入ったもの出たもの ―しんにゅう―
(こうなるのか……)
布団の中、壁と向き合うように横向きに寝転がったカクタスは、もう何度繰り返したのかも分からない呟きを内心で零す。
ミサキが二人の部屋を訪れて半刻が経過した現在。彼はこの部屋に敷かれた二組の布団の内、部屋の奥の方の布団の中にいる。もう一つの布団は、アッシュとミサキが一緒に使っていた。
『俺の布団で一緒に寝ればいいよ』
(出て行く!)
それを聞いた途端、カクタスはよっぽどそう言いたかったが、
「おやすみ」
その前に兄は早早に後輩を自らの布団の中に引き込んで、自分も潜りそう言ってしまった。
何も言えない空気が部屋中に満ちてしまい、仕方なく自分の布団に潜り込んだのだ。それだけでも居辛いというのに隣からは、
「アッシュ先輩の手は、温かいですね」
「ミサキちゃんの手は冷たいねぇ」
などという仲睦まじげな会話までひそひそと聞こえてきてしまう。
カクタスの心境は今、やるせなさで一杯であった。
(くそっ、だから頭の良い奴は面倒なんだ)
(こういう時にも頭の回転が早いんだから……)
内心呟いて、彼は無理矢理にでも二人の会話を頭から締め出そうときつく目を閉じる。
視界が黒に覆われると、ひそひそ話も少しばかり遠退いていったような気がしたが、意識だけはなかなか闇に覆われず、そうしている内に背後の会話も途絶えていった。
そして風の音のみが満ちる部屋の中、カクタスは一人取り残されてしまう。
(眠れねぇ……)
意識は未だ明瞭に存在していて、眠気に鈍る気配さえ見せない。
すっかり目が冴えてしまった彼は、どうにか眠ろうと布団の中でごろんと寝返りを打つ。
――とん。
ふと、目前の床に何かが当たる音がする。
(ん?)
それに気を取られた間にも――とんとん――軽い音は一定の間隔を置いて遠ざかっていく。
(なんだ、小便か?)
足音のようなそれに、カクタスは直ぐに兄か後輩のどちらかがもよおしたのだと思ったのだが、足音はどうしてかまた大きくなってくる。
(…………?)
足音は一度部屋の入口に向かって行った後、戸のある壁に沿って足の下の方に向かい、またカクタスの頭上に向かって目前を横切っていく。
足音は、彼の聞き間違いではなければ部屋を一回転した。
(何してるんだ?)
不思議に思いながらも目を開けること無く、カクタスは意識のみを足音に向ける。
軽いその音は数度同じ動きを繰り返していたと思うと、やがてからり――戸を開けた。一瞬、冷風が部屋の中に入り込んだ。戸が閉まる音と共に直ぐに止み、部屋の中には再び風の音だけが満ちる。
カクタスは目を開き、障子の向こうを歩いていく影をぼんやりと見送った後、むくりと身体を起こす。
先程、妙な動きをしたのがどちらなのかが気になったのだ。
(どっちだ?)
闇に慣れた目で隣の布団を覗き込む。
白い布団の上に、闇夜でも妙に目立つアッシュの髪が広がっているのを視認する。続けて端正な彼の横顔も目に入る。
(出ていったのはミサキ君か……)
そう考えたカクタスが再び寝直そうと視線を彼から背けた。すると、
(…………!?)
兄の傍らで、もぞり。何かが動いた。
視界の片隅にそれを見付けたカクタスは、慌てて再び向き直る。
(……!?)
途端、彼は驚愕で顔を歪ませた。
(な……)
そこには、すやすやと眠る少女の顔が出ていたのだ。
(どうして……さっき、出ていったはずじゃ)
自分の見た光景が信じられず、カクタスはミサキに向けてそっと手を伸ばす。震える指先で触れた頬は、温かった。
(!)
肌の温かさを認めた彼は、そのことからある疑問に行き着いた。背筋に冷たいものが走る。カクタスは直ぐに手を離し、布団の中に潜り込んだ。彼の意識は、さらに冴えて、凍りついてしまっていた。
(じゃあ、部屋から出ていったのは誰なんだ?)
頭の中をぐるぐると駆け巡る疑問に思考を奪われながら、無意識の内に布団をきつく握り締める。
答えの出ない疑問に気を取られたカクタス少年。結局、一睡も出来ないまま朝を迎えてしまった。
作品名:入ったもの出たもの ―しんにゅう― 作家名:狂言巡