失態失明
五
目が覚めたようだ。覚めなくてもいい目が。
闇の中だが、どうやら目は覚めてるようだ。
意識が起動したんだ。体温を意識したんだ。鼓動を意識したんだ。呼吸を、唾液を、涙を意識したんだ。そう、俺は眠りから覚め、確かにまだ生きている。この感覚は間違いなく生きている。
どれくらいの時が過ぎたんだ。
今の樹海はおそらく闇なのだから、俺も闇の中でいい。どうせ明かりもないのだから至極当然の闇だと思えばいい。なぜか簡単に諦めがつく。だってそうだろう、もうすぐ俺は死ぬんだ。最後の最後まで呪いのように付き纏ってきた一切の煩わしさともお別れすることが出来る。
ああ、無限とも言える数の虫達の鳴き声が途切れることなく大音量で突き刺さる。
ああ、何ということだ! 聴力だけでこの世と繋がる!
試しに音だけの世界を生きてみる。これから、どうせあと少ししたら死ぬんだけど、せっかくだから深く深く陶酔する。
どの者が何を想い、何のために、何を求めて鳴いているのかなど聞き分けようがない。そんなことは目が見えていても同じ事だ。それでも潜る。その中へと潜っていく。突き進んでいく。一キロ先に音があればその元まで、その元に触れるくらいにまで、聴力が及ぶ全ての範囲が俺の意識の果てとなるまで飛び込み、接触する。
だが凄まじい虫達の大合唱に頭の中はすぐに満たされ、正気が熱を帯び始め、簡単に高揚してしまう!
それでもその中に潜る。今までのことを後悔しながら。数時間前に樹海へと足を踏み入れたあの瞬間と同じように。
だんだんと音量に慣れてくる。樹海で歩を進めることにだんだんと慣れてきたあの感覚と同じように。
そして意識の果てまでジロリと聞き渡す。ギョロリギョロリと聞き渡す。
――ハッとした。
無限の鳴き声の中から美しいものを見い出した。奥の奥のそのさらに奥の方からやっとの思いで届いてくる。小さくて涼しい音色。
我の無い、他の虫達を倣って同じものを愛し、同じものを憎むような我の無い美しいそれ。透明感があって、清楚で、弱々しくて、儚くて。
守ってあげなければならなかった頃の小さくて涼しくて頼りなかった子供達を思い出す。
自然に泣き始め、自然に泣き止む。自然に走り出して、自然に止まる。自然に飛び跳ねて、自然に休む。自然に怒り始め、自然に眠る。意識的ではないこの大自然と同じリズムで一日を、あるいは一週間を、あるいは一ヶ月を、あるいは一年を、あるいは今この瞬間を、無限ともとれるほど細かく刻まれた旋律のように。
了