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あの夏の向こう側

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僕には、誰にも言えない秘密があった。幼い頃は悪夢でもあって、いつからかそれは秘密になっていった。正しく言い表すなら「内緒」かもしれない。頑なに隠さなければいけないものではなく、ただお互いが人差し指を立ててほくそ笑むような、そんな類のものだった。
 盆にしか帰らない、母の実家。僕の内緒であり悪夢だったものは、ここにいる。

「はやく起きなさい。もう着いたから」
「はいはい」
 新幹線から万年赤字の在来線に乗り換え、その最寄りの駅からレンタカーを借りてゆられること一時間弱。そんな辺鄙なところに母の実家はあった。
 じりじりと太陽に照りつけられながら眠気眼で玄関を遠目に見ると、柱に寄っかかっている女子中学生に気がついた。夏の制服の白が目に眩しい。彼女も僕に気がついていたらしく、大きく手を振った。それに合わせて栗色の髪の束が二つ揺れていた。僕も母にバレないように気をつけながら、小さく手をひらひらして見せた。
「おお! いっくん、また大きくなったねえ。もう将也さん抜いたんじゃないの?」
 玄関に近づくと、久しぶりなのをいいことにマシンガンのように喋りかけてくる。彼女の事情を考えれば無理はないのだが、小さい頃の呼び名で呼ばれるのは気分が良くなかった。
 そういう理由もあって、僕は彼女を無視して家に入った。家の中から冷気が感じられて息をつく。彼女は気にせず僕の後ろをついてきた。最後に上がった僕が玄関の戸を閉め、靴を脱いでいると、突然背後から彼女に飛びつかれた。
「いっくんお疲れ!」
「ちょっ……!」
 思い切り前につんのめった僕を見て、母が怪訝そうな顔をした。僕は自分の口を押さえる。
「斎、何してるの?」
「いや、何でもない。屈んだら背中つりそうになっちゃって」
 あっそう、と言いながら、母は荷物の整頓をしに祖母のいる和室に向かった。これでようやくここには僕と彼女の二人だけになったことになる。僕は声を潜めて、背後の彼女に話しかけた。
「いっくんって呼ぶな、もう僕は食べ盛りの男子高校生なんだから。それとまだ親父の身長は抜けてない。あと、母さん達がいるところで騒がない!」
 一息の僕の言葉を聞いて、彼女は僕の背中から離れたようだった。振り返って顔を見てみると、つまらなさそうな表情をしている。
「だって、みんなが来るの一年振りじゃん。おばさん、寂しすぎて成仏しちゃうかと思ったよ」
 この人をおちょくったような発言は、全て真実である。彼女は僕の母の姉――つまりは僕の伯母であり、中学三年の時に交通事故で死んでいるのだ。
「普段はばあちゃんがいるでしょ。ポルターガイストでも起こせばいいのに」
「やだなあ、私は斎がいないと物を動かせないの知ってるでしょ?」
 これが、僕の内緒であり、悪夢だ。小さい頃から、どうしてか僕だけに伯母の姿が見えた。母に何度訴えても不思議な顔をされ、時には怒られることもあった。幼い僕は、伯母を怖い幽霊だと認識していた。なるべく目を合わせないようにしていたし、言葉を交わすなんて有り得ない。この家に来ることが、即ち僕の悪夢だった。
 小学校中学年になって、部屋の隅に座っている伯母の姿がもの寂しそうで、初めて自分から声を掛けた。彼女は近所のお姉さんと変わらない優しい顔をして、僕と遊んでくれた。一人っ子の上、両親が共働きの僕にとって、伯母はかけがえのない遊び相手となった。この家に来ると、母はいつも同窓会に出掛けてしまうし、祖母は腰が悪くて遊んでもらうには忍びなかった。
 ある時、母に伯母の正体を言いかけたことがあった。すると伯母は僕の前にしゃがみ込み、口に人差し指を立てて「私のことは内緒だよ」と言ったと思う。それから僕は、伯母のことは誰にも話さないままでいる。
 僕が何度この家を訪ねても、彼女の姿は全く変わらなかった。気がつけばその背も、その年齢もとうに追い抜いてしまっていた。彼女も生きていたら四十代だから、考えていることは少しおばさんくさかったりするが、やはり中学三年生の女の子が顔を見せることがしばしばある。僕はその度に、なんだか同情のようなものを感じてしまうのだ。
「じゃあ、今なら好きなことできるじゃん。やっちゃえやっちゃえ」
「それはそれでやだなあ。斎が来ると嬉しいけど、足音にも気をつけなきゃいけないんだよね。ボロ家だから」
 僕は自分の荷物を持って、二階に上がった。ここで僕がいつも使っているのは、伯母が生前使っていた部屋だ。
「僕に触らなければいいだけの話だろ、郁子おばさん」
「あっ、おばさんって呼ばないでって言ってるじゃない!」
 僕はクスリと笑って部屋のドアを開けた。
「お返しだって。膨れんなよ、郁」
 伯母は、「郁」と呼ばれるのがお気に入りだった。子の付く名前は古くさいと生前から思っていたらしい。昔は「郁ちゃん」なんて呼んでいたが、僕が彼女と同じ年齢になった辺りで「郁」に変えた。まるで、彼女を妹扱いをしているみたいで不快だったのだ。
「この世のどこに伯母より年上の甥がいるもんですか」
「あの世とか?」
「誰が上手いことを言えと」
 世の幽霊がどのように定義されているかは知らないが、郁についてはこれまでの経験である程度分かっていることがある。郁は、僕にとってはただの人間で、宙に浮くこともできなければ、おそらく壁を通り抜けることもできない。ただ、僕に触れている間だけ、彼女は僕以外の人に見えないというだけで、物に触ることもできる。物理法則は完全に適応されるのだ。逆に、僕に触れていなければ彼女は外界に対して影響を与えることはできない。
 かつて、それを利用して彼女と工作をしたことがある。僕が小学生の頃で、確か夏休みの宿題だったものだ。僕は郁の部屋の窓を開けた。生温いを通り越して熱気だったけれど、風は部屋の中に吹き込んで空気の淀みを追い出してくれるようだ。それに呼応するように、風鈴が舞いながら音を鳴らす。これこそが例の工作で、郁の描いた可愛いうさぎの中に一匹だけ不格好なうさぎが紛れている。郁がしゃしゃりでて殆どを描いてしまったため、当時の僕の頑張りが台無しである。当の本人はというと、僕に触れて一年ぶりの風に髪をなびかせている。
「いいねえ、夏! 暑いけど、自然を満喫してるって感じ」
 僕がここに来ている間だけ、彼女は生きている頃に戻れるのだろう。そういうこともあって、郁は僕の訪問を喜んでくれるのだと思う。
 部屋に入って、一番リラックスしているのはやはりこの部屋の持ち主だった。普段は扉が閉められているから、郁は自分の部屋に入ることすら叶わない。
 僕はベッドに座り、郁はというと、僕の肩に手を乗せてベッドを飛び回ってスプリングを鳴らしている。非常に子供っぽいと思うけれど、彼女にとってはとても喜ばしいことなのだろう、きっと。
「重力も久しぶりだ! 斎もここに住んじゃいなよ。大学こっちの方に来るとかさ!」
 郁は弾んだ声で言った。僕は苦笑いして、言うべきことを言った。
「さすがにそれはないかな。僕、東京行きたいし。それに、来年からはここに来なくなると思う」
 ベッドのギシギシが止んだ。彼女が動きを止めたからではなく、彼女が僕から手を離したからだ。不自然にベッドの軋みが消えた。
「どうして?」
作品名:あの夏の向こう側 作家名:さと