「猫」
都会の夜は明るい。
二十四時を過ぎているのに灯りのついている窓は数える気も起こさせない程に多いのだ。
私は鉄製の外階段を出来るだけ音を立てずに昇り、突き当りまで行くと、ドアをカリカリと引っ掻いた。
ノックはしない。
ここは独身女性限定のアパートなので、真夜中にノックの音がしてはまずいのである。
知美はまだ寝ていない筈だ。窓に灯りが付いているのは確認してあった。
程なくしてカチャリと錠の外れる音がしてそうっとドアが開いた。
私は滑り込むようにして中に入る。
「銀ちゃ~ん、何処に行ってたの? あたし随分探したんだぞぉ!」知美は私を抱締めて頬擦りした。
銀次郎というのが知美がつけた私の名前だ。
どうやら銀色に光る眼のせいらしい……。
本当の名前もあるが教えるわけには行かないし、人間の――特に日本人の――貧相な発音で呼ばれても苛付くだけだなので我慢するしかないと諦めている。
私はこの頬擦りというやつが苦手なのだが、居候の身の悲しさか、仕方なく、したい様にさせておいた。
「そうだ。銀ちゃん、ミルクでも飲む?」知美は私が答えもしない内に冷蔵庫からパックを取り出し深めの皿にたっぷりと注いだ。次いでそいつをマイクロウェーブを応用した加熱機に放り込む。
『あんまり長くしなくていいぞ。私は猫舌なのだから……』私は口には出さずゴロリと横になったまま知美を見上げた。
本当はワインの方が有り難いのだが、知美は私が酒を嗜む事さえ知らないのだ。
一週間ぶりの我が家だった。
この一週間、私はこの地区の居住状況や交通状況、果ては地質調査まで丹念に行っていた。
行動するのは夜だけなので知美の家に居ても良さそうなのだが、知美は私を抱いて眠りたがるので中々外出がし難いのだ。
知美と始めて逢ったのは、看護婦の知美が夜勤から帰る朝の事だった。
私は前の晩から降り続く雨の中、それまでの同居人から追い出され、細い通りの端でずぶ濡れになりながら『さてどうするか?』と思案していた。
その姿が余りにも同情を引いたのだろう、私を見つめる寂しげな知美と目が合った瞬間コイツにしようと決めたのだった。
前の同居人の時には私の事を人間の若いメスだと思い込ませたのだった。
その年齢三十才にしてツガイでない同居人の希望を感じ取っての選択だったがソレが行けなかった。
最初の一週間ほどはマインドコントロールで誤魔化せた。
だが彼は次第に、昼間は部屋に閉じ篭っている私に対し、やれメシを作らないとか、洗濯をしないとか、訳の分らない事で怒り出したのだ。
猫よりひとまわり程しか大きくない私には、彼が夜中に異様な迫力でのしかかって来るだけでも閉口するのに、なんだかんだと文句を言っては布団を丸めた私のフェイクに殴りかかる姿を見て辟易してしまった。
地球人の凶暴性については前任者からの報告である程度は心得ていた積りであったが、それは集団心理による自己催眠に拠るものと考えていたのだが。そうではなかったと着任早々に思い知らされたのである。
そして何かの弾みで私の持っているマインドコントロール装置にモノが当たった時、コントロールが解けて正体がバレてしまったのだ。
「宇宙人の侵略だ!」だとか「バケモノだ!」とか、わかっているのか単なるバカなのか判断しづらい叫びを上げながらデジタルカメラを片手に雨の中を追いかけてきた時には着任早々に大失態をやらかしたかと思ったが、濡れた手で操作したために感電したらしく、放りだして壊れたカメラに気を捕られている内に辛うじて逃げ出す事ができた。
今度の作戦は上手く行きそうだ。
既に二ヶ月以上経ったが知美は全く気づく気配が無い。
この分ではTVの中に通信装置を組み込んでも気づかないだろう。
衛星放送のアンテナがあるのも指向性のある電波をは送信すのに好都合だ。
近所に在る空軍基地で調査した情報を宇宙空間に浮かぶマザーシップに送り易くなる。
そこへ地球人の独身男の凶暴性についての特別レポートを送るべきか否かについては目下思案中だ。
知美の様に穏やかな性質を持った人類も少なくは無いという事も解って来たからだ。
ミルクを飲み終わった私は、TVを見ている知美のヒザに乗り、近頃身につけた強力なワザを繰り出した。
「あら、銀ちゃん、喉をゴロゴロ鳴らしちゃって、やっぱりここにいるのが好きなのね? あたしも銀ちゃんが大好きだよ」
おわり
2003.05.01 脱稿 2012.02.26 改稿
以前「メアリー」という短編を書いてUPしてありますが、この作品はその反対をイメージしたもの。
むりやりな感はありますがどうだろうか?