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欠片

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 相談員の女性は何も言えない俺をまるで困った子供を見るかのような眼で見、叔父夫婦に向き直って、困ったことがあれば此方に来て下さい――と言った。つまり俺はまた叔父夫婦の許に戻らなければならなくなった。
「行くぞ。ノーマン」
 叔父がぐいと俺の手を掴む。俺は何も言えないまま、叔父の後をついて歩くことしか出来なかった。

 俺は漸く見つけた楽園からも追放されてしまった。
「誰に養ってもらってると思ってる!?」
 家に到着するなり、叔父は強かに俺を殴りつけた。腹を何度も蹴り、俺が咳き込むと、首をぐいと掴んだ。
「……ッ、う……ッ」
「よく憶えておけ。逆らったらどうなるかをな!」
 気が遠くなる寸前に、叔父の手が放れた。
 泣きたくとも泣けなかった。泣けばまた叩かれる。それに喉が潰れて声も出なかった。

 ジュニアスクールに通い始めた頃にも、相談員が家を訪れたことがある。しかし、叔父や叔母はその都度、巧みに誤魔化した。彼等はそうした彼等の言葉を信じ、俺はそれ以降、保護されることがなかった。そうして相談員が訪れるたび、俺は虚言癖のある子供というレッテルを貼られ、友達も出来ない状態に追い込まれた。
 幼い頃、俺の居場所は何処にも無かった。
 家を出て行くことも出来なかった。一人きりになるのは不安で堪らなかったから――。

 ジュニアスクールの卒業前に、士官学校の幼年コースを受験した。叔父に頼み込んで、受験させてもらった。寄宿制で金もかからないから、叔父も反対することはなかった。
 だが――。 
 不合格だった。筆記試験は散々な結果だった。試験問題を前にした時、俺はまったく答えられなかった。見たことのない問題ばかりで、半分も解答出来なかった。
 当然といえば当然だった。幼年コースは軍のエリートを養成するところで、入学試験も非常に難しく、合格者は受験者数の一割にも満たない。そんな難関校を受験するというのに、俺はそれまで勉強をしたことがなかった。学校以外で勉強しようにも、家に帰れば用を言いつけられる。専用の机も無ければ、一人で勉強出来る環境でもなかった。
 不合格通知を受け取った俺を、叔父は嘲笑した。もしかしたら高校には行かせてもらえないかもしれない――と危惧したが、母が遺言を残してあったおかげで、公立の高校には通わせてもらえることになった。

 そのことは後になってから知ったことだった。
 掃除を命じられて箪笥の中を掃除していたところ、遺言書を見つけた。母が代理人を立てて執筆したもので、法的な拘束力を持つものだった。其処には、この家の名義人は俺とすること、大学まで進学させること――その条件の代わりに、父が祖父から受け継いだ株の名義を変更し、預貯金を引き渡すとの文言が綴られていた。其処に書かれてある額はかなりの額で、叔父夫婦が遊び暮らせる理由を見いだしたように思った。
 その遺言書を見て叔父夫婦へ一層の腹立たしさを覚えながらも、俺はきちんとした大人になろうと心に決めた。母が大学への進学さえも考えていてくれたということは、何よりの母からの愛情であるように思われた。
 だがきっと俺が大学に進学するためのお金はもう残っていないだろう。それこそ母は、父が亡くなって自分が働きながら生活費を工面していた。きっと手元にある金は残しておいて、俺の進学資金としようと思っていたのだろう。残念ながらその金は叔父夫婦の遊興費へと消えていった。
 だから――、きちんと勉強して立派な大人になるためには、俺は軍人となるしかなかった。士官学校を受験する機会はもう一度ある。それは高校卒業後に幼年コース出身者と共に入学する上級士官コースというもので、その時にもう一度受験して、何としても合格しなければならなかった。
 そのために、高校に入学してからは一日の大半を学校で過ごした。授業を終えたら図書館に行き、ひたすら勉強した。一年生の時から三年後の試験のことを考えていた。
「ノーマン! 毎日毎日遅く帰ってきて! 庭掃除を忘れたのかい!」
 叔父も叔母も苛立っていた。叔父は相変わらず俺を殴り、幼い頃のように服従させようとし、叔母は俺の食事を何度も抜いた。叔父夫婦にも学校にも内緒で、レストランの皿洗いのアルバイトをしたこともある。その金で、空腹の時には物を買って食べ、参考書も買った。高校の三年間を思い返しても、勉強した記憶ばかりだった。その甲斐あって、中堅校だった校内では常に首席を取り、士官学校にも合格できた。
 合格したとき、どんなに嬉しかったか――。
 叔父夫婦の許から放れることが出来る。これでもう自由の身だ――。
 それに上級士官コースなら佐官から始まって、将官にもなることが出来る。母が望んでいた立派な人間になることが出来る。

 士官学校でも勉強に励んだ。叔父夫婦の存在もあるから、俺は当たり障りのない人付き合いをしていた。それに、士官学校の学生達は比較的裕福な家庭の出身である学生が多く、俺は深い付き合いが出来そうになかった。適当に話を合わせておいて、敵を作らないように心掛けた。
 それが、三年となった時、ジャンと出会った。ジャン・ヴァロワはひとつ年下の後輩で、このレベルの高い士官学校において、優秀な成績を修めている男だった。士官学校のなかにおいて、彼だけは特別だった。着飾ることもない自然体の男で、成績優秀であるにも関わらず、それを誇ることもない、珍しい人間だった。
 皆が変人だと囁きあっていたが、俺はそうは思わなかった。
 話をして、ジャン・ヴァロワという人間を知れば知るほど、彼こそ普通の人間だと感じた。
 俺は初めて親友と呼べる人間と出会えた。親友を作る余裕が出来るようになったということもあるだろうが――。
 その最初の親友であるジャンに、俺は全てを打ち明けた。ジャンは真摯にそれを聞いてくれ、また時には相談にも乗ってくれた。真の意味での親友だった。
「俺だったら早々に家出していますよ。先輩は優しいから……」
「違うんだ、ジャン。家出は出来なかったんだ。高校の頃、何度も家出を考えてはそれが出来なかった。叔父夫婦が怖くて、逃げることさえも出来なかったんだ」
 家出したいと思っても出来なかった。勿論、経済的な理由もある。いくらアルバイトをしても貰える金は僅かで、生活を成り立たせることは出来ない。では進学を諦めるかと考えた時、俺はどうしてもそれだけは踏み切れなかった。母の言葉が――母の願いは叶えたかったから。
 正当な理由で家を出て行く以外に道はなかった。
 母が亡くなってから士官学校に入るまでの13年間は、恐怖と不安の連続だった。あの13年間で一生分の恐怖を抱いたかもしれない。
 ただ皮肉なことに、叔父の暴力に絶え続けたために体技は抜群に良かった。受身、そして俊敏さ――それは俺の身体に染みついていた。そして体技と、元々興味のあった用兵の成績が優れていたことから、俺は卒業後、帝国陸軍部軍務局特務派に所属することになった。


作品名:欠片 作家名:常磐