もう一つの部屋
もうひとつの部屋
高槻啓太は老朽な木造アパートに六年間ほど住んでいた。先月の或る日曜日、仕事の合間に不動産屋のガラス窓に並んでいた間取図を眺めていたことがあった。そのとき、家賃が格安の、ワンルームの賃貸マンションを発見した。慌てて翌日の朝にそこを借りたいことを、不動産屋の放漫な体躯の中年女性に申し出た。彼はそのマンションに今日の午後二時過ぎに引っ越して来た。三階の窓から外の風景を暫く眺めたあと、幾つもの段ボール箱から様々な物を取りだして収納を夕方まで行い、暗くなってから入浴した。
狭いユニットバスでもかなり嬉しい気持ちになった。木造アパートには風呂がなかったからである。狭い部屋なのでベッドは置きたくないと思った。フローリングに直接布団を敷いたのは、近所のラーメン屋から戻った午後十時過ぎだった。
夜中に微かだがクローゼットの奥から音が聞こえたような気がした。中に入って異常がないことを確認し、懐中電灯の光を消したとき、暗闇にならなかったのでおかしいと彼は思った。クローゼットの奥の壁の四隅がほんのりと明るいのだった。取手こそないものの、その壁はドアであるような気がする。押してみようかとも思ったが、隣の住人といきなり顔を合わせるようなことになっては気まずいとも思い、なるべく音がしないように気をつけてクローゼットから出た。
胸の高鳴りを意識しながらその晩は意外にすみやかに眠りに落ちたらしかった。