メリークリスマス
近江は古くから交通の要所とされており、かの織田信長が安土に城を築いたことはよく知られている。男の家はその安土城跡からほど近い近江八幡市にあった。
四十を前にして未だ独身の男の家は、和室が二部屋にダイニングキッチンといった間取りの賃貸アパートで、和室の一部屋はダイニングキッチンとの境の扉を開け放したままに居間として利用しており、もう一部屋を書斎兼寝室としていた。書斎兼寝室とはいっても、個人事業主としてもっぱら自宅で仕事をしている男は、居間としている部屋で作業をすることが多く、書斎兼寝室は寝る時以外にはあまり使うことがなかった。
年の暮れもせまった十二月下旬、男は居間のこたつの上にノートパソコンを置いて仕事をこなしていたが、午後四時にして早くも暗くなった部屋に気づくと、作業を中断し座椅子の背に体をあずけてぼんやりと天井を見つめた。暗くなってくるとどうにもやる気が出ない。まだ急ぐ必要のない仕事だったこともあって、男はそこで仕事を切り上げることにした。
夕食の買い物にでも行くか、あるいは店屋物でも頼もうか、と男が考えていると、不意に呼び鈴の音が部屋に響いた。友人も少なく、仕事の打ち合わせなどではいつも取引先に出向いている男の家に来客はあまりない。宅配便で荷物が届く予定もなかったので、恐らくは宗教の勧誘か新聞やミルク宅配などのセールスだろうと一度は無視をして、ノートパソコンを寝室に持って移動したが、もう一度呼び鈴が鳴ると少し面倒に思いながらも男は玄関の扉を開けた。
男の部屋には訪問者の映像を見られるような便利な器具は備わっていない。玄関の扉には覗き穴が付いているが、男はこれを利用したことがほとんどない。女のひとり暮らしでは気をつけることかもしれないが、もうすぐ四十になろうかという男が謎の訪問者に怯えることもない。男はいつも通り確認もせずに扉を開けたのだった。
扉を開けた向こうに立っていたのは、男が見たこともない存在だった。いや、見たことはあるかもしれないが、それは漫画だったりテレビアニメだったり、そういったフィクションでのことだ。長方形の胴は青っぽい銀色で、その下には足、蛇腹状のホースのようなものが二本突き出している。ホースの先には胴を小さくしたような銀色の長方形の塊が付いており、その足と同じ形状の両腕が胴の左右から出ている。胴の上部には胴と同じ素材でできたほぼ正方形の頭が乗っており、横に細長い口とその口を縦に短くしたような目がふたつ付いていた。
ロボットだ、と男はすぐに認識した。
しかし現代のロボットとはもう少し格好のいいものだろう。コメディアニメだったらこういったロボットも登場するかもしれないが、そもそもこの足で歩行できるとは思えない。人間が中に入っているにしては足が細すぎるとも思ったが、男はロボットという認識を改めて、誰かがいたずらで作り物を置いたか、あるいはこどもでも中に入っているのかもしれないと考えた。そして男が何か声をかけようとした時、そのロボットは右手を上げて両目を緑色に点滅させながら「ロボットです。こんにちは」と挨拶をした。
それは、ロボットといって想像されるような機械的な声ではなく、少年のような声で標準的な日本語の発音をしてみせた。男は急におかしくなって、またそれが誰かのいらずらであると確信して、声を上げて笑うと「どうも」と会釈した。
「突然すみません。入ってもよろしいですか」と言うロボットを疑いもなく部屋に入れたのは、友人の子でも中に入っているのだろう、と男が信じていたからだった。
「それで、君は誰。何をしに来たの」
「ロボットです。ここで休めると聞いて来ました」と言いながらロボットはこたつの前で器用に正座をした。
「何か飲む」と男はキッチンに向かった。
「いいえ、ぼくは電気なので」
「ああ、電気で動いているの」
「はい、電気をいただいてもよろしいですか」
男が「ああ」と曖昧な返事をすると、ロボットは右の腰の辺りにある小さな扉を開けてコードを取り出してコンセントにそれを接続した。その姿を見て男は苦笑しながら「それはどうなっているの」と尋ねた。
「バッテリーに充電します。三十分ほどで充電できますから」
すぐに種明かしがあるものと思っていた男は、もしかして三十分はこれを続けるつもりだろうか、と少しうんざりしながらコーヒーを手にしてキッチンから戻り、ロボットの正面に座った。
その時、再び呼び鈴が鳴った。恐らくはロボット、この中に入っている少年の保護者だろう。何の用事かわからないが、たまにはこういったこともおもしろい。歓迎してやろう。男はこう考え、息子がいる友人の顔を思い浮かべて席を立った。
男は再び玄関の扉についた覗き穴を確認せずに扉を開けた。扉の向こうに立っていたのは、先端が少し垂れ下がった円錐に広いつばをつけた帽子をかぶった女。黒いマントの下には赤いワンピースを着ていた。右手にはしっかりと箒を持っている。
「こんにちは。あ、こんばんは、かな。魔女です」少し首をかしげて魔女が言った。
男はその魔女の顔に覚えがなかった。十年ほど前の結婚式で一度見たきりの友人の妻かとも思ったが、魔女は二十代前半かあるいは十代後半にも見えた。ロボットの少年の姉か何かだろうか。しかし男にはこのように大きな娘がいる友人に心当たりはなかった。
もしかしてロボットも魔女も友人とは関係のない存在で、自分は何かの犯罪に巻き込まれようとしているのではないか、と男は疑い始めたが、男が何かを言う前に魔女は玄関の壁に箒を立てかけて部屋の中に上がりこんでいった。
「ちょっと待ってくれ」と男は慌てて声をかけた。
そして振り向いた魔女に言った。「靴を脱いでくれ」
「結構いいところね。あ、ロボットちゃん、久しぶりね」
「ご無沙汰しています。魔女さんは相変わらず元気そうですね」
ロボットと魔女は知り合いのようだった。
「すみませえん、ビールいただけますかあ」と魔女は大きな声で居酒屋の店員に注文するように、まだ玄関付近に立ったままの男に言った。
「未成年じゃないだろうね」自分でもこんなことが言いたいのではないとわかっていながら、男は魔女にこう尋ねた。
「そう見えますかあ。うれしい。いくつに見えますかあ」
「二十歳前後だと思うけど……」
「外れ。正解は、二百三十歳でしたあ」
ビールを渡してから問いただそう。本人がそう言うのならいいだろう。男は冷蔵庫から缶ビールをふたつ取り出した。
「そっちはおいくつですかあ」
「おれかい」
「そうよ。レディに年齢を聞いておいて自分は言わないの」
年齢はそちらが勝手に言ったのではないか、と思いながら、男は「三十九だ」と答えて魔女と自分の前に缶ビールを置いた。
「若いねえ。独身なの。お姉さんと結婚しない」と言いながら魔女は缶ビールの蓋に手をかけた。「あれ、ロボットちゃんは飲まないの」
「ええ、電気をいただいているので」
「そう。それじゃ、乾杯しましょう」
男と魔女は缶ビールを、ロボットは体から出ているコードを手に持って胸の前に掲げた。
「乾杯」
ひと口ビールを飲んで、ようやくいろいろと尋ねることができると思い、男は口を開いた。「それで、君たちの目的は何だい。どこから来たの」
四十を前にして未だ独身の男の家は、和室が二部屋にダイニングキッチンといった間取りの賃貸アパートで、和室の一部屋はダイニングキッチンとの境の扉を開け放したままに居間として利用しており、もう一部屋を書斎兼寝室としていた。書斎兼寝室とはいっても、個人事業主としてもっぱら自宅で仕事をしている男は、居間としている部屋で作業をすることが多く、書斎兼寝室は寝る時以外にはあまり使うことがなかった。
年の暮れもせまった十二月下旬、男は居間のこたつの上にノートパソコンを置いて仕事をこなしていたが、午後四時にして早くも暗くなった部屋に気づくと、作業を中断し座椅子の背に体をあずけてぼんやりと天井を見つめた。暗くなってくるとどうにもやる気が出ない。まだ急ぐ必要のない仕事だったこともあって、男はそこで仕事を切り上げることにした。
夕食の買い物にでも行くか、あるいは店屋物でも頼もうか、と男が考えていると、不意に呼び鈴の音が部屋に響いた。友人も少なく、仕事の打ち合わせなどではいつも取引先に出向いている男の家に来客はあまりない。宅配便で荷物が届く予定もなかったので、恐らくは宗教の勧誘か新聞やミルク宅配などのセールスだろうと一度は無視をして、ノートパソコンを寝室に持って移動したが、もう一度呼び鈴が鳴ると少し面倒に思いながらも男は玄関の扉を開けた。
男の部屋には訪問者の映像を見られるような便利な器具は備わっていない。玄関の扉には覗き穴が付いているが、男はこれを利用したことがほとんどない。女のひとり暮らしでは気をつけることかもしれないが、もうすぐ四十になろうかという男が謎の訪問者に怯えることもない。男はいつも通り確認もせずに扉を開けたのだった。
扉を開けた向こうに立っていたのは、男が見たこともない存在だった。いや、見たことはあるかもしれないが、それは漫画だったりテレビアニメだったり、そういったフィクションでのことだ。長方形の胴は青っぽい銀色で、その下には足、蛇腹状のホースのようなものが二本突き出している。ホースの先には胴を小さくしたような銀色の長方形の塊が付いており、その足と同じ形状の両腕が胴の左右から出ている。胴の上部には胴と同じ素材でできたほぼ正方形の頭が乗っており、横に細長い口とその口を縦に短くしたような目がふたつ付いていた。
ロボットだ、と男はすぐに認識した。
しかし現代のロボットとはもう少し格好のいいものだろう。コメディアニメだったらこういったロボットも登場するかもしれないが、そもそもこの足で歩行できるとは思えない。人間が中に入っているにしては足が細すぎるとも思ったが、男はロボットという認識を改めて、誰かがいたずらで作り物を置いたか、あるいはこどもでも中に入っているのかもしれないと考えた。そして男が何か声をかけようとした時、そのロボットは右手を上げて両目を緑色に点滅させながら「ロボットです。こんにちは」と挨拶をした。
それは、ロボットといって想像されるような機械的な声ではなく、少年のような声で標準的な日本語の発音をしてみせた。男は急におかしくなって、またそれが誰かのいらずらであると確信して、声を上げて笑うと「どうも」と会釈した。
「突然すみません。入ってもよろしいですか」と言うロボットを疑いもなく部屋に入れたのは、友人の子でも中に入っているのだろう、と男が信じていたからだった。
「それで、君は誰。何をしに来たの」
「ロボットです。ここで休めると聞いて来ました」と言いながらロボットはこたつの前で器用に正座をした。
「何か飲む」と男はキッチンに向かった。
「いいえ、ぼくは電気なので」
「ああ、電気で動いているの」
「はい、電気をいただいてもよろしいですか」
男が「ああ」と曖昧な返事をすると、ロボットは右の腰の辺りにある小さな扉を開けてコードを取り出してコンセントにそれを接続した。その姿を見て男は苦笑しながら「それはどうなっているの」と尋ねた。
「バッテリーに充電します。三十分ほどで充電できますから」
すぐに種明かしがあるものと思っていた男は、もしかして三十分はこれを続けるつもりだろうか、と少しうんざりしながらコーヒーを手にしてキッチンから戻り、ロボットの正面に座った。
その時、再び呼び鈴が鳴った。恐らくはロボット、この中に入っている少年の保護者だろう。何の用事かわからないが、たまにはこういったこともおもしろい。歓迎してやろう。男はこう考え、息子がいる友人の顔を思い浮かべて席を立った。
男は再び玄関の扉についた覗き穴を確認せずに扉を開けた。扉の向こうに立っていたのは、先端が少し垂れ下がった円錐に広いつばをつけた帽子をかぶった女。黒いマントの下には赤いワンピースを着ていた。右手にはしっかりと箒を持っている。
「こんにちは。あ、こんばんは、かな。魔女です」少し首をかしげて魔女が言った。
男はその魔女の顔に覚えがなかった。十年ほど前の結婚式で一度見たきりの友人の妻かとも思ったが、魔女は二十代前半かあるいは十代後半にも見えた。ロボットの少年の姉か何かだろうか。しかし男にはこのように大きな娘がいる友人に心当たりはなかった。
もしかしてロボットも魔女も友人とは関係のない存在で、自分は何かの犯罪に巻き込まれようとしているのではないか、と男は疑い始めたが、男が何かを言う前に魔女は玄関の壁に箒を立てかけて部屋の中に上がりこんでいった。
「ちょっと待ってくれ」と男は慌てて声をかけた。
そして振り向いた魔女に言った。「靴を脱いでくれ」
「結構いいところね。あ、ロボットちゃん、久しぶりね」
「ご無沙汰しています。魔女さんは相変わらず元気そうですね」
ロボットと魔女は知り合いのようだった。
「すみませえん、ビールいただけますかあ」と魔女は大きな声で居酒屋の店員に注文するように、まだ玄関付近に立ったままの男に言った。
「未成年じゃないだろうね」自分でもこんなことが言いたいのではないとわかっていながら、男は魔女にこう尋ねた。
「そう見えますかあ。うれしい。いくつに見えますかあ」
「二十歳前後だと思うけど……」
「外れ。正解は、二百三十歳でしたあ」
ビールを渡してから問いただそう。本人がそう言うのならいいだろう。男は冷蔵庫から缶ビールをふたつ取り出した。
「そっちはおいくつですかあ」
「おれかい」
「そうよ。レディに年齢を聞いておいて自分は言わないの」
年齢はそちらが勝手に言ったのではないか、と思いながら、男は「三十九だ」と答えて魔女と自分の前に缶ビールを置いた。
「若いねえ。独身なの。お姉さんと結婚しない」と言いながら魔女は缶ビールの蓋に手をかけた。「あれ、ロボットちゃんは飲まないの」
「ええ、電気をいただいているので」
「そう。それじゃ、乾杯しましょう」
男と魔女は缶ビールを、ロボットは体から出ているコードを手に持って胸の前に掲げた。
「乾杯」
ひと口ビールを飲んで、ようやくいろいろと尋ねることができると思い、男は口を開いた。「それで、君たちの目的は何だい。どこから来たの」