小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
セールス・マン
セールス・マン
novelistID. 165
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Twinkle Tremble Tinseltown 5

INDEX|6ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

lunch



 ダウンタウンから少し外れたこの地域は、ジャマイカ人の真似をする白人や自称芸術家たちが好みそうな甘ったれた空気に支配されていた。壁で爆発したスプレーをアートと呼ぶくらいだ。レストランの正面ドア付近に設置されたワイン醸造用の樽をテーブルと呼び、これに椅子を二つ追加した状態をテラスと称しても、通行人たちは何一つ違和感を覚えていないに違いない。
 食事が終盤へ差し掛かっても、席についた二人の男はまともな会話を交わせないでいた。お互いそれを目的としてここを訪れたにも関わらず。断片的な言葉は信号の点滅に合わせて刻まれる車の排気音に負けず、相手の耳にしっかり届いていた。振られた側は会話を受けて無味乾燥な相槌か、全く関連のない新たな言葉を口にする。だがどちらとも、この繰り返しを打開しようという気はないらしかった。少なくともランチは平穏に進んでいる。まずい料理にも文句は出ない。がたついて埃を被った樽テーブルを見た時点で味など期待はしていなかった。
「それで」
 着席して以来頑としてオークリーのサングラスを外さないキルケアが、篭ったような息と共に言った。脇に退けられた皿はトマトソースの模様を刻み、舞い上がった砂埃が点々と跡を残している。
「本当に変わったことはないんだな?」
「ああ、まあ」
 対面のリーは首を上下に動かした。キンメダイのピザを噛み切った唇から顎へ向けて、チーズが一直線に垂れ落ちる。
「どうしてケーブルテレビでは、『バーン・ノーティス』の再放送を流してくれないんだろう」
 擦り切れたジーンズと袖なしのトレーナーという軽装にも関わらず、彼は碌に寒さを感じていないようだった。青白い二の腕は枝のように細く、華奢で中性的な容姿なのだ。もう少しまともな格好をさせ、縺れた肩まである黒髪を鋏と櫛で何とかすれば、男女問わず大勢の人間が近寄ってくるだろう。いつまで経っても違和感を拭えないジャケット姿のキルケアと違い、リーはこの街の景観へあっという間に馴染んでいた。
「ユルゲンが……知ってる? 警備員の」
「ああ」
「あいつが二日前、ワックのことをね。メタドンのせいで苦しく暴れてるだけだって言うのに、無理やり懲罰房に入れたんだ。拘束衣のおまけ付きで」
 こう、と腕を棺に横たわるミイラのように組んでみせる。肘に引っかかったコーラのグラスが危うく倒れそうになった。
「で……可哀相にワックは丸一日部屋でのた打ち回ってたんだけど、ユルゲンの奴、暇さえあったらそれを窓から覗いてんだよ」
 えげつない流し目を向けられても、キルケアの表情は一寸たりとも動くことはなかった。それをいい事に、リーは下品な商売女のように一際声を上擦らせ、長い睫毛をぱちぱちと瞬かせる。
「あいつ、絶対、ヘンタイ」
「どうだか」
 店内は禁煙席すら設けていないくせに、路上は咥え煙草禁止区域なのだから恐れ入ってしまう。ポケットに入った煙草を掴み出したい衝動に駆られながら、キルケアはサングラス越しに忙しく歩き回るウェイターを眼で追っていた。若くてそこそこハンサムで、こんなところで働いているとなれば、間違いなく俳優でゲイに違いない。リーに対してか自分に対してかは知らないが――下手すれば両方ということもありえる――とにかくフィットチーネを口に押し込んでいた時からずっと露骨な秋波を浴びせかけてくるから、彼にだけは絶対にエスプレッソを所望したくなかった。そもそも注文するかすら悩んでいるところなのだ。濃すぎるコーヒーは嫌いだし、かといって砂糖を入れるのはもっと許せない。だが時間を少しでも引き延ばすためには、何かの措置をとらなければいけない。「ドルチェ」という言葉と、砂糖でコーティングされた苺を大量に乗せたタルトを想像する。またはレモンのケーキ。だが残念なことに彼は甘い菓子を好まなかったし、リーとてどちらかと言えば辛党に分類される。コーラを注文したリーは、ピザと一緒に運ばれてきたタバスコをまずアンチョビの上ではなく、自らのグラスの上に数滴垂らしていた。
「学がないだけだろ」
「そうかな。あいつ州立大学出てるって聞いたけど」
 残り一片になったピザには手をつけず、先に注文していたフライの皿を取り上げた。残っていた揚げかすが、傷だらけの天板に零れ落ちる。待ち合わせの時間は11時だったが、リーは少なくとも20分ほど早く到着していたらしい。キルケアが席に案内された時、既に皿の上はパセリと力任せに絞られたレモンだけになっていた。萎びた付け合せは今、どちらもリーの腹の中に収まり、それでもまだ物足りないのか器にまで歯を立てる。
「とにかくね。部屋にゴキブリが出るんだ。マッチをくれないかな」
「何に使うんだ」
「二本あれば十分だよ。一本は軸を折って、そいつで奴の胴体を串刺しにする。もう一本で火をつける。アブラムシなんていうだけあって、よく燃えるんだ。あの匂いも嫌いじゃない」
「悪趣味だな」
 皿の縁を熱心に齧りながら、リーはとろんとした眼で微笑んだ。
「それを僕に言う?」
 インテリから一本取ったことが余程嬉しいらしい。軋ませるようにして歯をむき出し、顎に力を込める。店の連中は礼儀を心得ているのか本当に見ていないのか、備品を傷つける行為に待ったをかける者は誰もいなかった。
「でもさ、僕は自分の本業に忠実だよ」
「本業だって?」
「医者の癖に赤ん坊を殺したりとか、絶対しない」
「それで食ってるんだ、ありがたく思え」
 今度反論できなくなったのはリーだった。不服をせめて表現だけでもしようと、子供のように唇を尖らせる。その表情が昔と全く変わらず、キルケアは声を出して笑った。


 下らないやりとりが小康状態の証だと思ったのはどうやら勘違いだったらしい。癇虫はしぶとく残り続け、白い陶器の上をきりきりと前歯が滑り続ける。いい加減見かね、キルケアはテーブルに立てかけてあったメニューへ手を伸ばそうとした。
「腹減ってるならもう一品、何か注文するか。軽いもの。そう、チーズ……シェヴレって言うのか」
 まだ皿の上にピザが一枚残っているのに気付き腕を引っ込める。突如湧き上がった混乱を自分でも理解できず、制御も出来ない。ふと眼の前の顔が、自らに向けられていないことを知る。車道を挟んだ本屋前に佇む女でも見ているのだろうか。ハーレイクインか何かを品定めしているらしく、時代遅れのナンシー・スパンゲン的コスプレできめた尻はこちらに向かって大きく突き出され、あと少しで下着が覗きそうな有様だった。履いていればの話だが。
 焦点を結ばない視線が再び戻ってくる前に、キルケアは両手を何度か伸ばしたり丸めたりすることで何とか平静を取り戻していた。ふうっと溜息をつき、疲労の滲ませた眼を閉じる。
「いや、これはフランス語だな」
「いいよ。昼間から食べすぎは良くない」
 涎まみれになった縁を食む動きは止まなかった。あと少しほったらかしておいたら本当に噛み砕いてしまうかもしれない。翳った視界の中でも輝くエナメル質は発育不良かと思うほど小粒で、時間の経過と共に分厚い白磁と同化しつつあった。
「マーベラス。太りたくないんだ」
「ちょっと位は太ったほうが貫禄も」
「痩せたね、兄貴」