Holiday Date
「俺だって、ある程度覚悟決めてアンタといるんです」
*
梅雨に入って久しく拝む事のなかった太陽が、今日は朝から我が物顔で空に君臨していた。雨の日ですら蒸し暑いと感じる時期なのに、お陰で気温は上昇。正午を過ぎた頃には、この夏の最高気温を更新していた。けれど体感する湿度が下がる様子は無く、脳裏に過ぎる『節電』の二文字に心を痛めながらも流石に限界で空調を入れた。それでも例年よりは高めの温度設定だ。
「リフレッシュ休暇?」
「はい、まあそんな感じっすね。一週間くらいなんですけど」
平日の昼下がり。実に三ヶ月ぶりの休暇で珍しく自宅にいた貴志大正は、恋人でもある隣人の一紗弥生と遅めの昼食を摂っていた。最近テレビのコマーシャルなんかで宣伝されている『そうらーめん』とか言う代物らしいのだが、如何せんニュースすらまともに見る暇も無く早朝から深夜まで働き詰めな生活を送っていると、折角地デジ化に備えて買った真新しい薄型テレビにも余り電源を入れた記憶は無い。弥生が持ち込んだそれが初見で、最初は何の駄洒落かと思った。けれども食べてみればそれは存外口に合って、物珍しい食感も手伝い、この時既に大皿の上には三口程度しか残っていなかった。
「今日から?」
「そうですよ。昨日発注先に現場引渡したんで」
大皿の残りを手元の器に移しながら相槌を打つ。因みに器の中身は本つゆで、けれど途中で飽きてしまったが為に少し前に話題になった食べるラー油なる物を薬味代わりに加えてみた物だ。これがなかなかの相性だった。
「土建屋さんってそういうのがあるのね」
テーブルに頬杖をついて、物珍しげに弥生が感嘆する。
「他所の会社は知りませんけど、うちは幸いと言うか何と言うか」
「まあ、それでも足りないくらいよね」
「はは……ちょっと本気で訴えてやろうかと思いましたよ」
実際問題としてこの三ヶ月、土日祝祭日も含め一日も休みが無かった。訴えれば確実に勝てる自信がある――そのつもりは特に無いが。躰は何処も可笑しくしていないし心を病んだ訳でも無いので、一先ずは今度の休暇でチャラだ。
「お疲れ様、大ちゃん」
不意に伸びてきた掌が大正の頭を撫でる。この歳になって嬉しいとは思わないが、悪い気はしない。弥生のそれは癖の様なものだし、わざわざリアクションを返すと余計に恥ずかしいと身を以って知っているので、ここはなけなしのスルースキルを発揮して弥生の好きにさせておく事にした。
そうらーめんの最後の一口を、大正が一際派手な音を立てて啜った。
デートしようと提案してきたのは勿論弥生の方だった。付き合い出してからこちら忙しさにかまけてデートらしいデートなどした事もなっかったので、大正としても異論は無い。偶には恋人らしい時間と言うのも必要だろうという事で、弥生の休みに合わせて二人で出掛ける事になった。
そこで気付いたのが、流行のファッションと言う物が全く解らなくなっていると言う点だった。普段は主に作業服で過ごす事の多い身の上仕方の無い事だろう。とは言え、仮にも“デート”とやらに数年前の流行を着ていく訳にもいかない。
悩んだ挙句白地のポロシャツにデニムパンツという実に無難な格好で自宅を出て、数歩で到着するすぐ隣の部屋のチャイムを鳴らしたのが午前九時きっかりだ。室内から機嫌の良い声が返って来て、間もなく自宅と同じ色の扉が開く。
「おはようございま……えっ?」
瞬時に襲った混乱に思考が飲み込まれた。
「おはよう、大ちゃん」
「一紗、さん?」
「なあに?」
こてんとわざとらしく首を傾げるその様は、明らかに面白がっている表情をしている。だがそれすらも気にしていられないくらいの衝撃を大正に与えたのは、他でもない弥生のその服装にあった。
「アンタ……男もんの服なんて持ってたんすね」
「まあね、おかしい?」
「いや、おかしいっつーか……」
大正は弥生の姿を、それこそ頭からつま先までまじまじと見つめる。
くしゅくしゅしたシルエットのスキニーパンツはベージュで、襟元にドレープの入った薄いグレーの半袖カットソーの中には、七分袖の黒いインナーを合わせている。全体的に綺麗めなデザインのファッションだ。化粧はしておらず、長い髪は左耳の下辺りで一つに纏めている。因みに靴はレザーのショートブーツで、適当にいつものオンボロスニーカーを履いて来た自分が少し恥ずかしくなった。
そして今、心の底から叫びたい。
「……イケメンは皆滅びろ」
「あら、たまには良いじゃない」
実に愉しげな笑みで弥生が宣う。気分はまるで仮装大会の様な状態ではなかろうか。
「その格好でその口調だと違和感バリバリっすよ」
「そうね、気を付けるわ」
「まるでそんな気無いだろアンタ」
剣呑な視線を送るも、弥生はにっこりと笑うだけだった。
デートと言えば取り敢えず映画が王道だろうか。
そんな風に考え訪れた駅前の映画館で、当然の様に恋愛映画を想定していた大正の予想は見事に裏切られた。弥生が選んだのはホラー色の余り強くない、どちらかと言えばアクション系に分類されるだろうシリーズ物のゾンビ映画だった。男二人でも入場しやすい内容と言う点では正直胸を撫で下ろしたが、それは大正の中で今朝から感じていた違和感を増幅させるだけだった。
ファストフードで昼食を摂りつつ、向かいの席でフライドポテトを咥える弥生の表情をこっそりと盗み見る。特に変った様子はないが、どうしても生まれてしまった違和感が拭えない。
「どうかした?」
不意に掛かった声に我に返る。弥生が不思議そうな表情でこちらを窺っていた。咄嗟に否定の言葉が口をついて出そうになったのを思い留まる。ここは正直に話してみるべきかと思ったのだ。
「一紗さん、あの――」
「すみませーん」
「は?」
あらぬ方向から急に言葉を遮られ、覚えず間抜けな声が出る。顔を上げれば二人が座るテーブルの傍らに、まだ学生ではないかと思しき女性が二人立っていた。こう言ってはなんだが、正直とっても軽そうなイメージだ。思わぬ闖入者の出現に、弥生も首を傾げている。
「あのぉ、私たちこれからカラオケに行くんですけどぉ、良ければ一緒に行きませんかぁ?」
男に媚びる事に慣れている様な喋り方だ。これが所謂世に言う逆ナンと言うやつなのだろう。初めての経験だ。よくよく見れば露出の多い服装も、化粧を落としたら別人が出て来そうな濃いメイクも、全く大正の好みではない。どちらかと言えば苦手なタイプだ。顔が引き攣る。
何と言って断ろうかと考えあぐねていると、目の前の弥生が彼女等に笑いかけた。
「悪いけど、私たち今デート中なの」
「えっ? 貴方もしかしてオカマ!?」
二人組の大きな声に、周囲の客が好奇の目を向けて来るのを感じた。
「そうよー。紛らわしくてごめんなさいね」
飽くまでも笑みは崩さぬままだ。攻撃力は約二倍。キモーイだのショック~だの言いながら逆ナンガールズは退散していった。
弥生がおもむろに席を立つ。
「行きましょうか。ちょっと視線を集め過ぎたわ」
「……はい」
手早くトレーを片付けて、二人は逃げる様に店を出た。
*
梅雨に入って久しく拝む事のなかった太陽が、今日は朝から我が物顔で空に君臨していた。雨の日ですら蒸し暑いと感じる時期なのに、お陰で気温は上昇。正午を過ぎた頃には、この夏の最高気温を更新していた。けれど体感する湿度が下がる様子は無く、脳裏に過ぎる『節電』の二文字に心を痛めながらも流石に限界で空調を入れた。それでも例年よりは高めの温度設定だ。
「リフレッシュ休暇?」
「はい、まあそんな感じっすね。一週間くらいなんですけど」
平日の昼下がり。実に三ヶ月ぶりの休暇で珍しく自宅にいた貴志大正は、恋人でもある隣人の一紗弥生と遅めの昼食を摂っていた。最近テレビのコマーシャルなんかで宣伝されている『そうらーめん』とか言う代物らしいのだが、如何せんニュースすらまともに見る暇も無く早朝から深夜まで働き詰めな生活を送っていると、折角地デジ化に備えて買った真新しい薄型テレビにも余り電源を入れた記憶は無い。弥生が持ち込んだそれが初見で、最初は何の駄洒落かと思った。けれども食べてみればそれは存外口に合って、物珍しい食感も手伝い、この時既に大皿の上には三口程度しか残っていなかった。
「今日から?」
「そうですよ。昨日発注先に現場引渡したんで」
大皿の残りを手元の器に移しながら相槌を打つ。因みに器の中身は本つゆで、けれど途中で飽きてしまったが為に少し前に話題になった食べるラー油なる物を薬味代わりに加えてみた物だ。これがなかなかの相性だった。
「土建屋さんってそういうのがあるのね」
テーブルに頬杖をついて、物珍しげに弥生が感嘆する。
「他所の会社は知りませんけど、うちは幸いと言うか何と言うか」
「まあ、それでも足りないくらいよね」
「はは……ちょっと本気で訴えてやろうかと思いましたよ」
実際問題としてこの三ヶ月、土日祝祭日も含め一日も休みが無かった。訴えれば確実に勝てる自信がある――そのつもりは特に無いが。躰は何処も可笑しくしていないし心を病んだ訳でも無いので、一先ずは今度の休暇でチャラだ。
「お疲れ様、大ちゃん」
不意に伸びてきた掌が大正の頭を撫でる。この歳になって嬉しいとは思わないが、悪い気はしない。弥生のそれは癖の様なものだし、わざわざリアクションを返すと余計に恥ずかしいと身を以って知っているので、ここはなけなしのスルースキルを発揮して弥生の好きにさせておく事にした。
そうらーめんの最後の一口を、大正が一際派手な音を立てて啜った。
デートしようと提案してきたのは勿論弥生の方だった。付き合い出してからこちら忙しさにかまけてデートらしいデートなどした事もなっかったので、大正としても異論は無い。偶には恋人らしい時間と言うのも必要だろうという事で、弥生の休みに合わせて二人で出掛ける事になった。
そこで気付いたのが、流行のファッションと言う物が全く解らなくなっていると言う点だった。普段は主に作業服で過ごす事の多い身の上仕方の無い事だろう。とは言え、仮にも“デート”とやらに数年前の流行を着ていく訳にもいかない。
悩んだ挙句白地のポロシャツにデニムパンツという実に無難な格好で自宅を出て、数歩で到着するすぐ隣の部屋のチャイムを鳴らしたのが午前九時きっかりだ。室内から機嫌の良い声が返って来て、間もなく自宅と同じ色の扉が開く。
「おはようございま……えっ?」
瞬時に襲った混乱に思考が飲み込まれた。
「おはよう、大ちゃん」
「一紗、さん?」
「なあに?」
こてんとわざとらしく首を傾げるその様は、明らかに面白がっている表情をしている。だがそれすらも気にしていられないくらいの衝撃を大正に与えたのは、他でもない弥生のその服装にあった。
「アンタ……男もんの服なんて持ってたんすね」
「まあね、おかしい?」
「いや、おかしいっつーか……」
大正は弥生の姿を、それこそ頭からつま先までまじまじと見つめる。
くしゅくしゅしたシルエットのスキニーパンツはベージュで、襟元にドレープの入った薄いグレーの半袖カットソーの中には、七分袖の黒いインナーを合わせている。全体的に綺麗めなデザインのファッションだ。化粧はしておらず、長い髪は左耳の下辺りで一つに纏めている。因みに靴はレザーのショートブーツで、適当にいつものオンボロスニーカーを履いて来た自分が少し恥ずかしくなった。
そして今、心の底から叫びたい。
「……イケメンは皆滅びろ」
「あら、たまには良いじゃない」
実に愉しげな笑みで弥生が宣う。気分はまるで仮装大会の様な状態ではなかろうか。
「その格好でその口調だと違和感バリバリっすよ」
「そうね、気を付けるわ」
「まるでそんな気無いだろアンタ」
剣呑な視線を送るも、弥生はにっこりと笑うだけだった。
デートと言えば取り敢えず映画が王道だろうか。
そんな風に考え訪れた駅前の映画館で、当然の様に恋愛映画を想定していた大正の予想は見事に裏切られた。弥生が選んだのはホラー色の余り強くない、どちらかと言えばアクション系に分類されるだろうシリーズ物のゾンビ映画だった。男二人でも入場しやすい内容と言う点では正直胸を撫で下ろしたが、それは大正の中で今朝から感じていた違和感を増幅させるだけだった。
ファストフードで昼食を摂りつつ、向かいの席でフライドポテトを咥える弥生の表情をこっそりと盗み見る。特に変った様子はないが、どうしても生まれてしまった違和感が拭えない。
「どうかした?」
不意に掛かった声に我に返る。弥生が不思議そうな表情でこちらを窺っていた。咄嗟に否定の言葉が口をついて出そうになったのを思い留まる。ここは正直に話してみるべきかと思ったのだ。
「一紗さん、あの――」
「すみませーん」
「は?」
あらぬ方向から急に言葉を遮られ、覚えず間抜けな声が出る。顔を上げれば二人が座るテーブルの傍らに、まだ学生ではないかと思しき女性が二人立っていた。こう言ってはなんだが、正直とっても軽そうなイメージだ。思わぬ闖入者の出現に、弥生も首を傾げている。
「あのぉ、私たちこれからカラオケに行くんですけどぉ、良ければ一緒に行きませんかぁ?」
男に媚びる事に慣れている様な喋り方だ。これが所謂世に言う逆ナンと言うやつなのだろう。初めての経験だ。よくよく見れば露出の多い服装も、化粧を落としたら別人が出て来そうな濃いメイクも、全く大正の好みではない。どちらかと言えば苦手なタイプだ。顔が引き攣る。
何と言って断ろうかと考えあぐねていると、目の前の弥生が彼女等に笑いかけた。
「悪いけど、私たち今デート中なの」
「えっ? 貴方もしかしてオカマ!?」
二人組の大きな声に、周囲の客が好奇の目を向けて来るのを感じた。
「そうよー。紛らわしくてごめんなさいね」
飽くまでも笑みは崩さぬままだ。攻撃力は約二倍。キモーイだのショック~だの言いながら逆ナンガールズは退散していった。
弥生がおもむろに席を立つ。
「行きましょうか。ちょっと視線を集め過ぎたわ」
「……はい」
手早くトレーを片付けて、二人は逃げる様に店を出た。
作品名:Holiday Date 作家名:やまと蒼紫