トレーダー・ディアブロ(8)
「世界の、構造を変えるだと?」
「そうだ。今の世界の構造は間違っている。資産は俺やあんたの様な一握りの人間に集中させるべきではない……。資産は世界中を循環すべきだ」
「馬鹿な! そんな事をしたら、今の資本主義社会が崩壊してしまうぞ! 大体、お前の言っている事は理想論に過ぎない。人間は古代から貧富の差の存在を認めてきたのだ! 今更それが変わる事は無い!」
「やってみなければ分からないさ」
ジョイナーは狭い車内で西京を睨みつけたが、西京は全く動じなかった。
ジョイナーはまた、ため息を付いた。
「では仕方無い。私の忠告は終わりだ。そして、ここからは、警告だ。君に警告しないといけない事が二つある。一つ目は、君がバラまいた紙幣についてだが……。君は自分の財産を他人に分け与えているが、我が合衆国は君のその行為に対する税金を頂いていない」
「税金?」
「そうだ。この国には贈与税という税金があってね……。自分の財産を他人に分け与えた場合、贈与税の支払い義務が発生するのだよ。税率は与えた金額によって変動するが、君程の金額になると、間違いなく最高税率が適応されるな。君が今までバラまいた金額はおよそ六百億ドル。その半額を税金として支払ってもらう」
「フフフフ……」
「何が可笑しい?」
「いや、済まない。予想外の事を言われたものだから。だが、ミスタージョイナー、その件は問題ないよ。俺は誰かに資産を分け与えている訳ではない」
「何?」
「俺はゴミを捨てているだけだよ」
「ゴミ? ゴミだと!」
「そうだ。俺は要らない物を捨てているだけだ。アメリカでは要らない物を捨てるのに税金がかかるのかい? あんたもこの事件が世間で何て言われているのか知っているだろう? アメリカドル紙幣遺棄事件……。世間も俺の行為が遺棄だと認識しているみたいだぜ」
西京はそう言って車から出ようとした。もう、ここにいる必要はない。
しかし、ジョイナーは出て行こうとする西京の肩を掴んだ。
「待て、西京。税金の話はそれで構わん。しかし、私はもう一つ君に話しておかなければならない事がある。これを見ろ……」
ジョイナーは傍らに置いてあった封筒から、今度はA四サイズの紙の束を取り出し、西京に渡した。
西京は面倒臭そうにそれを受け取り、パラパラと捲った。
「これは、俺の家の見取り図のようだが?」
「そうだ。それは、ロサンゼルス郡保安局の特殊部隊、通称SWTの作戦会議で配られた物だ。そこには君の家への侵入経路が、鮮明に書かれている。お前の家への突入作戦の打ち合わせ用だ。実は、先日ロサンゼルス郡保安局に匿名の電話があってね……。君が家の中で、何やら怪しい実験を行っていると。もしかしたら、大量破壊兵器の製造工場ではないか……とね。我々の方でも一応調べてみたが、どうも君の家には、実験室とも兵器製造工場とも見える部屋があるね」
「あれは、ただのトレーディングルームだ」
「それを判断するのは我々だよ」
「チッ!あんたらの判断で、俺のトレーディングルームが大量破壊兵器だと言われ、俺は逮捕されるのかい? 一体誰がそんな電話をしたっていうんだ?」
「ハハッ……! 情報提供者の名前は、プライバシーと本人の安全性を確保する為に公開する訳にはいかないな」
ジョイナーはニヤリと笑った。
今度は西京がため息を付いた。もちろん、情報提供者などいない。全て彼らのでっち上げである。しかし、西京がどんなに反論しようとも、情報提供者の安全確保という理由を盾にシラを切り通すつもりなのだ。
この匿名の情報提供者という手段はアメリカの常套手段である。
例えば、二〇〇三年三月にイラクが大量破壊兵器を所有しているとの理由でアメリカ軍の攻撃により開始されたイラク戦争だが、イラクは当初大量破壊兵器の破棄に協力的であったし、新たな兵器製造の証拠も発見されなかったが、アメリカは確固たる証拠を得たとしてイラク攻撃に踏み切った。この時も情報提供元は、提供者の安全確保の為、公表されなかった。この戦争について、今でもその正当性を疑問視する専門家が多い。
西京は今度こそドアを開けて車を降りた。これ以上、彼らの茶番に付き合っていられない――。彼はそのままスタスタと歩き出した。
ジョイナーは慌てて車の窓から顔を出した。
「お、おい! いいのか西京! 我々は本気だぞ! 悪い事は言わない……。我々に力を貸すのだ!」
自分の車の方に歩いていた西京だったが、彼の声を聞いてピタリと足を止めた。そして、彼はジョイナーに背を向けたまま言った。
「実は、俺の方にも匿名の電話があってね。そいつは、アメリカは嘘つきのクソッタレだと言っていたぜ!」
「何! 誰がそんな事を?」
「ハハッ……! 情報提供者の名前は、プライバシーと本人の安全性を保護する為に公開する訳にはいかないな」
西京はニヤリと笑った。
そして、彼は右手を少し上げてさよならの合図をすると、そのまま自分の車の方へ歩いて行ってしまった。
一人残されたジョイナーは、惚けた顔をして、暫くキャデラックから顔を出していた。まさかアメリカ政府の高官である自分の話を途中で切り上げ、しかも小馬鹿にされるとは予想外の出来事だったのである。
ジョイナーの西京を勧誘する作戦は完全に失敗だった。彼は歯軋りをして、シートにもたれ掛かった。
「馬鹿目が!」
すると、その時だった。
ジョイナーがスーツの内ポケットに入れてあった携帯が震えた。彼は自分の携帯に表示された番号を見て、ハッとして電話に出た。
「はい……、ジョイナーです。はい、はい、すみません……。彼の意志は予想以上に固く……。はい……、はい……」
ジョイナーの額に汗が浮かんだ。
先程まで風格を漂わせていた男は、今は小さくなって両手で携帯電を握っていた。彼は電話の相手の一言一言に脅え、頷いていた。ジョイナーの電話は西京が車を降りた直後に鳴った。つまり、先程の西京との交渉は全て監視されていたのである。
「はい。警告は致しました。これで、彼がトレードを止めない場合は……。はい……、必ず……!」
相手は電話を切った。ツーツーという音がジョイナーの頭に響く。
西京が大人しくトレードを止めれば、それで良し――。
もし、彼がこれでもトレードを止めない場合、彼は我が国の恐ろしさを知る事になる。
勝負のボールはルーレットに投げ入れられた。
最早、誰にも止める事は出来ないのだ……。
二〇〇九年 三月 二十日
西京はあの駐車場での警告の翌日も、自宅で普通にトレードをした。いや、それどころか、彼はあれからニューワールドの取引のレバレッジを更に上げた。
市場から彼が吸い上げる資金は、昨日一日で百億ドルを超え、更なるドル安を生む結果となった。しかも、彼はニューヨークが終わると東京、東京が終わるとロンドンと取引所をハシゴして休み無くトレードを行った。彼は自宅のプラネタリウムの中で、何かに取り憑かれた様にトレードしていた。
「もうすぐだ……。もうすぐ世界は変わるんだ……」
彼はプラネタリウムの中、無数のチャートの星々を見渡し呟いた。
そのうち、西京は自分が本当に宇宙にいる様な錯覚に陥った。
作品名:トレーダー・ディアブロ(8) 作家名:砂金 回生