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アイラブ桐生 序章 1~3

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 呑んで遊べる、準・赤線地帯とも呼べた場所でした。
庶民たちが中心で、気安くも呑めてかつ遊びもできた飲み屋通り
だったようです。
国鉄両毛線・桐生駅のすぐ東に位置していて、
その入口には交番もありました。
用水濠の河川の上に、桟敷を敷いただけの簡易な作りのお店が、
肩を寄せ合うようにして、
たくさん並んでいたのを今でも覚えています。



 小学生の頃に、よくオヤジを迎えに行きました。
お店の(若い)お姐さんたちから,飴やお菓子、お土産などを
よく貰いました。
おそらく父子ともに、
よく顔を出した『常連組』だったと思います。




 「坊やも早く、遊びにおいでね。」

 あのときの、あの言葉・・・・
しかしあの当時、小学生だった私には、お姐さんのその真意は
まったく、理解することはできません。

 「あと、もう少し早く生まれていれば・・・」



 まったくその通りでした。
『吉原』などの公娼制度が存在した日本では、
娼婦の廃止を求める運動が明治の初期から、
自由民権関係者やキリスト教団体などによって『婦人の解放』を旗印に、
根強くすすめられていました。
敗戦後の1956年(昭和31)に、ようやく「売春防止法」が制定されて
半世紀以上も経た後に、ようやく実現したという歴史をもっています。


 女性の地位向上と確立をその第一目標としてきた
この「娼婦廃絶」の運動は、実は群馬県から発生をしています。
戦後民主主義のもと、ついに「赤線地帯の廃止」と、
「売春防止法」を生み出しました。
本当に、もう少し早く生まれていたら、良い思いが出来たのに(笑)

 さて、私が生まれて育った
桐生市の概略の紹介は、このへんで一度締めくくります。
前置きはこのあたりでさておいて、いよいよ本題にはいりましょう。


 桐生では、日光国立公園まで続く山裾が近くなった北部一帯のことを、
昔から「山手」や「山の手」などと呼んでいました。
本町通りと桐生川に挟まれた東一帯が、煩雑な庶民たちの
下町と呼ばれました。
これに相対して比較的ゆったりと家を構え、
閑静な住宅街の雰囲気があったことから
本町通りと山の手通りに挟まれた一帯のことを、
下町からは畏敬の念も込めて、そんな風にも呼ばれていました。


 レイコは山の手の出身の『お嬢さん』でしたが、
既にお分かりのように、私のほうは完璧に、
正真正銘の下町生まれです