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ライナスの毛布になれるかい?

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足元を、波が重たげに舐めていく。くるぶしまで水に浸かり息を吐く。彼が私に向ける表情は重厚な笑み。息を、吐く。
 

 西日の射すあたたかな家で、私は抜けるように白いワンピースを着ている。水面に光りが落ちてマーブル模様が出来るのを、彼と眺めるのが今日の仕事。
 眉根を寄せた。
 つまり、彼がそれを望んだのだ。この、目の前にいる、やわらかな猫毛の少年が。
 肌に触れる薄いレースはいかにも少女が好みそうな鬱陶しいか弱さを表し、そんな少女たちを愛する男の欲望の典型であるような気がした。彼の嗜好でないのなら、いや元々、それはその向こうにいる人間のもの。私にぼんやりとした憂鬱を感じさせる人達の。
 ―――息を吐く。
 頬に力が加わったのを感じて、私は顔を上げた。初めてまともに彼の顔を見る。重厚、けれど重苦しいのではなく、絶対的な安定感をもつ厚みが小さな顔に乗せられている。薄いくちびるが描く半月も、しっかりと刻まれた笑い皺のラインも、一切の含み無しに細められた瞳も、すべてが、慣れた様子で彼を形どっている。
 これが正解なのに。

 「シェラ」

 唇の動きだけが私を呼ぶから、夢が壊れた気配はない。彼にはわからない。私が偽物だってこと。なぜわからないのかしら? ただ張り付いているだけの笑顔が、さもあなたの一番の理解者のように振る舞うのに。
 なぜ、わからないの。私がどうやって生きているのかを。
 
 「外に出よう」

 私はそれに、笑顔で応じた。


 ***


 石畳の上を私たちは行く。
 坂の道を下り、目指すのは噴水を囲んだ石畳。華奢なサンダルでの歩き方は知ってるから、彼の前に醜態を晒すこともない。
 ここはどこなの、と彼に尋ねる。この質問は許された。イタリア。彼は微笑みながらそう答えた。

 「きれいなところね」

 水面。教会。おもちゃの家。情報が脳に届くと、心が勝手に高揚する。
 水面。教会。おもちゃの家。きれい、きれい、きれい。私はそんなもの見ちゃいない。

 彼は健康的に笑い、どこか期待した様子で言った。

 「君が気に入ると思ったんだ」

 そうね。あなたの好きなものだから。
 思いがけず睦言のようになった言葉は、演出としては良いものだろうと思えた。しかし、それは許されなかった。≪ネタばらし≫はまだのようだった。
 
 イタリアの強い日差しの中で、彼の象毛色の肌はたくましく輝いた。儚い幸せなど在り得はしないのだろうとなんとなく納得した。太陽のような強い幸せを、彼は手に入れなければならない。

 ワゴンの林檎に目を奪われる彼を見て浮かべたそんな感情は、どうやら許された。

 色々なものを見た。自転車の形をした花売りのワゴン、町を縫って進むベニスの小舟、臨海広場の白い鐘。見たことのないものばかり。彼の世界の深さ広さに驚くが、なんてことはない、きっと私と同じだろう。中にはやはりどこかあやふやなものもあって、可笑しかった。
 
 来た時とは別の坂道を上ると、開けた場所に出た。しっくい造りのおもちゃの家がにわかに途切れ、柵のついた石畳の断崖に突き当たる。
 行き止まり。
 いくつか手前の分岐路の先には、まだまだ家々が続いていた。
 突然広がった視界をぼんやりと眺めていると、彼が横をすり抜けて、石畳の上に腰を下ろした。柵の格子の間に腿を絡め、ショートパンツから伸びる素足の火照りを鎮めている。
 
 そのまま二人、黙して世界に見入る。
 
 今日の旅はここで終わりなのだと悟った。山から整然と生える家々を、夕日が赤く照らしている。帰りを急かすように涼しい風が吹き抜ける。決して進むことのない暮れる町並みにしばらく見入っていた私は、ふいに彼へと視線を移した。
 彼は断崖の下、つまり元来た道を見ていた。その表情はここからは見えない。笑っているに決まっている。けれど、沈黙がその考えを揺さぶる。気が付いたのだが、彼は時々こうして私の視界から隠れることがある。
 私が逸らしているのか、彼が隠れているのか、あるいは両方か。―――そんなことを考えていると、声が掛けられる。彼だった。振り向いて、昼に町で買った果物や人形を詰めたバスケットから小さな包みを取り出し、私に差し出してくる。

 「開けてみて」


 そう言って笑う彼に、私はうろたえた。何だろう。贈りもの? 初めてだ。胸の前に手を出したまま固まってしまう。


 にぎやかな感情の交錯は、しかし脳髄に響く命令によってかき消される。


 
 ―――受け取りなさい。
         ―――彼に疑念を持たせるな。

     ――――こなしなさい。
             ――――お前のたったひとつを。
 


 さあ早く疑念を持たれる前に早く今すぐに。




 ――――『 受 け 』


 ( 『 取 、』 )




 息を吐いた。
 



 ほとんどつまづくようにして包みを受け取ると、激しく鳴る鼓動のリズムに合わせて包み紙を解いていく。
 最後の一枚を剥がし終え、中に入っていた厚紙の箱を開けると、そこにはペンダントが納められていた。緩衝材にすっぽり包まれ、ともすれば見落としてしまいそうになるほど小さなペンダント。
 ゆっくり摘みあげてみると、華奢な金チェーンの先に同色の林檎のモチーフが揺れている。
 彼がにこりと笑うので、次の瞬間には私も笑っていた。驚かせたくて、と言うのでもっともらしいポーズを取る。私の表情は期待と喜びを含んだ驚きに満ちていて、口は軽やかな言葉を勝手に吐き出し始めていたが、そんなものとは関係なく、心が揺れた。掻き乱された。
 
 その時私が感じたのは。
 恐怖。得体の知れないものへの。
 
 私は与えなければならない、私が与えなければならない。のに、なのに、これは何なのだろう。彼は人から与えられるだけの存在で、そう在ることを望まれている。そうでなければ私は。
 
 立ち上がった彼の背後の景色が石畳から草原に変わる。
 ザザザァ、とさざめく草の波。青々と茂った葉先が、彼の背中から生えるようにその身を覗かせた。
 
 あ。
 
 どうしよう。
 
 笑わなきゃいけないわ。彼が見てる。こっちをみてる。
 隠れるものがない。
 このペンダント。きっと付けてほしいのだろう。でも、こわい。(どうして?)付けたくないわ。(あいしてるのに)だって、愛するように付けなきゃいけないのに。さも愛するように。(愛していないのに)そう、私の身が人質。でも、でも、彼を愛さずにいられるわけないじゃない。そういう風に出来てるから。創られてるから。意味はないけれど(意味がないけれど、)

                         
                                           (満足したかしら)