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題知らず ~もしくは、雑輩に依るmadrigale~

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 言葉遣いや物腰が柔らかく上品な京育ちの陰間は客に喜ばれたが、花の命は短いもので匂うように美しい色子でも、かならずいつかは成長して体型が変わってしまう。男客の相手が務まるのは、せいぜい二十までだった。ゆえに陰間茶屋の主人は、決まった時期に上京したり人を介したりして、定期的に美童を調達しなければならなかった。夕顔もそのようにして茶屋主の眼鏡にかなった子供だったが、ご他聞に漏れず貧しい家の出である。
 『夕顔』の名は水下げ客として選ばれた廻船問屋の高田屋がつけた。風流人で古典に造詣が深い高田屋は、儚く稚い風情から源氏物語に出てくる『夕顔』を思い浮かべたのだと言う。既に『帰蝶(きちょう)』の名を持っていたが、高田屋は響きが硬くて「らしくない」と言い、その夜のうちに変えさせてしまったのだった。
――今、何ん時だろう?
 廊下を歩きながら、鈴若は落ち着かない。どの部屋の灯りも落ちていて、辺りは静まり返っていた。切羽詰った甲高い声が聞こえてくるがそれも時折だった。皆、何度か気を放った後で寝入っているのだろう。
 そんな時刻に客を放って抜け出し、暗い廊下を二人きりで歩いているところを見られでもしたら、変に勘繰る者が出てこないとも限らない。よりによって鈴若が今夜使っている部屋は、夕顔が使う部屋から一番遠かった。
 阿波田屋に限らず夕顔が客を迎える時に使うのは、渡り廊下で他の座敷と隔てられた離れだった。店の玄関からは最も離れているので、俗で雑多な音も聞こえない。庭に面して縁側が設えられ、手入れの行き届いた庭木と、山水画を模して配された庭石が見せる四季折々の気配を、楽しむことが出来た。調度を凝らし、寝具は上質の絹、贅を極めた一室である。一番の色子には大名や大店、脇門跡など、地位も財力も並ならぬ客がつく。彼らを迎えて恥ずかしくない、特別な座敷だった。もちろん他の色子も上客の指名を受ければ使えないことはないのだが、ここ二年ほど、夕顔以外が使うことは滅多となかった。ちなみに鈴若は一度も足を踏み入れたことがない。
 それほど広くない小ぢんまりとした店ではあるが、敷地の端から端では焦る気持ちと合わせて、更に遠く感じる。他の色子、店の男衆に出会わないようにと祈るばかりであった。やっと離れへの短い渡り廊下が見えた時、鈴若は心底安堵した。
「そら、こっからは一人で行きな。俺は戻るから」
 鈴若がそう言うと、夕顔の瞳が見る間に潤んだ。
「兄さ、あのお客のところに戻ってしまうん?」
「あたりまえだろう? お客は朝までってことで大枚を払っているんだから」
 夕顔は鈴若の着物の袖をギュッと掴んだ。
「いやや、戻らんとって、戻らんとって」
 鈴若は慌てて夕顔の口を押さえた。声が高くなると周りに聞こえる。どんな些細な声も、この静けさの中では響いてしまう。
「何、聞き分けのねぇこと言ってんだ。十五にもなってガキだな、まったく」
 声音を一層潜めて鈴若は夕顔を諭しにかかった。夕顔は鈴若の袖口を掴んだまま、小さく、途切れなく首を振った。ようやっと乾いた頬を、またも涙が伝って濡らす。
「兄さが他の男はんとお床入りするの、嫌や。我慢出来へんのです。胸が苦しゅうなって、お勤めに身がはいらへんようになってしまう」
 普段は聞き分けが良く、「お客第一」の教えを忠実に守って勤めに励んでいる夕顔とは、別人のようであった。
 慕ってくれているのは知っていたが、こんな所業に出るほどに思いつめているようとは。これは非常にまずい。
 色子同士で情を通じることは禁じられていた。色子の中には勤めとの線引きが出来ず、客に身体を開けなくなる者もいるからだ。夕顔はその類であった。
 一途さに絆されてうっかり情を交わし、「客を取りたくない」と言い出されでもしたなら、そしてその理由を上の者に知られようものなら――二人の末路を考えるとそら恐ろしい。
 小便くさい最下層の女郎横丁の店に売り飛ばし、下卑た客を日に何人も取らすぞ、人足寄場に無宿人として放り込み、昼は労役、夜は外に出られない人足の慰み者にされるぞと、禁を破ったならどうなるかを見習いの頃から散々に聞かされ脅されてきた。仕込みに入って閨でどのようなことをされるのか身を持って知るようになると、その恐ろしさがいや増し、夜中の寝間で粗相してしまう子供もいる。
 知れば上得意が不憫に思って身請けを申し出ることもあるだろうが、たいていは見せしめもあって秘密裏に落とし、客には事後に知らされる。客も決まりには逆らわず、新たな贔屓を作るのだった。つまりはどれほどの売れっ子でも待つのは地獄と言うわけだ。執着のある客が行方を探し出し、その地獄から救った例があったとかなかったとか聞くが、それは夕顔であれば考えられる夢物語でも、鈴若の身には万が一にも起こらないだろう。脅しがどこまで本当のことなのか怪しいが、何らかの仕置きがあるのは確かだった。
 心底惚れぬいた相手とのことでそうなるのは受け入れられても、根も葉も無い疑いをかけられて罰を受けるのは困る。夕顔のことは可愛いと思うが、それは弟のようにと言うことで恋情ではないのだから。
 末っ子に生まれた鈴若は兄や姉に邪険にされて育った。自分に弟や妹が出来たなら、うんと可愛がってやるのにといつも思っていた。ゆえに他の年長者に比べ、年下の色子に多少は甘く接している節がある。特に夕顔はここに来た当初から面倒を見ていた。夕顔が仕込み係を恐がったので、初期の仕立て――棒薬などを使って菊座を慣らす――を鈴若が一、二度施したこともある。他の色子以上に構っていたかも知れない。それが夕顔に変な期待を抱かせたのか。あるいはここに来た最初から接している鈴若に、孵化した雛のごとく追従し、それを恋慕と強く勘違いしているのか。
「あのな、夕顔、今夜の客はそんなんじゃねぇんだ。朝まで酒に付き合うだけよ。それが証拠にほら、普通の格好をしてっだろう? 床入りしていたように見えるかい?」
 嘘ではない。ついさっきには良い雰囲気になったが、それまで向坂は毛ほどもその気を見せなかった。鈴若が一芝居打たなければ、朝まで酒を飲むだけだったろう。これから戻って二人きりになっても、一度冷えてしまった情欲の熱が再び上がるとは限らないのだ。
 下手に「勤めだから割り切れ」と叱ったところで、今の夕顔には逆効果だとわかっている。鈴若がこれからまた床入りするのだと知ればますます思い余って、客が寝入っている間に部屋を抜け出す以上のとんでもないことを仕出かしかねなかった。
 とにかく宥めて阿波田屋の元に戻さなければ――と思った矢先、離れの灯りがともった。阿波田屋が目を覚ましたと察した。
「夕顔、手洗いに行ったと言うんだぞ。泣きべそのわけを聞かれたら、闇が恐かったとかなんとか誤魔化すんだ。余計なことは言っちゃなんねぇ。俺のためだと思って。いいな、わかったな?」