さよならしよう
見えない距離に気付いた頃には、走って追いかけて腕を引くことも、大声で名前を呼ぶことも叶わないと知った。僕がいけないのだ。彼女にはもう戻れないし、戻ってはいけない。
初めから縮まるはずのなかった距離。それは、お互い知り合えば知り合うほど、ぐんぐんと広がった。あるいは並行だった。僕が三歩近づけば、彼女はほっといてと言って三歩離れる。彼女が五歩近づけば、僕は虚像だと決めつけて五歩離れる。
もちろん僕らに共通点がなかったわけではない。ただ、決定的に違う何かがあったのだ。その点さえ合致していたら、他は合わなくても上手くやれるような、大きな違いが。その大きな違いが、僕らの間にあって、お互いを突っぱねていたのだろう。こればかりは仕方ない。僕は彼女を解放しなければならない。彼女に言わせれば“オツベルの分銅やら時計やら”なのだから。
そう決めてからしばらくは心が揺らいだ。
―今からでも間に合わないだろうか?
―別に今のままでもいいはずではないか?
―深く考えるのはまたの機会でも…。
とにかく僕は悩んだ。だが結局、僕は彼女と友達以下になると決めた。一番いい選択というのは、一番つらい選択なのだ。今回も今までもこれからも。
まず、話の内容を変えることから始めた。今までの哲学的な会話を極力控えて、馬鹿らしい無意味な話題を選んだ。好きな気持ちを潰して、涙を笑顔に変えた。それも、適度な笑顔。不安定な時の爆笑ではない。僕はゆっくりと、彼女と周りの人間との段差をなくしていった。彼女にだけしていたあれこれをしなくなり、無駄な触れ合いを削り、メールも会話も徐々に減っていった。異変に気付いた彼女に問い質されても、僕はどうもしてないと言い張り、話題を逸らして誤魔化し続けた。
彼女が他の誰かを頼りだしたとき、僕はなぜかホッとした。僕は新しく彼女と居るようになった人間のことを知らない。何処で知り合っただとか、幾つだとか、どんな奴だとか、そういうことを、全く知らない。それはそれでありがたかった。見知った人間なら、きっと今以上に苦しくなっただろうから。まぁ、今となれば関係のないことだが。