トレーダー・ディアブロ(4)
西京はそこに着くと、人集りの間から顔を出して様子を伺った。
しかし、そこにある光景を見て、彼の目が大きく見開かれた。
そこには、一人の子供が地面に横たわっていたのだ。
その子の横で母親らしき女が泣き崩れていた。
横たわった子供の上から青いビニールシートが掛けられ、表情は見えない。しかし、その子の横たわっている地面が薄らと血で濡れているのが分かる。ビニールシートの下の子供が生きていないのは一目瞭然だった。
「そんな! まさか……!」
西京は心臓が握り潰されそうな息苦しさを感じた。息が出来ない。額から脂汗が吹き出る。彼は自分の胸を押さえて、その子の足下を見た。
ビニールシートから足だけが出ていた。そして、その足はサンダルを履いていた。バンドに大きな黄色い花が咲いているサンダルだった。
「馬鹿な! どうして!」
彼はそのサンダルを見て、人集りから飛び出し、彼女の前に出てきた。
そして、彼女の横に座り込んでしまった。
本当はビニールシートを剥がして中身を確認したかったが、他人の彼にそんな事が許される筈も無い。しかし、あのサンダルは紛れも無くアイリンの物だった。
「アイリン……!」
西京は思わず彼女の名前を口にした。
すると、横で泣いていた母親が彼を睨んだ。
「あんた、誰だい?」
「あ、いえ……。私は……」
西京は何と言って良いか分からなかった。実際、彼はアイリンとは一度会っただけで、友達と呼べる存在でも無かった。ただ一度鉛筆を買っただけの客だ。それを、娘を亡くした母親に説明出来る筈も無かった。
しかし、彼女の母は西京の顔を見ると言った。
「あんた、もしかして、昨日鉛筆を買った日本人かい?」
「え……?」
西京は一瞬戸惑った。
彼女にどうやって説明しようかと悩んでいた彼は、まさか彼女の方から答えを言ってくれるとは思っていなかったのだ。
「……はい。そうです」
彼は少し照れて答えた。アイリンが自分の事を母親に話してくれていたのだと思い、彼は嬉しかったのだ。彼がアイリンにもう一度会いたいと思っていた様に、アイリンもまた自分の事を思ってくれていたのだと、西京は感じた。
しかし、その答えを聞いた瞬間、母親は鬼の形相となり西京の胸ぐらを掴んだ。
彼女は胸ぐらを掴んだ勢いのまま西京を押し倒した。そして、彼に馬乗りになり叫んだ。
「あんたが! あんたのせいで娘は死んだんだ!」
西京はいきなりの事で事態が理解出来ず、放心状態になってしまった。鬼の顔をした母親は今にも彼に殴りかかりそうだった。
それを見ていたスカベンジャー達が慌てて母親を西京から引っぱがす。それでも母親は抵抗して叫び続けた。
「あんたが娘に、勉強すれば学校に行けるって言ったんだろ! 行ける訳無いじゃないか! あたいらはこの国の厄介者なんだよ! それなのに、あの子は勉強するからノートを買ってくれって言うんだよ! だから、あたいは断ったんだ! そしたら、そしたらあの子、一人でゴミの山にノートを捜しに行って、そして、そのゴミの山が崩れて下敷きに……!」
母親はそこまで言うと、抵抗する力がなくなった様に項垂れて泣き出した。
彼女が泣き崩れたのを見て、彼女を押さえていた人達がやっと手を離す。
彼女は地面をドンドンと叩きながら話し続けた。
「瓦礫から引きずり出されたあの子は、ボロボロのノートを持っていたよ。勉強なんてしても学校なんて行けやしないのに……。あんた、優しさのつもりで言ったのなら、余計なお世話なんだよ! 仮に学校に行けたとしても、その費用は誰が出すんだい? あたいらにそんなお金がある訳無いだろ……! あたいらはゴミを漁って生きていくしか無いんだよ! 中途半端に希望を持たせる様な事をしないでくれ! やるなら……、やれるものなら、私達の様な貧しい者がいない世の中にしておくれよ!」
彼女は泣きながら地面をドンドンと叩き続けた。
彼女が一度地面を叩く度に、西京は自分の頭が叩かれている様な気がした。彼の真っ白になった頭の中を、ドンドンと地面を叩く音が響いた。そして、その音と共に幾つかの台詞が彼の頭を過っていった。
「お前は世界を変える力を持っているんだ……」
「やれるものなら、私達の様な貧しい者がいない世の中にしておくれよ!」
西京の目に涙が浮かんだ。
母親はそのうち地面を叩くのを止めて、その場で泣き続けた。それでも、西京の頭にはドンドンと地面を叩く音が響き続けた。
西京の頭に昨夜のアイリンの笑顔が浮かんだ。
その小さな女の子は、学校に行って友達を作るという本当に小さな夢を語って笑った。
しかし、そんな小さな夢も叶えられずに彼女は死んだ。
いや、彼女だけではない。ここに暮らす人々は、皆そんな夢を叶えられずに一生ゴミを漁って生きるのだ。
「俺は……、俺は……どうすれば……?」
西京の頬を涙が流れた。
スモーキーバレーに大きな風が吹いて、揺らめいていた煙を一つ吹き消していった。しかし、すぐに別の場所で集められたゴミが自然発火して、新たな煙が上がる。
遠くで新たにゴミ収集車がゴミを運んで来て、スカベンジャーが歓声を上げるのが聞こえた。
作品名:トレーダー・ディアブロ(4) 作家名:砂金 回生