きっと良いことがあるよ
長い夏が終わり、秋になろうとしていた。
朝子は離婚した。離婚の発端は子供の死だった。それまで生活の中心に子供がいた。ずっと前から家政婦のような生活を送っていたが、子供がいたから夫と何とかつながっていたが、一年前、子供が事故死したのである。珍しく家族で山に旅行に行ったとき、転落死にしてしまったのである。それから、互いの至らなさを責め合って傷つけあってしまった。ある日、二人の間に横たわる溝が塞ぎようもなく大きいことに気づくと、別れることを決めた。夫はこうなることを予想していたかのようだった。離婚が決まると、すぐさま荷物を持って、別の女のところに引っ越ししてしまった。
朝子だけが取り残された。離婚して数か月後、一人で住むには広すぎる賃貸マンションを引き払い、新しく1DKの安アパートを借りた。後片付けして、荷物を送った後、あらためて、何もない部屋を見回したとき、彼女は涙がこぼれてきた。二人で暮らした十五年の歳月がまるで消しゴムで消したように消えてしまったことに気づいたからである。
引っ越した数日間、荷物が届かなったので、マットレスだけ引いて寝泊まりしていた。寂しい部屋で、悲しくて彼女は独り号泣した。
何もしないまま生きていくことができないので、秋も終わりに近づいた頃、ようやく仕事を見つけた。
仕事を始めたものの、やはり夜になると、過去がまるで走馬灯のように蘇り、悲しくて泣いた。
母から電話がかかってきた。正月に帰って来いといった。離婚の後落ち込んでいるのではないかと心配したしたのであろう。悩んだ末、帰省することを決めた。実家は兄夫婦が継いでいる。
年の暮れに朝子は帰省する。
七十を越えた母は、兄夫婦に遠慮して小さくなって暮らしている。実家にもう自分の居場所がないことを、朝子は今更ながら知らされた。
兄夫婦は歓迎を装いながらも、決して手放しに喜んでいなかったことは明白だった。
夕食のとき、兄は「馬鹿なことだ。もったいないことをする。もう元に戻せないのか?」と離婚したことを非難した。
「お前の面倒は誰がみる?」と言われたとき、
「自分の面倒は自分で面倒をみる」と言い返した。
「誰が葬式を挙げる」と言ったときは、さすがに母が「もういいだろ」と止めた。
気まずい雰囲気になった。やはり帰省しない方が良かったのではないかと思った。
翌日の昼近く、朝子は家出た。その日、雪交じりの強い風が海から吹き寄せていた。家を出ると、どこまでも荒涼とした冬景色が続く。
朝子の後から母がついてくる。二人とも沈黙したまま歩いた。
やがて駅に着いた。
駅舎に入ると、母親は娘にそっと封筒を渡した。
「何かあったら、使え」
封筒の中には幾ばくかの現金が入っていた。
「だめよ」と断ったが、年老いたとは思えないほどの力強さで押し返された。
「いいの。いいから持っていきなさい」
どうやって貯めたものか。苦しい年金生活の中で、兄嫁に見つからないようにコツコツと貯めたものかもしれないと思うと、泣きたかった。
「列車が来る」
「一人で生きていけるの?」と心配そうに母が聞く。
彼女はうなずくしかなかった。年老いたら、何とか親孝行をしようと思ったのに、逆に心配をかけた。自分の不甲斐なさに泣きたかった。涙が流れてくようとするのを必至にこらえるのが精一杯だった。
「大丈夫よ。心配しないで。仕事も見つけたから」と必至に笑おうとした。
「そうかい、そりゃよかった。まだ三十七だもの。きっと良いことがあるよ」と言った。
列車の中でずっと涙が止まらなかった。
やはり帰省して良かったと思った。母親の温かい手に触れることができたから。そしてこうも思った。『もう故郷に帰ることはない、おそらく母が死ぬまでは』と。
作品名:きっと良いことがあるよ 作家名:楡井英夫