アイ・ラブ桐生 第一部 7~8
桐生の夏は気温の上昇と共に、八木節音頭のこの軽快なリズム持ったお囃子が、
町内のいたるところから響きはじめます。
町内ごとに始まる踊りとお囃子の稽古は、やがてすべてに及んで、
桐生の街全体を、いつしか祭り一色に包み込んでいきます。
桐生市に生まれた市民なら
この樽を叩く、八木節音頭の独特のリズムは、生まれた時から身体に沁みこんでいます。
かく言う私もそれは同じ事で、祭りのたびに「どっぷり」と浸ってきました。
お囃子の音を聞くだけでも、もう、ウズウズと身体が動き、血が騒ぎます。
調理実習も二年の研修期間が終わりました。
配属先も決まり、晴れて、温泉旅館の板場での修行が始まりました。
しかし板前見習いになったものの、まだ私にはわだかまりが残っています。
デザイン関係の仕事にたっぷりとした未練を残しながらも、
手に職を付けて行くためだけの、板前修行の日々を過ごしていました。
板場の仕事は、調理ごとに細分化されています。
新人に与えられる仕事といえば、後かたずけと、食器や道具類の手入れのみです。
職人が最初に仕込まれることは、粘り強さと忍耐力の養成です。
仕事を覚える前に、まずは適応能力が試されて、
ひたすら我慢する気持ちと、向上心を持つことが求められました。
雑用ばかりでの仕事ぶりが認められると、次に下ごしらえへと進みます。
段階を追って野菜から魚へ、さらに肉へとその階段をあがります。
煮物、魚の焼き物、汁もの、お造り(刺身など)などを、
その日の献立によって、仕上げることが任されるのは、これらの下積みを終えた
板前さんだけに限られています。
調理ごとに専属の板前さんが配置されていて、多くの若手は
その下準備や補助として、常に叱られながら荒くこき使われました・・・・
さて、この年の八木節祭りには、一人で行くことになってしまいました。
いつも一緒に行く相棒が、些細な事故で入院をしたためです。
桐生市内では祭りの期間中にかぎって、大幅な交通規制がかかります。
別ルートを使って迂回をしながらも、比較的効率よく巡行をする、
市内循環のバスを利用するのがこれまでの常套でした。
しかし今回は一人だけということもあり、今回に限って自分の車ででかけました。
迷路のよう煮入り組んだ、市内の細い路地をいくつか抜けます。
予期せぬ迂回を何度か繰り返した後に、「本町通り」近くにある空き地へ、
無事に駐車ができた時には我ながら上出来と、思わずひとりで自分をほめました。
夕暮れと共に、市街地の中心を貫くこの「本町通り」は、
路面のすべてが解放されて、祭りのメイン会場に早変わりをします。
高さが2階建以上にもなる八木節の櫓(やぐら)が
通行止めとなった本町通りのど真ん中へ何台も引き出されます。
待機していた音頭取りと囃子手たちが、壇上へ登りはじめます。
周囲には気の早い踊り手たちが、早くも輪になり櫓を取り囲みます。
気の早い踊り手たちは、準備中の櫓を見上げては、「早くはじめろ」と
口々に囃したてています・・・・
こうして祭り本番にはいった桐生市では、北から南までのすべてにわたって、
細長い八木節祭りの競演会場が出来上がります。
ようやく暗闇がおりてきて、時刻は7時を少し回りました。
駅から、本町通りへ向かうアーケードの通りを歩いていた時です。
人の流れに逆らいながら、見覚えのある女性がひとり、
浴衣姿でこちらへやって来るのが見えました。
・・・・レイコでした。
作品名:アイ・ラブ桐生 第一部 7~8 作家名:落合順平