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アイラブ桐生 12~13

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 「おばあちゃん、
 お風呂に入りた~い。
 此処から見る、沢の様子は最高だもの!。」


 挨拶の前だというのに開口一番、もうレイコのおねだりが始まりました。
よく来たねェ、といいながら立ち上がったおばあちゃんは、
慣れた様子で裏手に回ると、もうお風呂の炊きつけを始めました。
手なれた様子からみると、レイコのお風呂のおねだりは
よくあるお願い事のひとつかもしれません。



 ゆっくりしていきなさい・・・


 我儘なレイコの面倒を見るのは大変でしょう。
面倒をかけると思いますが、あれも私の娘に似てどこか引っ込み思案で
自分の言いたい事や表現がとても下手な娘です。
それでも、性根はいい娘ですので、飽きずに遊んでやってください、と
おばあちゃんが、笑いながら沢水で冷やしたムギ茶を
注いでくれました。



  「そういえばM子ちゃんはどうしています、お元気ですか。
 しばらくご無沙汰をしていますが、
 あの子も優しくて気のきく、器量よしのいい子です。
 もう皆さんとも久しくお会いしていませんねぇ。
 中学生の頃が最後でしょうかねぇ・・・
 懐かしいですねぇ、あのころが。
 みなさんで遊びに見えていたのも、ついこの間のような気がします。」
 
 と、目を細めて、わらっています。



 「おばあちゃ~ん、
 沢でビールを冷やしておいて~
 途中で買ってきたから・・・
 お~い、相棒! 一緒に、入るかい~」


 お風呂場からレイコの大きな声が、突然響いてきました。





 結局、また泊まることになってしまいました。
レイコの思惑どうり、シャツ3枚を使いきる見事な展開になりました。
囲炉裏を囲んだ夕食がすむと、おばあちゃんは
「二人で、ゆっくりしておいで。」と一声かけて早々に、寝室へときえてしまいます。

 市内から標高にして200mほど登ったこの山間地では、
山々に取り囲まれているために、真夏になっても日の陰りは早く、
6時を過ぎると空はまだ青空を残したまま、
西の峰のむこう側へ太陽が隠れてしまいます。
明るい空を残しつつ谷間の渓谷には少しずつ、夕闇の
帳(とばり)が降りてきます。

 浴衣に着替えたレイコが、缶ビールを片手に、
沢が見降ろせる縁側へ出てきました。



 「鳴神山からの清流だもの、
 下手な冷蔵庫より、よく冷えているわ。
 あなたの分ももってきたから、此処で飲みましょう。

 来て。」

 言われたままにレイコの隣で、1mほど間を置いて腰をおろしました。
それを見たレイコが、即座に横滑りをしてきました。
レイコの洗いたての髪からは、シャンプーのいい香りが漂よい続けます。
軽く触れている素肌の浴衣越しに、肌のぬくみさえ感じました。

 
 「おまえ・・・(近すぎて)大胆すぎるだろう。」

 「なんでさ、
 おばあちゃんはもう寝ちゃったし、
 こんな時間に、こんな山奥にまで人が登ってくる訳もないし、
 こうして、ここにいるのは私たちの二人だけなのよ。
 仲良く並んで座っているだけなのに・・・・
 それとも近すぎる?
 近くに座ると、あなたは、迷惑をするわけ」



 返事に窮してしまいました。
見透かしたように、レイコが柔らかく団扇(うちわ)を使い始めました。
夕暮れの涼しい空気に混じって、団扇の風に乗せられたレイコの香りが
また、私の鼻をくすぐりにやってきました。
(こいつ、挑発するつもりなのかな、悪女の素質まで持っている・・・・)

 目の前に造られた上下2段の池に、蛍の群れが集まり始めました。
もうそんな時間になるのかと空を見上げると、もうすっかりと
暮れて星が輝いています。
市内ではめったに見ることのできない天の川の光の帯が、
きわめて綺麗に、頭上でまたたいています。

 
 レイコが、さっきよりも近寄ったような気配がした一瞬、
急に風が吹いてきて、集まりかけていた蛍たちを一斉に、
四方へ散らしてしまいました。



 「もう少ししたら・・蛍ならまた戻ってくる。
 ・・・でもさぁ、出ていく人はいいけれど
 待たされている立場の人たちには、耐えきれないこともたくさんある。
 あんたは、いつも結論が出る前に居なくなっちゃう人だし、
 何を考えているのか、まったくつかみどころもない人だ。
 誠実だとは思うけど、やっていること自体が
 気ままで自由奔放すぎるんだもの。
 あの頃のM子が、寂しすぎて、どうにもならないまま、
 年中泣いていた気持ちが、今なら良くわかる。」


 縁側から立ちあがったレイコが
蛍が散ってしまった池の先端まで歩いて行きました。
呼吸を溜めながら、次にいうべき言葉を前にして、
少しの間だけの躊躇をみせました。

 手は口元にを当てたまま・・・・
視線は暗闇で何も見えないはずの、静かな池の水面を見つめています。
団扇だけが左右にひらひらと動いていましたが、
それも段々とリズムを壊しはじめます。
やがて団扇は、レイコの胸元でぴたりと止まってしまいました。
ようやくあきらめをつけたのか、顔を上げたレイコが
まっすぐな視線を私に向けてきました。



 「あんた、いまでもまだ、画が書きたいんでしょう。」

 レイコの声は乾いていました。



 レイコが言い当てた通り、画にはまだ、こだわりきっていました。
「絵を描く仕事に就きたい」それは、
一度はあきらめて心の底に沈めたつもりで
いるくせに、まだ未練だけをたっぷりと残していました。
しかしレイコに、そんなそぶりを見せた覚えも、告げた記憶もありません。
どうしてそんなことまで知ってるの、と聞こうとしたら
レイコの方が先に口をひらきました。




 「行けば。
 行かなければ、あんたは、一生を通してきっと後悔をすることになる。
 本当は、私が泣いてでも止めるべきなんだろうけど
 それじゃあ、あなたが辛くなる。
 私も、たぶん、そのことでずっと後悔をしそうな気もするし。
 寂しくなるのは解っていても、今は、見送る事しか出来ないと決めました。
 何でさぁ、あんたは、やりたくもない板前の修業なんかしているの。
 あんたがどうしてもやりたかった仕事は、機織りの図案師の仕事でしょ。
 絵を描くことが、あんたの人生になるはずだったのに。
 繊維産業が落ち目になった今の桐生では、
 どうあがいたって、もう、あんたの仕事場なんか残っていないもの、
 しょうが無いわよね・・・・
 行ってくれば。
 15年も待ったんだもの、あと少しくらいなら、何年かなら待つわよ。
 小さい時からずう~と、待ち続けていたんだもの・・・
 いつかは、レイコの順番がくるって。でもさ、残酷だね。
 あたしの番がやっときたと思ったら、
 今度は自分から、あんたの背中を押す羽目になるなんて・・・
 悔しいよ、こんなことになるなんて。
 でもさ、あたしは大丈夫だから、あなたは、自分の道を歩いてきて頂戴。
 それが、いまあるべき私たちだと思う。」




 それだけを言い切ったレイコは、それ以上、こっちに来るなと言うように
小さく胸元で拒絶するように手を振ってから、
あとの言葉をのみこんでしまいました。
作品名:アイラブ桐生 12~13 作家名:落合順平