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松橋オリザ
松橋オリザ
novelistID. 31570
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立ち読み版 春風(かぜ)が教えてくれたこと

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春風《かぜ》が教えてくれたこと






 その朝、渓谷と台地に囲まれた人口七万人の都下合併都市にあるひばり幼稚園はいつも通りに見えた。
 子供を預け、ひそひそ話をする母親のうちの一人であるキャバクラママ、石原邦子は超ミニに胸の谷間がはっきりわかるタンクトップ姿だ。
 じつは昨夜、若い女性が近くで男に襲われたのだ。この幼稚園の近くと言うことで、被害者をよく知る住民も多い。幸い通行人に助けられ、かすり傷で済んだが、これで二人目だった。
「石原さん、よくお似合いですけど、痴漢に気をつけてくださいよ」
 こう声をかけたのは、山階洸佑《やましなこうすけ》。ひばり幼稚園始まって以来の男性二級教諭だ。
 女子大生と間違われるほどの紅顔ときゃしゃな体躯。そんなコンプレックスも母子の園に職を奉じたことで、どうにか克服できたかと思ったら、着任して半年の今ではお母さん達のいじられアイドルに祭り上げられている。
「私だったら平気よ。洸佑先生こそ、気をつけた方がいいわよ。女の子みたいにきれいだし」
 逆に突っ込まれてしまい、「あは……」と、空笑いするしかない。だが、そんなまずい風向きが、一台の車が駐車場に入ってきたとたんに一変した。
「最上さんよ」
「カッコいいわねえ」
 一人娘の麻衣《まい》を乗せて登園してきた最上祐矢《もがみゆうや》に、母親達がざわつき、熱い視線をなげかける。
 最上は市内のイタリアンレストラン「ミラネーゼ」で、シェフをしている独身バツイチだ。
 イタリア・トリノのレストランで修行を積み、帰国したという彼は数年前に他界した父も有名シェフ、母も料理研究家という血筋のよさ。おまけにその端正なマスクとトリノ仕込みのセンスのよさで、お母さん方には「ひばり幼稚園のミスター・パパ」と呼ばれていた。
 長身で、端正なマスクの最上に視線を向けられれば、そのさわやかさに母親達が騒然とするのがわかるような気がする。
 彼の装いはイタリア製だろう。そうにきまってる。第二ボタンまで開いたシャツに、前を寛げたジャケット。それにモスグリーンのネクタイを丸めてポケットに突っ込んでいるのだが、ちらりと見えるそれはまるでスカーフかと思うほど、意図してコーディネイトされたかのように見える。
 「着崩し」と言う高度なテクニックなのだと、あるお母さんから教わったけど、最上がそれを意図しているようには見えない。すると、それをさりげなく着こなすのが達人なのだと、重ねて助言されたものだ。
 それに比べたら、自分がつるしで買った一張羅の着こなしはまるで七五三だ。と言っても、大学の卒業式と採用面接に着ただけだけど。
 自分のトレーナーにデニム、エプロン姿というみすぼらしさが恥ずかしい。それが夏はTシャツに変わり、真冬には大学時代に保育実習で使ったジャージのブルゾンをひっかけるだけなのだから。
「洸佑先生! おはようございます」
はじけるような挨拶をしながら、年長児室にやってきた麻衣はとても素直で礼儀正しい。父によく似たはっきりした目鼻立ちは子役のタレントみたいだ。
「洸佑先生はいつもさわやかで、デニムとエプロンがよく似合うね」
こう白い歯を見せる最上が同じ男として、うらやましく、これに心奪われて恋に落ちた女性がどれほどいたかを想像してしまう。端正なマスクというのは同性でも、そわそわとさせてしまうものらしい。
 その周りにおもねることない自然体な様は、まぶしく感じられることもあるくらいだ。
 ミラネーゼでも彼のイケメンシェフの呼び声は高く、行列が出来るほどの人気なのだ、とも聞いている。
「そんなこと……。恥ずかしいです。それより、最上さんがシェフの格好したとこ、一度見たいと思ってるんです」
 瞳を至近距離からのぞき込まれ、鼓動がドキンと脈打ったその時、最上は大まじめな表情でこう言ったのだ。
「そう? 僕は先生の裸エプロンが見たいけどね」
「……」
 絶句だ。
(最上さんが、こんなエッチな人だったなんて)
 軽いパニックに陥っていることを感じ、唖然とする洸佑に、最上はどこ吹く風でにっこりと微笑みかけてくる。
「洸佑先生こそ、お母さん達にモテモテだね。先生となら、不倫してみたいっていうお母さん達、けっこういるよ」
「不倫なんて、絶対やです!」
「好きになった人が人妻だったら?」
「わかったら、別れます!」
「その潔癖感が若さだよなあ」
「そんな事で驚くか」と思うくらい、最上は大仰に納得している。
「当たり前でしょ。そんなこと。お仕事、遅れますよ」
「ハイハイ、わかりました。きつい顔したところも可愛いなあ」
初めはもっといやみな感じの人かと思い、自分でもどことなく相手を探っている様な雰囲気があった。それが今では昔から知ってる人みたいで、無遠慮な態度の割にはあまり反発は湧かない。
「洸佑せんせーい! いってきまーす」
 こう言ったのは麻衣ではなく、最上だ。
 砂場の向こうから、まるで子供みたいに手を振る最上に、ぷいと顔をそらし、聞こえないふりをする。
 その広い背中が見えなくなったときには、思わず小さく嘆息していた。
 慣れというのは怖いものだ。そんな破天荒な言動も着任して半年たった今となっては朝の挨拶みたいになっているのだから。






――幼稚園のお母さん達なら、けっこう若いだろ?――
着任した頃に、ばったり出会った高校時代の友人の言葉だ。
 初めのうちは意味がわからなかった洸佑だったが、若い母親にチヤホヤされて、ハーレム状態……。危険な恋も、し放題と言いたいらしい。 
毎日、園児達に振り回され、保護者らに気を使い、一日が終わったときには疲れで、家路が遠く感じるときさえある。
 それなのに、世間の人にはそんな風に見えるのだろうか……と思うと、どうしようも無いジレンマに襲われることもしばしばだった。
休みの日だって、翌週に行事があれば、ミーティングやそのセッティングに出勤する。
 二級教諭の洸佑は毎日、その日あったことをささいなことまで日誌につけなくてはならない。一級教諭で洸佑の指導教諭である杉山あつ子のダメ出しを受け、それをもらうまでは帰れないのだ。
 いや、それがつらいというのではない。怖いのは、そんな有りようが園児達に染みついていると言う事だ。
 よく、洸佑は子供たちにモノマネをされるのだが、そんな自分はいつも、「すみません」とぺこぺこしている姿ばかりなのだった。母親達もそれをわかっていて、大切な事は洸佑を飛び越えて、杉山に直接相談する。
 「自分にも知らせてもらえてたら、無駄手間にならなかったのに」と、思えることは挙げたらきりがない。
 何ひとつ自分で決めることは出来ない上に、いくら誠意を持って望んでも、資格がものを言う職場ではままならないのだ。だが、そんな鬱積をずっと引きずってきた洸佑に、いつしか心の安らぎというべき出来事が起きていたのも事実だ。
 たった二回、顔を会わせただけのあの人。
 一度目は我が子を送ってきたのだろう。さわやかな初夏の朝、駐車場からハンドルを握り、出て行くところだった。でも、誰の母親なのかもわからないし、同僚に聞くのも気が引ける。