京都七景【第一章】
【第一景 東山安井に立つ(1)】
わたしが京都でどうにか学生暮らしを始めて3年目の、これからいよいよ夏休みに入ろうというときのことである。大学図書館での調べものも済んで、さて学食で昼飯でも食べようかと石段を降りかけたところに、たまたま堀井と行き会った。堀井というのはわたしが大学で最初に知り合った友人である。以来何かと理由をつけてわたしを引っ張り出しては酒を飲もうとする、いわく、悪友である。
「おやおや、こんなところで見かけるとは、そろそろ卒論のテーマでも決めたのかい」
「うむ、まだ決めたわけじゃないが、少し心当たりがあって調べている」
「ほう、そうか、ずい分と早手回しだな。おれなんか、まだ何も考えていないよ。とにかくこの夏休みを存分に楽しもうと思ってるんだ。遊べるのは三回生の夏休みまでだからな。
というわけで、いささかせっかちだが、おれはこれから帰省する。いろいろ遊ぶ計画を立ててるもんだから忙しくていかん。じゃ急ぐからおれはこれで失礼するよ、見送りはいらんぜ。じゃあな」
堀井は、重そうなバッグを重そうな身体で振り回すようにして、どかどかと歩いて行く。と、急に、ぴたりと止まってくるりと踵を返し、またどかどかと戻って来た。
「そうだった、そうだった。野上に言っておくことがあった。」
「いいよ、いいよ、俺のことは気にするな。それより急いでるんだろう。早く行ったほうがいいぜ」
「おまえ、警戒してるだろう。なにせ、いつも俺が迷惑ばかりかけてるからな。だが、今日は違う。おまえこそ、ここでおれに会ったことを後できっと感謝するにちがいない。そんなうれしいお知らせだ」
「その気持ちだけもらって、おれは昼飯に行くよ。ありがとう、さようなら」
「待て、待て、何もそんなにつれなくすることはないじゃないか。話だけ聞いておいても損はしないぜ。俺も急いでるから、手短に話すよ。実はな、この夏、大文字焼きの日の夕刻に、一つみんなで集まって大文字の火を肴に飲まないかという話が進んでいる、と言うか、決定した。もちろんお前も来ることになっているから、忘れるなよ。集合場所は神岡のマンションだ。あの6階の部屋からの眺めは申し分がないからな、まったくあんなマンションを借りてくれる親っていったいどんな金持ちなんだかな、って、おれたちも利用させてもらうわけだから文句を言う筋合いじゃないが、相当甘やかしてるな。じゃ、忘れるなよ」
堀井は急いで立ち去ろうとした。
「おい、待った、待ってくれ」と今度はわたしがあわてて声をかけた。
「大文字焼きって、五山送り火のことか」
堀井は振り返って
「そうに決まってるだろう、相変わらず正確な言い方にこだわるな」
「しょうがないだろう、性格なんだから。それに、あといくつか、聞きたいことがあるんだ。神岡のマンションって、糺の森の近くのか」
「ああ。どちらかというと出町橋のほうに近いが」
「八月十六日だな」
「うん」
「何時からだ」
「おお、そうか、すまん、すまん。まだ、正確な時間を言っていなかったな。6時からだ。じゃ、もう行くぜ」
「待て、待て。最後にもう一つだけ聞かせてほしいんだ」
「ええー。まだあるのか、困るなあ、ま、しかたがない、一本遅らせるか。でも、これが最後だぜ」
「悪いな。でも、どうして集まることになったんだい。別にこの夏、集まって見るほどのことでもなさそうだけど」
「そこから説明しなきゃ、いかんのか。おまえって時々いやに面倒くさいな」
「しょうがないだろう、理由が分からなきゃ行動できない性格なんだから。もういい加減に慣れろよ」
「慣れたかないね。でも、急いでいるから、急いで説明する。だから、急いで納得するんだぜ。質問は受け付けないからな」
急いでいる東山が急いで言うところによると、われわれも京の町に暮らして早や三年になる。一回生の頃は物珍しさが先立ってよく観光名所に出かけたものだが住み慣れてくると、いつでも見に行けるという安心感から、わざわざ出かけようとしなくなる。それがいかん。油断大敵である。せっかく千年の〈去にし都〉に住み合わせながら、数十歩ごとに歴史的風景に出会えるものを、どうしてそんな無関心でいられるのか。もったいないではないか。まだまだ時間はあるとは言っても、もはや三回生の夏である。来年の今頃は卒論やら就職活動やら大学院の試験準備などが始まって、お互い名所めぐりどころの沙汰ではない。ならば、今年こそ、古き良き京都を味わう、学部生最後にして、絶好の機会ではないのか。
「な、な、ちょっとした思いつきだろ。普段学食でおまえが食べている冷奴だって、それがあと一度しか食べられないとなれば、この上なく愛おしくなるだろ。葱や生姜を頭にいただいている豆腐の姿が愛らしく見えて逆に食べられなくなるかもしれない」
「そんなのは、おまえだけだ。それに、どうしていつも食べ物にたとえるかな。分かりやすいと言えば分かりやすいが、どうも品がない」
「まあ、それはいずれ議論するにしてだ、いろいろ考えた末、まず見られそうにない大文字焼きから味わうことにしたんだ。だって、俺たち、夏は帰省していて、まだ誰も見たことがないし、来年は就職活動の真っ只中で無理だろうからな。まあ、そういうわけだから、よろしくたのむぜ。ところで、おまえが一番遠いんだから遅れるなよ。俺たちは午後の三時に家を出れば間に合うから。それじゃ、いい酒、飲もうぜ」
そう言い残して、堀井はそそくさと立ち去った。わたしは食堂へ行く道すがら、なるほど堀井の言うことにも一理はあるなと思った。確かに、ここのところ、京都の町をじっくり見る機会がなくなって来ている。気に入った場所にも足が遠のき、ひたすら講義、演習、図書館、学食、本屋、下宿、を繰り返している。勤勉といえば勤勉だが、惰性とも取れる。新鮮さを欠く。何か変化がほしい。そこへ堀井の話である。いつもは、ほどほどに聞き流している(堀井君、すまん)が、五山送り火と聴いて今日は胸が高鳴った。しかも
ふと見れば大文字の火ははかなげに映りてありき君が瞳に
という吉井勇の浪漫的短歌まで思い出してしまった。たしか、吉井勇は祇園が好きだったな(べつに知り合いではありません、一読者です)。そういえば今日は七月十六日、祇園祭りの最中である。すると明日は宵山か。とすれば、明日の巡行を待って山鉾が四条烏丸あたりに座っているはず。よし、これから気分転換に見に行くか。京に暮らして三年目とはいえ、何しろ本物を見たことがないから、いざ見るとなると何だかわくわくする。こんな気持ちになるのも久しぶりだな。これも堀井大人(たいじん)の余徳というか余波というか。いずれにせよありがたいことである。合掌。
わたしは学食を出て図書館に戻ると荷物をショルダーバッグにまとめて図書館前のバス停から四条烏丸を目指した。