夢の運び人12
夢の運び人はテレビを眺めていた。
テレビの中で人間たちは叫び、泣き喚き、殺し合う。その中の男が言った。
「俺たちは生きる、何があろうと!」
ぐっと握られたその拳は力強く、男の目は決意と生気に満ち溢れていた。やがて『END』の文字が流れて彼らの物語の終わりを告げた。
夢の運び人はきょとん、とそれを見つめて首を傾げる。こんな物のなにが面白いのだろうか、そう言いた気にテレビの前で寝ている女の寝顔を見る。
暗い部屋でベッドにも入らず、しかし気持ち良さそうに眠るその顔は子供っぽい。赤縁のメガネに掛かったセミロングの黒髪が寝返りでくしゅっ、と潰れた。
夢の運び人は暗い部屋を見渡した。月明かりで薄っすらと見える部屋は殺風景だ。女の子らしい物が在るわけでもなく、散らかってもいない。ただ、映画だけはたくさんあった。それもホラーやサスペンスといった、運び人がタイトルを見るだけで拒否反応が起きそうな物ばかりだ。
一通り部屋を観察し終えて、運び人は体に似合わない巨大な袋から夢を取り出す。きっと、この女の子には最適な夢だろう、と運び人は思った。
女の子の頭に夢を入れる――
――悲鳴が聞こえる。銃声が響いている。
私の前に広がる世界は、つい最近まで見ていた世界とはまるで違う。路上に放置された車の間を縫って、路上の真ん中に立った私のすぐ隣を走り抜けて行く人々、無数に並んだビルの窓は割れ、そこから人が悲鳴を挙げながら落ちた。
彼らは逃げている。死んだ人間から。
『各隊員に通達。アンデッドは三次防衛ラインを通過。市民の避難が完了するまで、その場を死守せよ』
無線に繋がったイヤホンマイクからそう聞こえた。周りにいた他の隊員たちもそれに耳を傾ける。私は数人の隊員とアイコンタクトを取った。
『ナナサキ、こちらコリー。かなりの数で対処できない。すまないが、そっちで処理を頼む。オーバー』
今度無線から聞こえた声は、私からやや離れた前方のビルで狙撃していた隊員からだった。
「こちらナナサキ、了解。コリー、あなたちの部隊もこっちに合流した方がいいわ。オーバー」
私は前方にいるであろう隊員に言う。
『言われなくてもそうするさ。アウト』
それを聞いて無線を切った。
「隊長、前方の狙撃班が退くそうです」
私の二十メートル程前方で放置された車の上に立ち、双眼鏡で遠くを見る隊長。私の声が届いたのか、隊長は待機の指示を手で示した。
「おいでなさったぞ。各員、戦闘準備! いいか、死んでもここを守れくそったれ共!」
隊長は大声で皆にそう言い放つ。私を含めた隊員八名が、応えるように声を挙げた。
他の隊員と同じように、私も放置された車を土台にしてアサルトライフルを前方に構える。
間もなくして前方から男が現れる。隊長が、攻撃するな、と指示を手で示した。私たちは身構える。
前方の男はふらふらと歩き、やがて近くの車のボンネットに身を倒した。表情までは分からないが、苦痛に満ちていたことだろう。
そして遂にやつらが現れる。私がいつもスクリーンで見る死体だ。ボロボロの服をまとい、肉が削がれてどす黒い物が見える。生きる者の肉を求めて、浮浪者のように、ふらふらと歩いている。それが数え切れないほどこちらに向かっているのだ。
しかし私は冷静だった。冷や汗一つかかない。私からしてみればよく見る光景、よくある設定だ。
私はアサルトライフルに付けられた標準機で一体に狙いを定める。
「撃て!」
まず隊長のライフルが火を噴いた。続いて私や他の隊員たちも引き金を絞る。
連射の衝撃と反動を必死に抑えて撃つ。ひたすらに撃つ。三十発ほどの弾倉はすぐに底を尽きた。
「リロード!」
空になった弾倉を地面に落とし、次の弾倉を銃に装填する。再び撃つ。
他の隊員も撃つが、一向にアンデッドの進行は止まらなかった。
「畜生、一体どれだけいるんだ!」
私の左側で軽機関銃の弾丸をばら蒔いていた隊員が叫ぶ。
やがて、銃声が響いていただけの空間に悲鳴が挙がった。その悲鳴は、銃声より遥かに大きく、他の隊員たちの手を一瞬止めた。
その方向を見ると、私と同じアサルトライフルを持った隊員がアンデッド三体に押し倒されていた。すでに一体は首を噛んでいる。
「アレックス! 畜生、横のビルからも出てきてやがる!」
「ナナサキとジャスパーで横のビルを見てこい、ビルの屋上は回収地点になっている! 他の野郎は撃ちまくれ!」
隊長の言葉を聞いて私は弾をばら蒔いていたジャスパーに駆け寄った。
「ジャスパー、ビルのクリアリング行くよ!」
「りょ、了解!」
やや混乱して引き金を引いていたジャスパーは、私が肩を叩いた事で我に返ったようだ。
彼は新人でこれが初陣だった。初の戦場でアンデッドを相手にパニックにならない筈がない。こういう新人は、映画の序盤で早死にするのが定石なのだが、今は関係無い。
とにかく、私はジャスパーを連れてビルに入った。入ると同時に、さっきまで銃声と叫び声が入り交じっていた戦場が消えて、酷く静かになる。まるで映画の場面が切り替わったみたいに。
まずはビル入り口周辺のクリアリング。動かなくなったアンデッドと、それに殺された隊員が横目に見えて私は眉を寄せる。
「私が先行するからジャスパーは後ろに着いて。一部屋づつクリアリングしていく暇はから、速足で屋上に行くわよ」
私は彼の顔を見る。彼の青い目の奥に恐怖が見えた気がした。
「は、はい」
声が震えている。この様子だとネズミの足音でも銃を乱射しそうだ。
「……グリーンティーって知ってる?」
私はふとそんな事を言った。彼は私の言葉に困惑しているようだ。
「グリーンティーはジャパンという島国で飲まれている、私たちで言うコーヒーみたいな物よ。無事に帰還できたら、他の連中が酒を飲む中で私達はそれを飲みましょう」
ジャスパーはそれを聞いて顔が緩んだ。はい、と小さく頷いてアサルトライフルを持ち直す。さっきの様な震えはなく、落ち着いたようだ。
私は前に向き直り、ビルの廊下の暗がりを見つめる。
とろこで、私の出身は日本のはずなのだが、なぜ『グリーンティー』などと回りくどい言い回しをしたのだろう。いやそもそも、隊員もジャスパーも隊長も、発音は英語なのだが私の頭に日本語として入ってくる。まるで映画の字幕を読んでいるような――
「ナナサキさん、どうしました? 早く行かないと皆が危ないです」
ぼうっとしていた私にジャスパーがぽん、と後ろから肩を叩く。反応して私の体がびくっと震えた。
「えっ……ああ、悪いわね。行くわよ」
ジャスパーは一瞬、きょとんとしてから私と正反対に銃を構えた。
私は前を、ジャスパーは背後の警戒をしながら暗く細い廊下を速足で進む。
ビルの入り口から約二十メートル。そろそろ何も見えなくなってきた。
銃に装着されたフラッシュライトを点灯させる。そこから発した強い光量の先に壁と曲がり角が見えた。
「あの角から屋上に行けそうですね。早く行きましょう。先行します」
ジャスパーは言うと、私の隣をスッとすり抜けて、奥の角に向かって走り出す。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」
テレビの中で人間たちは叫び、泣き喚き、殺し合う。その中の男が言った。
「俺たちは生きる、何があろうと!」
ぐっと握られたその拳は力強く、男の目は決意と生気に満ち溢れていた。やがて『END』の文字が流れて彼らの物語の終わりを告げた。
夢の運び人はきょとん、とそれを見つめて首を傾げる。こんな物のなにが面白いのだろうか、そう言いた気にテレビの前で寝ている女の寝顔を見る。
暗い部屋でベッドにも入らず、しかし気持ち良さそうに眠るその顔は子供っぽい。赤縁のメガネに掛かったセミロングの黒髪が寝返りでくしゅっ、と潰れた。
夢の運び人は暗い部屋を見渡した。月明かりで薄っすらと見える部屋は殺風景だ。女の子らしい物が在るわけでもなく、散らかってもいない。ただ、映画だけはたくさんあった。それもホラーやサスペンスといった、運び人がタイトルを見るだけで拒否反応が起きそうな物ばかりだ。
一通り部屋を観察し終えて、運び人は体に似合わない巨大な袋から夢を取り出す。きっと、この女の子には最適な夢だろう、と運び人は思った。
女の子の頭に夢を入れる――
――悲鳴が聞こえる。銃声が響いている。
私の前に広がる世界は、つい最近まで見ていた世界とはまるで違う。路上に放置された車の間を縫って、路上の真ん中に立った私のすぐ隣を走り抜けて行く人々、無数に並んだビルの窓は割れ、そこから人が悲鳴を挙げながら落ちた。
彼らは逃げている。死んだ人間から。
『各隊員に通達。アンデッドは三次防衛ラインを通過。市民の避難が完了するまで、その場を死守せよ』
無線に繋がったイヤホンマイクからそう聞こえた。周りにいた他の隊員たちもそれに耳を傾ける。私は数人の隊員とアイコンタクトを取った。
『ナナサキ、こちらコリー。かなりの数で対処できない。すまないが、そっちで処理を頼む。オーバー』
今度無線から聞こえた声は、私からやや離れた前方のビルで狙撃していた隊員からだった。
「こちらナナサキ、了解。コリー、あなたちの部隊もこっちに合流した方がいいわ。オーバー」
私は前方にいるであろう隊員に言う。
『言われなくてもそうするさ。アウト』
それを聞いて無線を切った。
「隊長、前方の狙撃班が退くそうです」
私の二十メートル程前方で放置された車の上に立ち、双眼鏡で遠くを見る隊長。私の声が届いたのか、隊長は待機の指示を手で示した。
「おいでなさったぞ。各員、戦闘準備! いいか、死んでもここを守れくそったれ共!」
隊長は大声で皆にそう言い放つ。私を含めた隊員八名が、応えるように声を挙げた。
他の隊員と同じように、私も放置された車を土台にしてアサルトライフルを前方に構える。
間もなくして前方から男が現れる。隊長が、攻撃するな、と指示を手で示した。私たちは身構える。
前方の男はふらふらと歩き、やがて近くの車のボンネットに身を倒した。表情までは分からないが、苦痛に満ちていたことだろう。
そして遂にやつらが現れる。私がいつもスクリーンで見る死体だ。ボロボロの服をまとい、肉が削がれてどす黒い物が見える。生きる者の肉を求めて、浮浪者のように、ふらふらと歩いている。それが数え切れないほどこちらに向かっているのだ。
しかし私は冷静だった。冷や汗一つかかない。私からしてみればよく見る光景、よくある設定だ。
私はアサルトライフルに付けられた標準機で一体に狙いを定める。
「撃て!」
まず隊長のライフルが火を噴いた。続いて私や他の隊員たちも引き金を絞る。
連射の衝撃と反動を必死に抑えて撃つ。ひたすらに撃つ。三十発ほどの弾倉はすぐに底を尽きた。
「リロード!」
空になった弾倉を地面に落とし、次の弾倉を銃に装填する。再び撃つ。
他の隊員も撃つが、一向にアンデッドの進行は止まらなかった。
「畜生、一体どれだけいるんだ!」
私の左側で軽機関銃の弾丸をばら蒔いていた隊員が叫ぶ。
やがて、銃声が響いていただけの空間に悲鳴が挙がった。その悲鳴は、銃声より遥かに大きく、他の隊員たちの手を一瞬止めた。
その方向を見ると、私と同じアサルトライフルを持った隊員がアンデッド三体に押し倒されていた。すでに一体は首を噛んでいる。
「アレックス! 畜生、横のビルからも出てきてやがる!」
「ナナサキとジャスパーで横のビルを見てこい、ビルの屋上は回収地点になっている! 他の野郎は撃ちまくれ!」
隊長の言葉を聞いて私は弾をばら蒔いていたジャスパーに駆け寄った。
「ジャスパー、ビルのクリアリング行くよ!」
「りょ、了解!」
やや混乱して引き金を引いていたジャスパーは、私が肩を叩いた事で我に返ったようだ。
彼は新人でこれが初陣だった。初の戦場でアンデッドを相手にパニックにならない筈がない。こういう新人は、映画の序盤で早死にするのが定石なのだが、今は関係無い。
とにかく、私はジャスパーを連れてビルに入った。入ると同時に、さっきまで銃声と叫び声が入り交じっていた戦場が消えて、酷く静かになる。まるで映画の場面が切り替わったみたいに。
まずはビル入り口周辺のクリアリング。動かなくなったアンデッドと、それに殺された隊員が横目に見えて私は眉を寄せる。
「私が先行するからジャスパーは後ろに着いて。一部屋づつクリアリングしていく暇はから、速足で屋上に行くわよ」
私は彼の顔を見る。彼の青い目の奥に恐怖が見えた気がした。
「は、はい」
声が震えている。この様子だとネズミの足音でも銃を乱射しそうだ。
「……グリーンティーって知ってる?」
私はふとそんな事を言った。彼は私の言葉に困惑しているようだ。
「グリーンティーはジャパンという島国で飲まれている、私たちで言うコーヒーみたいな物よ。無事に帰還できたら、他の連中が酒を飲む中で私達はそれを飲みましょう」
ジャスパーはそれを聞いて顔が緩んだ。はい、と小さく頷いてアサルトライフルを持ち直す。さっきの様な震えはなく、落ち着いたようだ。
私は前に向き直り、ビルの廊下の暗がりを見つめる。
とろこで、私の出身は日本のはずなのだが、なぜ『グリーンティー』などと回りくどい言い回しをしたのだろう。いやそもそも、隊員もジャスパーも隊長も、発音は英語なのだが私の頭に日本語として入ってくる。まるで映画の字幕を読んでいるような――
「ナナサキさん、どうしました? 早く行かないと皆が危ないです」
ぼうっとしていた私にジャスパーがぽん、と後ろから肩を叩く。反応して私の体がびくっと震えた。
「えっ……ああ、悪いわね。行くわよ」
ジャスパーは一瞬、きょとんとしてから私と正反対に銃を構えた。
私は前を、ジャスパーは背後の警戒をしながら暗く細い廊下を速足で進む。
ビルの入り口から約二十メートル。そろそろ何も見えなくなってきた。
銃に装着されたフラッシュライトを点灯させる。そこから発した強い光量の先に壁と曲がり角が見えた。
「あの角から屋上に行けそうですね。早く行きましょう。先行します」
ジャスパーは言うと、私の隣をスッとすり抜けて、奥の角に向かって走り出す。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」