トレーダー・ディアブロ(1)
だが、差別用語を使われても八田は全く気にしていなかった。それどころか、彼がスラングを使い出した事に、一種の達成感を感じていた。ラテン系の男がスラングや差別用語を親しい間柄の人間に対して使う事は、八田も今までのライターとしての経験から知っていたからだ。
「いいか、フットボールにペナルティーキックってのがあるだろ?」
「あ、はい。ペナルティーキックは知っています」
「そのペナルティーキックで、ゴールが決まる確率はどのぐらいだと思う?」
「確率ですか?」
「そうだ……」
「よく知りませんが、七割から八割ぐらいではないでしょうか?」
サッカーの事は専門外の八田であったが、ペナルティーキックは何度もテレビで見た事がある。確か、その時の解説者が、ボールの速度と人間の反応速度、そしてキーパーの瞬間的動作で手の届く範囲からキッカーが圧倒的に有利だと言っていた。
「まあ、そんな所だ。キーパーはキッカーがシュートしてから飛んだのでは間に合わないから、勘を頼りに飛ばないといけない。この際に、飛ぶおおまかな方向は、正面、上、右上、右下、左上、左下の六等分だ。そして、実際にその方向にボールが飛んで来る確率が十六・六パーセント。この数字を聞いただけでも、キーパーにとってペナルティーキックを防ぐのがどんなに難しいか分かるだろ? だが、もし、ディアブロがそのペナルティーキックのキーパーだったなら、全てのシュートを防いでみせるだろうよ。あいつはそんな事が出来る奴だったのさ……」
「え? はあ……。そうですか……?」
八田はグレリアの言っている事が理解出来なかった。
ディアブロは凄腕のトレーダーだった筈だ。それが、サッカーのキーパーと何の関係があるというのだろうか。
「フフフ……。あんた、俺の言っている事が理解出来ていないようだな」
「あ、いえ。そういう訳では……」
「無理も無いさ。俺自身、この目で見るまで信じられなかったからな。あいつのトレードセンスはそれぐらい完璧だったのさ。そして、あいつのトレード理論ってのはトレード以外の事、それこそ世の中の全ての出来事に応用出来たんだ。例えば、あいつは庭に植えてある木の枝が、今後どういう風に伸びていくのか……、階段を転げ落ちるボールがどこで止まるのか……、もちろん俺が指定した会社の株価が今後どういう動きをするのか……、全て完璧に言い当ててみせた」
「そ、そんな事が可能なのですか?」
「そうさ。もちろん、そんな事が出来たのはディアブロだけさ。だから、あいつはディアブロなのさ。そして、そんなとんでもない奴だったからこそ、あんたもわざわざ日本からカルフォルニアまで話を聞きに来たんだろ?」
ここでグレリアはジャックダニエルを更にもう一口飲んだ。
そして――。
「いいだろう、ポンハ。どうせ俺のインタビューが大きく取り上げられる事はもうない。あんたに話してやるよ……ディアブロ、西京育也(にしきょう いくや)がどういう男だったのかを……!」
そう言って、グレリアは真っ直ぐに八田の目を睨んだ。
八田はグレリアから目を逸らさずに、その視線を受け止め、生唾を飲んだ。
「あ……、有り難うございます!」
そして、彼は深々と頭を下げた。
「あいつに初めて遭ったのは今から五年前……。実は、俺がその当時運営していたファンド、ニューホライズンはその時、破綻の危機にあってな……」
グレリアは窓の外に広がる太平洋を眺めて、話し始めた。
窓から差し込む明るい日射しが、リビングの二人をシルエットとして映し出した。
作品名:トレーダー・ディアブロ(1) 作家名:砂金 回生