り出すようになりました。


 1971年8月17日午前0時半、
黒人グループ約50人がセンター通りで
「反人種差別」を掲げてデモ行進をして、
白人御用達のバーやクラブなどを襲撃しました。
これを見ていた地元の住民たちが激怒をして、約100人が
黒人グループたちのと睨み合いになります。
琉球警察コザ警察署(現・沖縄警察署)から署員たちが到着をすると、
黒人グループは一目散に逃げ出し、群集は追いかけますが
結局見失ってしまいます。


 ちょうどその時に黒人が運転する車が
タクシーとの接触事故を起こし、米軍憲兵が駆けつけていたことから、
今度は抗議の矛先が、この憲兵たちに向けられました。
憲兵がコザ署に逃げ込んだために、群衆はコザ署へ押しかけ、
「黒人の暴動を許すな」と叫びながら投石を繰り返し、
署の窓ガラスを割りました。
第二次コザ暴動と呼ばれたこの事件は、
その後に機動隊が駆けつけたことで、約2時間あまりで沈静化をします。


 米軍当局は、その後しばらく
「コンディション・グリーン」を発令して再発の防止に努めました。



 ※米軍当局による規制措置のことで、
 対象地域内では米軍関係者(家族も含む)は、車での
 通過以外の立入が禁止されました※




 72年に実現した沖縄の本土への復帰も
多くの火種を残したままの主権の回復になってしまいます。
沖縄県民があれほど強く要望をしていた、
『軍事基地抜きの本土復帰』は果たされることなく
米軍の基地を満載したままの本土復帰は、その後も米軍兵による
悲惨な事件を引き起こします。


 沖縄県民の願いは、一向に果たされることなく
あれから40年近くたった今でも基地問題はくすぶり続けています。

 昨日の米大統領は、東南アジアにおいて
同盟国による一層の軍事協力を強調しました。
これがいまでも続く、沖縄の実態、そのものといえるでしょう。

・後記の部分は、2012・1/7に追加しました。