鳥居の村
それに追いかけるようにして聞こえるのは罵声、怒声。ーー尚隆、と必死に叫ぶ非難を含んだ幾人もの声。
尚隆は辺りを見まわした。
間違いない、この場所はあのときと同じ場所だ。ーーそれは村から逃げるようにして引越したとき、両親と共にこの場所から、いまと同様に村を眺めていた。そのときの両親の顔を尚隆はあまりにもはっきりと覚えている。悲しそうに歪んでいた。
一家は追い出されたのだ。この、眼下に広がるーーひとつの小さな村から。
「……神隠し」
尚隆はため息とともにつぶやいた。
両親は村を追い出された後も小言のようにその言葉を繰り返していた。
幼かった自分は、それを呪詛の言葉なのだと思っていた。
ーー実際、そうだった。
その言葉の発端は小さな村で起こった大きな事件だった。
ある日忽然と村の子供たち3人が姿を消してしまったのだ。
幼いときのことで尚隆自身はその時の事をはっきりとは覚えていなかったが、それでも彼らと遊んでいたことは少しながら覚えている。他の街から越してきた尚隆には友達がいなかった。いつも独りで遊んでいた尚隆は、ある日を境に彼らと親しい間柄になっていた。どういう経緯で彼らと仲良くなったのかは、よく覚えていない。だが幼い尚隆にとってそれは嬉しい出来事だったのだろう、うっすらとながら彼らと遊んだ記憶は残っていた。
畦をがむしゃらに駆け抜けると時間を合わせたわけでもないのに、湖の畔で彼らは尚隆を待っていた。彼らは笑顔で迎え、尚隆もそれに笑顔で返した。
そのときのことを思い出すと胸がぽっかりと温まる気がしたが、それはその後の彼らのことに思いが馳せるとひっそりとどこかに消えてしまった。
神隠しーーその日、尚隆はいつものように湖の畔で彼らと遊んでいた。透き通った湖の水面には魚の鱗が虹色に輝き返し、足元の砂は瞬くほどに眩しい銀。なんらかわりのない日の筈だった。街育ちだった尚隆には生きてる魚が物珍しくて、おっかなびっくりに指先に小突いていると唐突に強い風が吹いた。なんだろうと振り返ったさきに3人の姿は見えなくなっていた。突風に煽られて勢いを増した波頭が足元の砂浜を浚っていったのを覚えている。尚隆と村の子供一人は必死に彼らを捜した。いくつもの遊び場を尋ねた。その度に彼らが物陰に隠れてこちらの様子を窺っているんじゃないか、と期待を込めて捜したが、彼らが見つかることはなかった。次第に日は暮れ、辺りが暗くなると自分たちの手に負えないことを悟って大人たちに助けを求めた。
その後は警察と村人で湖の畔から水底、そして山々に至るまで必死の捜索が行われたらしいが、一向に子供たちは発見されなかった。そしてその責任は村の子供よりも、元々が部外者であった幼い尚隆の、ーーひいては両親に叱責が向けれた。村人が玄関前に押し寄せ、口々に非難を寄せる悲観な叫び声に両親がうろたえて困惑した姿が、おぼろげな輪郭で思い出すことができた。
両親は相当に悔しかったはずだ。身もふたもない事件に子が疑われ、挙句に矢先は自分達に向けられる。そして逃げ出すようにしてーーいや、事実、村から逃げ出したのだ。
「それが……ここか」
尚隆はバイクと村を見比べる。
村人は自分を覚えているだろうか。
あのときは10歳、いまはそれから14年。――さすがに覚えてはいないだろう。
姿形もずいぶんと違う。あの頃の面影など無いに等しいだろうし。もしかすれば事件のことなどとっくの昔に風化してしまって、誰も覚えていないかもしれない。ーー忘れた、とそう思っている人の方が多いかもしれない。
ーーそれに、本当に神隠しなどあったのだろうか。引っ越したあとになってひょっこりと戻ってきたりなど、しているのではないだろうか。
尚隆はバイクに歩み寄った。タンク愛おしく撫でる。指先にひんやりとつめたい感触が走る。
「ほとんど空っぽだもんな」
はぁ、とため息をついて俯く。
しばらく俯いたままだったが、意を決して顔を上げるとバイクに跨った。
キーをONに捻り、スタータースイッチを親指で押し込む。
セルモーターの唸る甲高い音が弱弱しく辺りに響いた。ガソリンがもうないんだ、とそう非難めいた音。
嗜めるようにアクセルスロットルを軽く開ける。何かが急激に溢れるような音が聞こえ、一瞬の後にエンジンがかかった。
ギアをニュートラルから一速に落として発進しようクラッチを繋げーー尚隆はふいに人の視線を感じてスロットルを開ける手を躊躇い、視線の持ち主を求めて振り返る。そこには赤い東屋とベンチ、空に張り出した見張り台。潅木に包まれた鳥居が静かにそこにあるだけだった。
「なにを怖がっているんだか」
尚隆は苦笑する。
タンクを軽く小突くと再度クラッチレバーを徐々に離しながらスロットルを煽る。
マフラーがどこかで小さな木霊をつくるのが聞こえる。
車体はゆっくりと村に向けて動き出した。