「ぶどう園のある街」 第二話
第二話
母の容態は医者が驚くほどの回復振りを見せていた。殆ど動かなかった顔の表情も作れるようになっていたし、声も出せるようになっていた。
ゆっくりと言いたい事を話す母は二年前と比べると奇跡と言うほかない状態まで戻ってきた。食事も家族と一緒のものがゆっくりではあったが食べられるようになっていたから、朝と夜はみんな揃って食べるようになった。
同級生たちは大学を卒業して就職するようになっていた。その報告が年賀状で届く。もう自分もそんな年なんだと漠然と考える。母親の事がきっかけになり将来に備えて介護の仕事が出来るように資格を取りたいと父に相談して、通信制の学校に入って勉強し始めた。
世の中が健康志向にあわせて長寿になる事で高齢者への介護がこの先増えてくると教えられた。バブル経済もはじけて高価な特養ホームに入居出来る人は少なくなるだろう。訪問で介護のサービスを受けながら自宅介護がきっと多くなることで、介護士への期待は高まってゆくそんな背景が色濃くなっていた。
父親が車椅子を買って帰ってきた。母を外に連れてゆくと言い出したのだ。
「お父さん、大丈夫なの?先生の許し頂かないといけないわよ」
「電話で言っておくよ。少しぐらい構わないって思うよ。母さんだってずっとここにいるから外に出たいよ、なあ・・・そうだろう?」
大きくなずいた。そして・・・「は・・・い・・・」と返事した。
「それみろ!本人がしたいことをさせてあげるのが一番なんだ」
「そうかも知れないね・・・今度の日曜日に行きましょう!」
「どこががいいかな・・・」
「お父さんたちの想い出の場所ってないの?」
「想い出の場所か・・・結婚してしばらく住んでいたアパートの近くに古墳があって、公園になっていたから小さいお前を連れてよく遊びに行ったなあ。近所の人が犬を散歩に連れてきていてお前によく懐いていたぞ。ペロペロ舐められて・・・きゃあきゃあ喜んでいたな」
「覚えてないなあ・・・ねえ、じゃあそこにゆきましょうよ。お母さんだってきっと同じように想い出があると思うから」
「そうしようか」
父親の名前は大西昌夫といった。妻の静江とは昭和43年春にお見合い結婚をした。昌夫27歳、静江24歳だった。そして美也子は翌年生まれた。
今年50歳を迎える昌夫は大手自動車部品メーカーの下請け企業の役員をしていた。10年ほど前に今の町に工場を新設することで転勤して住まいも買った。見渡す限りのブドウ畑の中に分譲地があって、高台という事も気に入って購入を決めた。美也子が高校に行くようになって電車の駅まで毎日自転車で通わなければならなかったことは不便をかけたと感じていたが、静かで周りが全部知り合いという安心な環境は都会では得られない財産であると昌夫は思っている。現実、妻が病に倒れて自宅療養している今日まで一番数多く訪ねてきてくれていたのは、近所の仲良くしていた主婦の皆さんだった。明日はわが身と言う故事に倣って何かしたいとの思いがあったのだろう。昌夫は感謝していた。
7月の誕生日が来て美也子は22歳になっていた。日曜日に出かける事もあったので着てゆく洋服を探したが、ずっと仕舞い込んでいたので、今は着たくないデザインだと感じて、父親に断って買い物に出かけた。ショッピングセンターに出展しているいろんなショップを回って気に入ったジーンズとポロシャツを数点買った。介護がしやすいようにデザインと素材を選んだ。もうすっかり介護士としての自覚が芽生え出して来たのであろうか、まだ正式に資格も取っていなかったが気持ちは強くそう感じていた。
日曜日は天気に恵まれて少し暑く感じられるぐらいになっていた。車の後部座席に抱きかかえて昌夫は静江を運んで座らせた。
隣に美也子が座って母を支えながらゆっくりと出発した。車椅子とオムツの替え、そして美也子が作ったお弁当をトランクに入れて車は目的地を目指した。
1時間ほどかかって着いた。家族連れが多く来ていて駐車場はほぼ満車状態に近かった。トランクから車椅子を出して母を座らせた。
この日のために美也子と昌夫は自分たちで練習していた。思っていたより速く感じられたので、ゆっくりと車椅子を押す必要があった。
若い頃に住んでいたアパートは建て替えられてマンションになっていた。同じ住人が住んでいるのだろうか・・・ふと昌夫はそう感じた。自分と同じぐらいの年の女性が犬を連れて散歩していた。見知らぬはずの美也子にその犬はクンクン!と泣き声を上げて近寄ろうとしてきた。
「ショコラちゃん!どうしたの?」飼い主の女性はそうなだめていた。それでもまだクンクンと鳴いていた。
美也子はその光景をじっと見ていたが、飼い主の方に近寄ってもう老犬だと思われるショコラに近寄った。尻尾を大きく振りながら元気に舐めまわすその舌の感触がわずかに残されていた美也子の記憶を呼び覚ました。
「あなたは私が小さい時に遊びに来ていたときのワンちゃんなのね!」
その声を聞いた飼い主は
「美也子さん?ですか」そう尋ねた。
「はい!そうです。父と母です」
「そう!あの時の・・・懐かしいわね、この近くに引越ししてきたの?」
「いいえ違います。母を・・・散歩に連れてここまで来ました。今は隣町に住んでいます」
「お母様大変ね・・・あなたが世話をなさっているのね。よくお父様とご一緒に遊びに来られていたでしょう、ショコラも長生きしてこうしてまだ毎日散歩させているんですよ。よかった・・・あなたに会えて。でもこの子が一番喜んでいるでしょうね、あなたの事いつもペロペロ舐めていましたから、覚えてらっしゃらないでしょうけど」
「父に聞きました。ショコラちゃんが私のこと覚えてくれていたんですね。すごいですね、犬の嗅覚というか記憶というか・・・驚かされました。まだこの近くにお住まいなんですか?」
「ええ、ほら立て替えたマンションに暮らしているのよ。独身だから気楽なの」
「そうでしたか。大西美也子といいます。お名前聞かせていただけますか?」
「ええ、野村といいます・・・雅子です。あなたがお父様と散歩なさっていた頃は主人が居りましたが、5年ほど前に病気で亡くなりました。お母様ひょっとして脳梗塞でしょうか?だったら夫のようにならないよう、十分気をつけてあげてくださいね」
「ご主人の事は残念でしたね。ありがとうございます。どのような事なんでしょうか?気をつけないといけないことは?」
「再発するって言う事よ。先生から聞いていませんでしたか?」
「聞いた記憶がありますが・・・気にしていませんでした」
「いけませんわよ。元気になったからといって安心したら油断しますよ。必ずCTはきちんと取るようになさってくださいね」
「そうですね、大切な事を忘れそうでした・・・感謝します」
「いいのよ、まだ若いから仕方ないわよ。それよりご結婚はされているの?」
「いえ、ずっと母の世話をしていましたし・・・外に出ること自体がそうありませんでしたから、縁なんて無かったです」
「今お幾つでした?」
「22歳です」
「好きな人はいないの?」
「いません」
「お母様の事で頭が一杯なのかも知れないけど、自分の幸せも考えて頂戴ね。余計なお節介だけど」
母の容態は医者が驚くほどの回復振りを見せていた。殆ど動かなかった顔の表情も作れるようになっていたし、声も出せるようになっていた。
ゆっくりと言いたい事を話す母は二年前と比べると奇跡と言うほかない状態まで戻ってきた。食事も家族と一緒のものがゆっくりではあったが食べられるようになっていたから、朝と夜はみんな揃って食べるようになった。
同級生たちは大学を卒業して就職するようになっていた。その報告が年賀状で届く。もう自分もそんな年なんだと漠然と考える。母親の事がきっかけになり将来に備えて介護の仕事が出来るように資格を取りたいと父に相談して、通信制の学校に入って勉強し始めた。
世の中が健康志向にあわせて長寿になる事で高齢者への介護がこの先増えてくると教えられた。バブル経済もはじけて高価な特養ホームに入居出来る人は少なくなるだろう。訪問で介護のサービスを受けながら自宅介護がきっと多くなることで、介護士への期待は高まってゆくそんな背景が色濃くなっていた。
父親が車椅子を買って帰ってきた。母を外に連れてゆくと言い出したのだ。
「お父さん、大丈夫なの?先生の許し頂かないといけないわよ」
「電話で言っておくよ。少しぐらい構わないって思うよ。母さんだってずっとここにいるから外に出たいよ、なあ・・・そうだろう?」
大きくなずいた。そして・・・「は・・・い・・・」と返事した。
「それみろ!本人がしたいことをさせてあげるのが一番なんだ」
「そうかも知れないね・・・今度の日曜日に行きましょう!」
「どこががいいかな・・・」
「お父さんたちの想い出の場所ってないの?」
「想い出の場所か・・・結婚してしばらく住んでいたアパートの近くに古墳があって、公園になっていたから小さいお前を連れてよく遊びに行ったなあ。近所の人が犬を散歩に連れてきていてお前によく懐いていたぞ。ペロペロ舐められて・・・きゃあきゃあ喜んでいたな」
「覚えてないなあ・・・ねえ、じゃあそこにゆきましょうよ。お母さんだってきっと同じように想い出があると思うから」
「そうしようか」
父親の名前は大西昌夫といった。妻の静江とは昭和43年春にお見合い結婚をした。昌夫27歳、静江24歳だった。そして美也子は翌年生まれた。
今年50歳を迎える昌夫は大手自動車部品メーカーの下請け企業の役員をしていた。10年ほど前に今の町に工場を新設することで転勤して住まいも買った。見渡す限りのブドウ畑の中に分譲地があって、高台という事も気に入って購入を決めた。美也子が高校に行くようになって電車の駅まで毎日自転車で通わなければならなかったことは不便をかけたと感じていたが、静かで周りが全部知り合いという安心な環境は都会では得られない財産であると昌夫は思っている。現実、妻が病に倒れて自宅療養している今日まで一番数多く訪ねてきてくれていたのは、近所の仲良くしていた主婦の皆さんだった。明日はわが身と言う故事に倣って何かしたいとの思いがあったのだろう。昌夫は感謝していた。
7月の誕生日が来て美也子は22歳になっていた。日曜日に出かける事もあったので着てゆく洋服を探したが、ずっと仕舞い込んでいたので、今は着たくないデザインだと感じて、父親に断って買い物に出かけた。ショッピングセンターに出展しているいろんなショップを回って気に入ったジーンズとポロシャツを数点買った。介護がしやすいようにデザインと素材を選んだ。もうすっかり介護士としての自覚が芽生え出して来たのであろうか、まだ正式に資格も取っていなかったが気持ちは強くそう感じていた。
日曜日は天気に恵まれて少し暑く感じられるぐらいになっていた。車の後部座席に抱きかかえて昌夫は静江を運んで座らせた。
隣に美也子が座って母を支えながらゆっくりと出発した。車椅子とオムツの替え、そして美也子が作ったお弁当をトランクに入れて車は目的地を目指した。
1時間ほどかかって着いた。家族連れが多く来ていて駐車場はほぼ満車状態に近かった。トランクから車椅子を出して母を座らせた。
この日のために美也子と昌夫は自分たちで練習していた。思っていたより速く感じられたので、ゆっくりと車椅子を押す必要があった。
若い頃に住んでいたアパートは建て替えられてマンションになっていた。同じ住人が住んでいるのだろうか・・・ふと昌夫はそう感じた。自分と同じぐらいの年の女性が犬を連れて散歩していた。見知らぬはずの美也子にその犬はクンクン!と泣き声を上げて近寄ろうとしてきた。
「ショコラちゃん!どうしたの?」飼い主の女性はそうなだめていた。それでもまだクンクンと鳴いていた。
美也子はその光景をじっと見ていたが、飼い主の方に近寄ってもう老犬だと思われるショコラに近寄った。尻尾を大きく振りながら元気に舐めまわすその舌の感触がわずかに残されていた美也子の記憶を呼び覚ました。
「あなたは私が小さい時に遊びに来ていたときのワンちゃんなのね!」
その声を聞いた飼い主は
「美也子さん?ですか」そう尋ねた。
「はい!そうです。父と母です」
「そう!あの時の・・・懐かしいわね、この近くに引越ししてきたの?」
「いいえ違います。母を・・・散歩に連れてここまで来ました。今は隣町に住んでいます」
「お母様大変ね・・・あなたが世話をなさっているのね。よくお父様とご一緒に遊びに来られていたでしょう、ショコラも長生きしてこうしてまだ毎日散歩させているんですよ。よかった・・・あなたに会えて。でもこの子が一番喜んでいるでしょうね、あなたの事いつもペロペロ舐めていましたから、覚えてらっしゃらないでしょうけど」
「父に聞きました。ショコラちゃんが私のこと覚えてくれていたんですね。すごいですね、犬の嗅覚というか記憶というか・・・驚かされました。まだこの近くにお住まいなんですか?」
「ええ、ほら立て替えたマンションに暮らしているのよ。独身だから気楽なの」
「そうでしたか。大西美也子といいます。お名前聞かせていただけますか?」
「ええ、野村といいます・・・雅子です。あなたがお父様と散歩なさっていた頃は主人が居りましたが、5年ほど前に病気で亡くなりました。お母様ひょっとして脳梗塞でしょうか?だったら夫のようにならないよう、十分気をつけてあげてくださいね」
「ご主人の事は残念でしたね。ありがとうございます。どのような事なんでしょうか?気をつけないといけないことは?」
「再発するって言う事よ。先生から聞いていませんでしたか?」
「聞いた記憶がありますが・・・気にしていませんでした」
「いけませんわよ。元気になったからといって安心したら油断しますよ。必ずCTはきちんと取るようになさってくださいね」
「そうですね、大切な事を忘れそうでした・・・感謝します」
「いいのよ、まだ若いから仕方ないわよ。それよりご結婚はされているの?」
「いえ、ずっと母の世話をしていましたし・・・外に出ること自体がそうありませんでしたから、縁なんて無かったです」
「今お幾つでした?」
「22歳です」
「好きな人はいないの?」
「いません」
「お母様の事で頭が一杯なのかも知れないけど、自分の幸せも考えて頂戴ね。余計なお節介だけど」
作品名:「ぶどう園のある街」 第二話 作家名:てっしゅう