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松橋オリザ
松橋オリザ
novelistID. 31570
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立ち読み版 二十一歳のアルゴリズム

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      二十一歳のアルゴリズム





第一話





「七織(ななお)ちゃあん、だめーっ! 先生がとってあげるからーっ」
 今にも泣きだしそうな梅雨の空。保母のヒステリックな声が竹林に囲まれた「竹の丘親水公園」に響く。
 ゆるいスロープを利用した幅十メートル、深さ三十センチほどの流れ。そこを流れていく帽子を七織は追いかけていた。
七織は近くにある竹の丘保育園の園児で、その日は七月七日。七織の誕生日でもあった。
 毎年、この頃は梅雨の真っ最中で、満天の星空などのぞめない。そのため、保育園では手作りの七夕飾りを天の川に見立て、ここに流すのが、年中行事となっていた。
 園児達は短冊のお願いを声に出して読み上げてから、一枚ずつ流すのだ。もちろん子供達が引き上げたあと、当番に当たった保母が排水溝の掃除をすることになるのだが。
 七織はその七夕流しに夢中になって、帽子を流されてしまったのだ。
七夕飾りと共に流れる、黄色い帽子。いまや、それしか目にはいらない七織が必死で追いかけていた時だ。
 突然、どしんと誰かにぶつかって、仰向けにひっくりかえりそうになったところを、がっしりとした腕で抱き留められた。
「あ」
 見あげると、小学校高学年くらいの少年が慈愛に満ちた瞳で見下ろしている。目鼻立ちも涼しく、子供の目にも整った容姿が見て取れる。
「七織ちゃん。はい」
 こういって少年は濡れた帽子を渡してくれた。
 そして……次だ。ずっと七織の脳裏にきざまれ、今の年になるまで忘れられない言葉を彼が発したのは。
「七織ちゃんの二十歳の誕生日の今頃、ここで待ってる。だって、君は僕のお嫁さんになる人だから。いいね?」
「お嫁さん?」
「そう。僕らは一緒に暮らして、一緒に御飯食べて、一緒に眠るんだ。ずっと、ずっと……」
「花火もする?」
「もちろんだよ。夏は河原に行って、七織ちゃんが見たこともないほど、おっきなのをあげてあげるよ」
「なる! お嫁さんになる!」
 お盆には母の実家である長野で、いとこ達と会うのを楽しみにしていたものだ。真っ先にその事がひらめいたのだろう。お嫁さんだろうが何だろうが、何でも良かったのだと思う。
「七織ちゃあん、待って……」
 息を切らしながら保母が駆け寄って来た時には、少年はくるりと背を向けていた。
「七織ちゃん、知らない人と話しちゃだめ。いこ」
 保母に手を引かれながらふり返ると、すでにその少年の姿はかき消すように消えていた。



 これが五歳の飯星七織(いいぼしななお)と少年との思い出であり、現れては消える蜃気楼の様な記憶の断片だった。
 大きな黒い瞳に天然パーマ。半ズボンをおおい隠す男女児兼用のスモック。七織は幼い頃から、よく女の子と間違われたものだ。
 「七織ちゃん」なんて、保母が女の子みたいに自分を呼んだから、彼が勘違いをしたのではないかと思うときもある。そのくせ、彼が知らない人ではなかったような気がすることもある。
 幼かった自分は彼を、どう認識していたのだろう。少なくとも、その少年は顔見知りか、良い印象を持っていたと言う事になる。そんなことさえも、はっきりとわからぬほど、その記憶は曖昧だったのだ。
 竹の丘親水公園裏口からの遊歩道を入れば、竹林が続く曲がりくねった道。突き当たりには「官用地につき、立ち入り禁止」の立て札が。今ではもう取り壊され、空き地になってしまったが、そこにはかつて、七織が暮らした公務員官舎が三棟と、小さな児童公園があった。
 池袋から伸びる私鉄沿線の小さな街、竹の丘。保育園時代をそこですごした七織は小学校就学を前に、埼玉県にある戸建てに引っ越し、そこで高校を卒業した。
 幼い頃の引っ越しで、この地「竹の丘」ともお別れになるはずだった。だが、高卒後の進路として選んだクッキングスクールが、何の縁かは知らないが、偶然にもこの辺だったことで、七織は思い出あふれるこの地に舞い戻ってしまったというわけだ。
 思い出の少年とは出会うことなく、その後十五年の月日が流れ、とうとう七織の二十歳の誕生日がめぐってきていた。



(大した事でもないのに、何でいつまでたっても忘れられないんだろう)
 なぜか、映画のワンカットのように鮮明な記憶。いまとなってはもう、夢だったのか、現実だったのかも定かではないというのに。
純喫茶「バンブー」の窓から見えるのは、今でも変わらない親水公園の入り口。さわさわと、風が竹林をぬける風景は今が梅雨であることも忘れてしまいそうだ。
(あの時の少年は僕より七、八歳年上だった。だとすれば、今、あの人くらいだろうか……)
 気付けば、ベンチで缶コーヒーを飲む二十代後半のリーマンを目で追っていた。



「ねえ。七織」
 聞き慣れた宇津宮育子の声が、コーヒーミルの音に混じって聞こえたような気がする。
 育子は高校時代のクラスメイト。そして卒業後も、竹の丘駅から一駅のクッキングスクールに、ともに通う仲だ。
「ねえ、聞いてる?」
 向かいに座った育子の眉間のしわで、何度も自分がそう呼ばれていたことがわかる。
「え? あ、ごめん。なんだっけ?」
「だからね。今、本当に幸せかって、聞いてんの。なんで、彼氏でもないのに、こんなに七織のこと、心配しなくちゃならないのかしら」
 育子はためいきをつくが、本当の幸せがどんなもんかって事がわからない以上、コメントのしようがない。
「茂さんと別れたくなったら力を貸すから、何でも相談するのよ」
 茂というのは育子のいとこで、高三の時の二人の担任教師でもあった「宇津宮茂」のことだ。
 育子がこんなシビアな発言を平気でするのは、気のおけない友人である証拠だ。それと、彼女が茂に好感を持っていないということもあるが。
 実は七織と宇津宮は男同士でありながら、一緒に暮らす夫婦で、二人の住まいはここ竹の丘駅からすぐの所にあるのだ。



「七織、これ。僕の気持ち」と、結ばれて数日後に宇津宮が左の薬指にはめてくれたステディリング。その真剣なまなざしに、かつてのスパルタ教師の面影はなかった。
 それまで宇津宮は高校と目と鼻の先にある職員用宿舎に住んでいた。埼玉県から東京都……比べようもないほどに延伸した通勤距離。それをものともせず、なおかつ男女在校生に目移りすることもなく、定時帰宅する毎日が続いている。
 宇津宮は高校時代に、硬式テニスで全国大会出場という経歴を持っていたが、女子テニス部顧問の就任依頼も断って、二人の時間を大切にしてくれている。
 そんなわけで、掌中の珠のごとく宇津宮に愛される七織と、ちょくちょく愛の巣へ顔を出す育子とは、悩みなども打ち明けられる心の友となっていったのだった。
 会うたびに育子にひやかされると言う、おだやかで有意義な専門学校生活。流されるようにして始まった新婚生活だったが、七織はいつしかこれが、自分にとっての幸福なのだと思うようになっていた。
 かといって、なんの問題も起きなかったわけではない。
 二人で暮らし始めてまもなく、口論をして二人のアパートを飛び出したことがあった。インターネットカフェにしけ込み、二日間帰らなかったのだ。