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中川 京人
中川 京人
novelistID. 32501
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自殺の理由

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老舗の書肆が軒を連ねる学生の街──。
 そういう風景を、田舎に生まれ育った自分は知らなかった。
 自分は、はるばる都会に出てきた田舎者の蝿なのである。ある書店の売り場へと、人の流れとともに運ばれてきた。
 新刊の平積みの上に止まり、たったいま目の前をかすめた腕の行き先を眺めている。
 書架から抜き出そうとして、若者の白く巨大な人差し指が伸ばされていた。
 本は黄色味を帯びたベージュ色の装丁で、『自殺の理由』との表題があった。
 手に取った若者はハードカバーの表紙を返し、目次を見ようとしている。
 自分は目をつぶって、人間だったときのことを思い返していた。


『海亀のスープ』と名付けられた有名な問題がある。
 古かろうが既出だろうが、わたしには重大である。
 この問題文は、こう締めくくる。
 ──どうして船乗りは自殺をしてしまったのだろうか?
 解答はさておくとして、わたしが注目するのは、自殺をした理由を問われて、答を出そうとする解答者の姿勢である。
 わたしは問題を出した友人に逆に聞き返した。ふたりとも真面目な青年だった。
 ──いったいみんなが「ああそれじゃ自殺しても無理ないね」と思えるような、そんな理由がこの世にあるのか。あると思う方がおかしいんじゃないか。
 助手席の友人は、面倒くさそうに、あるとしろ、と言ってまた黙り込んだ。

 いっぽう文学においては、偉そうに言うが、この態度(納得のできる自殺のように「死」を文脈に置くやり方)は命取りになるのではないだろうか。
 あくまでも死は異物であり、厄介者であり、面倒くさくて、とうてい受け入れられないものである。
 自殺はそれでも起こる。
 理由において80点をもらったから生じたのではない。
 合格点などない。
 わたしは、なかなか解答にたどり着けなかったが、たとえどんな正解を聞くにしろ、こう言い返してやろうと思っていた。
 ──そんなことで自殺なんかするかよ。
 でもだめだった。
 わたしは正解を出してしまった。
 ああこれが正解なんだと認識しながら。
 それなら船乗りを自殺に追いやったのは、自分かもしれないと思いながら。


 ……。
 いくらかページを繰っていた指の持ち主は、短く嘆息して、本を元の棚にはじき返した。
 何かつぶやいていたけれど、蝿の自分には聞き取れなかった。
作品名:自殺の理由 作家名:中川 京人