アイラブ桐生 9~11
ありがとう、とだけ答えました。この車だけは自慢です。
アフリカで毎年行われている、サファリ・ラりーを
見事に疾走していくその勇姿に一目ぼれをして、無理した買いこんだ愛車です。
ブルーバードのSSS(スリーエス)は、かけだしの板前などが乗るのには、
きわめて贅沢すぎる車です。
ただし私に、暴走族的な趣味は一切ありません。
普段はほとんど乗らず、たまの遠出とドライブを楽しむ程度です。
しかしこの時代になると、高性能を誇る国産車がつぎからつぎと各メーカーから
発表がされて、多くの若者たちの間でスピードだけを競い合う
危険な風潮などもたかまりました。
「サファリを走った心臓だぜ。」
「そうなの?
それじゃあ、あんたの心臓も、そのくらい強いと、
わたしも安心して報告が出来るんだけど・・・・
何の話か、聴きたい?」
「?」
「M子が、春になったら結婚するという話です。
誰かから、聞いたかしら?。」
初耳でした。
レイコに、誕生日祝いのプレゼントを届けてもらって以来、
その後は会うことも無くなり、ついにはそのまま放置といえる状態になりました。
「あんたが勝手に転校をして、
思う存分、柔道に励んでいた頃に、それこそM子は毎日泣いてたわ。
捨てられた訳じゃないけれど、ほとんどなんの相談も無く、
突然居なくなられたのでは、M子も辛すぎたと思う。
結局、そんなM子を優しくいたわってくれた、遠い親せき筋の男の子が、
あなたの身代わりをしてくれたわ・・・
ということで、愛を育んできた二人は、
この春めでたく、ゴールイン。」
「そうだったんだ・・・」
「いいんじゃないかしら別に。
つき合っていたことは事実でも、あんたはM子に、
手も足も、ちょっかいさえも出したわけではないんだし、
将来を、固く約束し合っていたという訳でもないんだから・・・
いまさらそれほど、気にしなくても。」
女同志のおしゃべりは、いったいどこまで、
どんな内容にまでおよぶのでしょうか・・・
当人同士だけの秘密や内緒と思っていた事がらが、実に見事に、
筒抜けになっている気配がします。
「そうだ・・・あなたも着替えておけば。
お兄さんの普段着を借りてきたから。」
なんで大量に、男物まで借りていくのかM子は、
不思議には思わなかったのでしょうか、
それともレイコが、よほど上手く言いくるめたのか、ちゃんと、
男物のシャツが3枚も綺麗に折りたたまれて入っています。
なんで3枚も・・・?
その枚数にも驚きましたが、
もっと驚いたのは大量の文庫本が転がり出てきたことです。
手にとってみるとそれは愛読している「青春の門」のシリーズで、
しかも全巻分がちゃんと揃っています。
「おいっ、お前、まさか・・・・」
「あ~、ついに、ばれちゃったか。
ついでに渡してくださいって、M子から頼まれてきました。
あなたのことは内緒にするつもりだったけど、
M子の幸せそうな顔を見ていたら、あたしの中の悪魔がつい悪戯をしちゃったの。
ごめんねぁ、つき合うかもしれないって、ついつい嘘をついてしまいました・・・・
(私は、その気なんだけどさ、でも、あんたの本心は分かららないでしょ)
実は、あんたの誕生日に自分から渡したかったそうです。
あの日のプレゼントのお返しに。あんたが愛読している「青春の門」が、
文庫本で、やっと全部揃ったので、あれから5年間も待たせてしまったけど、
レイコから渡してくださいって。そう言われてしまいました。
断るわる訳にもいかず、
はいって、快く返事をして、預かってきました。」
(やっぱり全部、筒抜けだ・・・。)
紺碧に輝く日本海を右に見て、
何処までも南下していく国道線は、実に快適そのものです。
朝早いことも有りますが、表日本では考えられないほど、
人家も見えなければ反対車線を走る対向車とも、
めったには行き会いません。
のんびりとしていて、鈍く照り返しを見せはじめた
アスファルトの一本の路が、海岸の景色を見え隠れさせつつ、
南西方向へ向かってどこまでも単調に伸びて行きました。
小さな集落が接近をしてきても、
民家は、あっというまに車窓を通りすぎてしまいます。
再び山と斜面だけの景色に変わり、
右側には日本海の青い海がまたひろがりました。
左手の山脈から駆け下りてきた急な斜面は、
そのまま突きささる角度を保って海へと落ち込んいく、
そんな同じ景色ばかりを繰り返します。
能登半島の付け根、氷見をすぎたころには、
真夏の太陽はすでに頭の上で、今日も激しく気温をあげはじめています。
耐えきれずに、エアコンの目盛りをひとつだけあげました。
作品名:アイラブ桐生 9~11 作家名:落合順平