携帯電話
こんな悲劇的なエピソード・・・・・・浮気下心疑惑事件。
高見沢はもう懲り懲りだ。
やっぱり凡人の生活は、お金はなくとも、穏やかで風流。
そして少々の秘密がある。
そういうものであって欲しいものだ。
高見沢はこの挙げ句の果てに決めたのだ。
ケイタイは通話機能だけで充分。
昔タイプのケイタイに戻ろう。
バック・ツー・ザ・クラシック・・・復古しようと結論付けたのだ。
通話だけしかできない携帯電話。
なんと優雅なものなのだろうか。
かけたい時にかけ、その時相手がたまたま取ってくれたら幸せ。
人生は合縁奇縁、取ってくれなかった時は、縁がなかっただけ。
かかってきた時も同じ。
縁があれば会話ができ、縁がなければそれまでの話しなのだ。
受信番号通知も不要。
誰からかかってきたのかもわからない。
それでいいじゃないの。
留守電も要らない。
必要ならまたかけてきたら済む話し。
メールなんてトンデモない。
ボタン操作で親指に筋肉が張り付くだけだ。
まして後追いメールで、「何で電話取らないの」と怒りのメールを無理に読まされるなんて、潤いなんてありゃしない。
ケイタイで画像を送信し合う。
大概見たくもないものまで送られてきて、辟易となるばかり。
なんじゃらかんじゃらのケイタイてんこ盛り機能。
これでコミュニケーションは確かに深まった。
しかし、それはくどくなっただけなのだ。