自分嫌い同盟
五月中旬の中間テストが終わり、校内での成績が発表されると、張り詰めた空気と目に見えない悪意が、更に波を打って生徒達に押し寄せて浸透していった。
とある梅雨の日の昼休み――この学校では十二時四〇分から十三時二十分――の中頃には、男子生徒の財布が何故か柳川の教室机の中にあって、クラスの一部のグループが、柳川に強引に謝れと迫った。取ったのはお前だろうという言いがかりである。五、六名のグループ女子グループがロッカーの脇に陣取り、男子生徒と、その友達数名が中で彼女に詰め寄っている。それを綱木は、教室に漂うかび臭さに嫌気が差しながら机に伏して聞いていた。
「泥棒!先生に言いつけてやるからな」
「そんな、あたし、やってない・・・」
柳川の小さくしぼんだ声は、他の女子生徒の声でかき消された。
「ダメだよ、ヤナ子は先生に媚び媚びなんだから、どうせ聞いてくれないって」
「ずるがしこいよねぇ」
柳川だから、ヤナ子なのだろう。それに含まれる意味を綱木は知らない。ただ、良い意味で無さそうなのは確かだった。
「んじゃこいつの親にでもちくる?」
「あはは、それいいね、犯罪だもん」
柄の悪い女子生徒は執拗に絡んでくる。男子生徒もそれに合わせて嫌味を飛ばす。綱木が傍目から見ている限りにおいて、彼らは正義を振りかざす悪だ。恐らく財布を盗んだというのも、最初から仕組んでおいたに違いないと綱木は思っていた。ただ、証拠も無かった上に、何より関わり合いになることを彼は避けたかった。別に彼は、彼女のついでに被害を受ける事に対してはどうでもよかった。ただ、自分の可能性を信じてないだけだった。
「ちょっと、何してんの」
秋山が廊下から教室に入ると、泣きじゃくっている柳川を見つけ、咎めた。周りにいた女子も男子も、嫌な奴が来たと言わんばかりに秋山から目を背けた。
「こいつが、俺の財布盗んだんだよ」
盗まれたと主張する男子生徒に、秋山は尋ねた。
「何時、どこで無くしたの」
「ひ、昼休みだ。机の中にしっかりいれてたんだぞ」
男子生徒がたじろいだような声でぼそぼそと喋る。
「昼休み、広子に財布のこと聞いたのは広子が帰ってきて直ぐ?」
「そうだよ」
イライラした口調をあらわにした男子生徒に対して、秋山は怒声をあげた。
「広子はさっきまで私と友達と、一緒にお弁当食べてたのよ。盗れるわけないじゃない」
秋山の決定的な言葉で、柳川を虐めていた生徒達はつまらなそうに雲散霧消していった。
「広子、怖かった?」
「うん・・・でも大丈夫」
「そう」
秋山は、泣くのを止めるまで柳川をなだめていた。
この一連のやりとりを聞いていたのは何も綱木だけではない。昼ご飯を終えて退屈そうに席で友人と喋っていた男子生徒、窓際で談笑を楽しむおとなしげな女子生徒達、或いは校庭で遊んできて帰ってきたばかりの生徒達、しかし皆彼らは傍観者でしかなかった。そして綱木は思う。
(俺たちは最低だ)
多分、そんな意識を欠片も持たないで傍観者に徹した生徒も居ただろう。綱木は、対岸の火事で、その火の粉が降りかからないようにしていたつもりだった。それは正しいか悪いかなど分からない。けれども、人間の良心には反しているだろう。
(俺は最低だ、そんな俺が何かしたところで、変えられない)
本当は、自分が関われば何か変わるのであれば、変えてあげたい。でももし、それで変わったとしても、それは自己嫌悪を塗りつぶしたい自分の欲求を満たしたに過ぎない。相手に対してやってあげた事で自分が満足を得る。そんなのは無償の善行でも何でもない。
彼が本当に変えたいと思っているのは、他人が傷つく環境などではないのかもしれない。