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砂金 回生
砂金 回生
novelistID. 35696
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トレーダー・ディアブロ(4)

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二〇〇六年 七月 二十三日

 フリピン、マニラ市ベイウォーク。
 西京育也とホルヘ・グレリアはマニラ湾沿いを歩いていた。
 曾てはマニラ湾沿いのロハス通りは、屋台が立ち並び大変な賑わいを見せていたが、市長が交代してから都市の景観を損なうという理由で、ほとんどの屋台が強制撤去され、今では静かな遊歩道となっている。今やベイウォークは、フリピンの富裕層と観光客で賑わう高級ブティック等が建ち並ぶ地域である。
 マニラ湾に都会のネオンが反射してキラキラと輝いていた。
 西京がニューホライズンのトレーダーとなって一年、ファンドの運用はこの上なく順調だった。この一年でニューホライズンの総資産は三百億ドルを超えて、彼らはファンド業界でも一目置かれる存在となっていた。
 当然、その最高経営責任者であるグレリアも、世界中のメディアの注目を集める存在となっていた。
 彼は西京のトレードで得た利益でファンドの多角経営に乗り出し、世界中の倒産寸前の会社を安く購入しては経営を立て直し高く売る、所謂M&Aを行っていた。グレリアはどうやらこちらのセンスはある様で、彼のぶっきらぼうな話し方と強引な手法は周囲の反感を買いながらも、経営自体は非常に順調だった。
 彼はいつの間にかヘッジファンドの暴君と世界中のメディアに呼ばれる様になっていた。
 この一年、グレリアは可能な限り西京と過ごした。
 彼は西京がニューホライズンのトレーダーとしてトレードをスタートさせた当初は、何とか彼の技術を学ぼうとしていた。
 しかし、西京のトレードは技術ではなくセンスによるものが大きいと理解した彼は、今度は別の理由により西京と一緒にいようとした。
 ディアブロを手放す事が出来ない――。
 それが、グレリアが彼と一緒にいる最大の理由だった。
 通常、ファンドのトレーダーがサラリーマンとして長年同じファンドに所属し続ける事は少ない。トレーダーはプロの世界だ。注目を集めたトレーダーはどこかの金融機関にヘッドハンティングされて出て行くか、独立して出て行く事が多い。特に西京程のトレード技術があれば、世界中の金融機関の引っ張りダコになるのは目に見えている。
 だから、グレリアは可能な限り西京の存在をメディアから隠し、矢面には常に自分が立った。
 この行動は彼のヘッジファンドの暴君というイメージを更に大きくする事となったが、目立つのを嫌う西京にとっては好都合だった。
 グレリアは自由な時間を見つけては西京を連れ出し、コミュニケーションを取った。彼は西京をディアブロと呼び、自分の事をファーストネームのホルヘと呼ばせた。
 彼らはいつの間にか上司部下の関係を超えて、友人として付き合う様になっていた。人見知りの激しい西京には、独立して自分のファンドを立ち上げる野心は無く、外交的な仕事は全てグレリアに任せ、自分はトレードに専念した。むしろその方が西京にとっては心地良かったのである。しかも、西京の労働時間は基本的に自由。彼は気分の乗る時にトレードをすればそれで良かった。それでも誰一人として西京の運用成績を上回る事が出来なかったから、当然と言えば当然の結果である。
 そして、こういうギブアンドテイクの関係が彼らの関係を強く結び付けていた。
 しかし、この日、ニュージャージーから遥か遠いこの東南アジアの地で、二人の関係に大きな変化が訪れようとしていた。
「ディアブロ、お前にも見せてやりたかったぜ! こちらがあいつらの土地を買い占めようとしていると知った時のあいつらの顔をよ……!」
 グレリアは上機嫌で西京の肩を組んだ。
 彼の吐く息はウィスキー、ジャックダニエルの臭いがした。
 彼らがフィリピンに来たのは、東南アジアのゴム農園を買い漁る為である。
 原油相場の高騰により石油製品の価格は軒並み上昇していたが、それは石油から作られている合成ゴムにも同じ事が言えた。そこで、グレリアはまだ価格が上昇していない天然ゴムに目を付けて、安いうちに農園ごと買い付け、合成ゴムの値段の上昇に釣られて値段が上がった時に売却しようと考えたのだ。
 いつもの様に、今回の交渉もグレリア一人で行い、西京は彼が交渉を終えるまで近くのバーで待っていた。
 西京はグレリアの様子を見て、交渉は上手くいったのだと確信した。
 暫く歩くと、ほろ酔い気分のグレリアは組んでいた手を離し、フラフラとホテルの方に向かった。
「じゃあ、俺はこのままホテルに帰るぜ。ディアブロ、お前はどうするんだ?」
「俺は、少し星を見て帰るよ」
「またか? 好きだな、お前も。でも、気をつけろよ。お前は世界を変える力を持っているんだ。あまり羽目を外しすぎるなよ」
 グレリアはクククと笑い、左手を少し挙げてサヨナラの合図をした。そして、彼は遊歩道から横断歩道を渡ってホテルの方に向かった。
 西京も同じく左手を少し挙げて、暫くグレリアの背中を見ていた。
 彼はグレリアが振り返らないのを確認して、マニラ湾を北に歩き出した。
「フ……、世界を変える力を持っている……か……」
 西京は先程のグレリアの言葉を反芻し、もう一度飲み込んだ。
 彼は自分のトレード技術が完成された物だと自覚していたが、そのトレード技術を使って有名になりたいとか、何かを手に入れたいという野心は無かった。だから、世界を変える力を持っていると言われてもピンとこない。
 欲しい物は何でも手に入るだけの報酬は既に貰っている。しかも、今の彼は自分の好きな時にトレードすれば良かったので、時間的な束縛も無かった。それでも、ニューホライズンのトレーダーは誰も西京に勝てなかったので、グレリアを含め誰も彼に文句を言えなかった。
 そういう事もあり、今のグレリアとの関係に彼は満足していた。
 マニラ湾から涼しい風が吹き付ける。
 酒で火照った頬に夜風が当たって気持ちが良かった。
 彼はピンクと黄色のネオンが輝く通りに入り、物色する様に歩いた。特定の女性との付き合いの無い西京にとって、夜の街は自分の欲求を満たしてくれる格好の遊び場だった。
 しかし、その時だった。
 彼がネオンの中を歩いていると、突然、一人の幼い少女が彼に声をかけてきた。
「ミスター、鉛筆を買ってくれませんか?」
 見た所、十歳前後の女の子だ。長い髪を後ろに束ねて、ワンピースにサンダルという格好だった。そのサンダルのバンドに大きな黄色い花が咲いていた。
 彼女の手には、手作りの鉛筆が十本程握られていた。
 東南アジアでは、こういう小さな子供が通りで物を売っている姿は珍しくはない。そういう子供達の殆どは親に命令されて、手作りの文房具や絵はがきを売っている。
 この子の場合、鉛筆を売っている訳だが、西京は驚いた。いくら子供の物売りが珍しくないとは言え、今の時間は既に午後十時を回っていた。この通りにも飲み屋や風俗店の客引きの姿はあったが、流石に十歳前後の子供はいない。一体、親は何をしているのだろうか……?
「君、親はどうしたんだ?」
 西京は中腰になり、女の子と目線の高さを合わせると聞いた。
 すると、彼女は少し困った様な顔をして答えた。
「お母さんはお仕事している」
「お父さんは?」
「いません」
 女の子は首を振った。