カシューナッツはお好きでしょうか?
91.ふけさん
肩と肩の距離、おおよそ10センチ。なんともぎこちない距離だ。初対面の二人としては近すぎる。だが、このたくさんの人波を二人別れないよう歩くには、この距離を保つしかない。我慢しよう。
私はそんなことを考えながら、きっと他の誰かがそこにいられることを悲しいほど望んでいるであろう、ハルカ君の左隣を陣取り、祭りの人波を闊歩した。
「…………」
ハルカ君と出会ってから、もうすでに10分くらいたっただろうか? おたがい、ずっと沈黙したままだ。あぁ、何とも居心地の悪い空間だこと。息が詰まりそうだよ。ハルカ君がいろいろと話をしてくれるもんだと思っていたから、何も話題を用意していない。確か川島君の話では、相当私とのデートを楽しみにしていたはずなのに、なんでさっきから下を向いて黙っているんだ。はたから見たらすごくつまらなそうだよ、ハルカ君。君はそれでもアイドルかい? アイドルならもっとうまく表現をしてくれないと、伝わらないよ。誰の心も動かせないよ。さぁ、私と最初に会ったときのような飛び切りの笑顔で楽しいおしゃべりをしておくれよ。私は愛しいカエデさんのデビューライブを我慢して、君に付き合っているんだよ。君は、気まずい雰囲気を私にプレゼントするために、私の貴重な“瞬間”を奪ったわけではないのだろう?
カエデさんのデビューライブが近づくとともに、私のハルカ君に対するイライラが少しずつ増えてきていた。そんな時、
「ピロピロピロン♪ ピロピロピロン♪」
ハルカ君の携帯が鳴った。
「あ、す、すいません……」
ハルカ君は申し訳なさそうに、アタフタとした動きでカバンから携帯電話を取り出して、画面を確認した。その瞬間、
『本日のメインイベント、『暗黒豆腐少女』のライブが10分後に始まります。みなさん、中央広場特設会場へ、ぜひいらしてください!』
というアナウンスが流れた。そのアナウンスを聞いた人の川は、物珍しさに釣られたのか、中央広場へ向かって動き出した。私はいてもたってもいられなくなり、その川に乗ってカエデさんのもとへと向かおうとした。そのとき、
「もげぇ!」
何者かに服の襟元をものすごい力で引っ張られ、中央広場へと向かう人の川から引き離された。
「ぐ、ぐるぢぃ」
私は襟を引っ張られ首が苦しかったので、直ぐに後ろを振り向いて、襟を引っ張る手を振り解いた。
「ちょっと! いきなりなにすんの!? 苦しいじゃないか!」
私がそう、怒鳴りながら振り向くと、そこにはハルカ君がいた。どうやら、私の襟を引っ張っていたのはハルカ君だったらしい。華奢なのに、すごい力だ。
「ごめんなさい……」
ハルカ君の目には、涙が溢れていた。ハルカ君は何度も何度も頭を下げて謝った。そのたびに、大粒の涙がぼったんぼったんと落ちていた。
「いや、その……わかればいいのだよ……わかれば……」
私はハルカ君の涙に動揺してしまい、困ってしまった。
「ほ、ほら。今日はせっかくの祭りなのだから、楽しもう。祭りに涙は似合わないよ。ほら、顔を上げて」
私はハンカチーフを差し出し、なかば強引にハルカ君のうつむく顔を上げた。その瞬間、ハルカ君と目があった。
「私、社長さんにずっと会いたかったんです! 私がアイドルになれたのは社長さんのおかげなんです!! 社長さんの好きなものは何ですか!!! 今日の私の浴衣姿どうですか? 似合っていますか!? アイドルに大切なものは何ですか? 私今すごくドキドキしています! こんどライブに来てください!! もっと社長さんのこと知りたいです!! 今お付き合いしている人はいるのですか!? 私みたいなお子様は嫌いですか!?」
そして、ハルカ君は間をあけずにものすごい勢いでしゃべりだした。その言葉達は、まるで壮大で純粋な流星群の様に、祭りの闇夜を流れた。
作品名:カシューナッツはお好きでしょうか? 作家名:タコキ