漂礫 三、
「昨日、うちの賭場でまた借金を作ったやつがいた。そういやあ、てめえの所で働いていたやつに顔が似ていたが」十市も笑いながら言う。「そうそう借金と言えば」
久蔵が引っ張られて出てきた。
「こいつも数日前に、また借金を作ったんだなあ」
十市の前に押されて転び、這いつくばるように倒れた。十市が言う。
「なあ、次の普請の話をしようじゃねえか。おまえのところばかり仕事を請けてねえで、少しは俺たちにもおいしい汁を吸わせてくれよ」
「やりかたが、汚ねえんじゃねえか」
親方が言う。堪えて、堪えて、絞り出した言葉だった。
「てめえこそ汚い手を使っておいしい普請ばかり請けやがってよ。そのくせ子分に十分な銭を渡さねえから、こうして俺の所で賭け事をするんじゃねえのか」
親方が睨む。十市はそれを見て笑いを浮かべて言った。
「なあ、こいつの借金癖は治らねえな」久蔵を指した。「もうだめだ。今回はてめえが借金を肩代わりすると言っても聞けねえ。借金が払えないやつはこういう運命だ」
寅を制していた侍の刀が、一閃、久蔵の首を刎ねた。
小さく色の黒い前歯のない首が、転がった。
飛び掛かろうとする寅を、俺は後ろから抱きつき止めた。
「放せ、武蔵」
寅を後ろへ押しやった。
「お藤を返せ」
十市に言った。
「なんだ、てめえは」十市は俺を見た。「お藤だ?言いがかりはよしてもらおうか」
「久蔵を使って、お藤を連れていったそうじゃないか」
「しらねえな。証拠がどこにある」
お藤を連れだした久蔵の首が転がっている。
「知恵はまわるみたいだな」
「武蔵、もうやめろ」親方が肩を掴んで言った。「もういい。何の罪もない仁平が殺された。久蔵もろくでなしだが俺を慕って仕事に来ていた。もうこれ以上、無駄な血は流したくない」
親方の顔には悔しさがあふれている。「次の普請など、十市にくれてやる。それで、お藤は俺の屋敷に帰ってくるんだ。難しいことじゃない。簡単な話だろ」
十市が笑った。「賭場に来ていた若い男は揉め事に巻き込まれたんだろう。久蔵は借金ばかりじゃあしょうがねえ。お藤に関しちゃあ俺たちは知らねえことだが」十市の後ろにいる男たちから笑いが漏れた。
「今日の晩にでも家に帰ってくるんじゃねえのか。とにかく、次の普請は俺たちに任せてもらおう」
「だめだ」言った。
「武蔵、もうやめろ。仕事などいくらでもある。縄張りや仕事なんてくだらねえ意地で、お藤やうちの若い連中の命を懸けられねえ」
「だめだ」重ねて、言った。
「くだらねえ意地を張るのはよせっ。向こうにはお侍がいる」
「刀なら、俺も使える」
「お前みたいな貧乏さむらいが、用心棒をするくらいのお侍に勝てるわけがないだろう」
強く俺の腕を掴んでいる親方の手をそっと外した。視線は十市を睨んだまま言った。「悪党は、一度味をしめれば何度でも同じことをする。新しい普請があるたびに、誰かを殺され、お藤をさらわれるつもりかい」
十市が睨み返しながら答えた。「てめえ、見かけねえ顔だが、口には気を付けろ。俺たちは堅気だ。普請を請ける話をしているだけじゃねえか。悪党だと。もう一度言ってみろ。てめえの首も久蔵みたいに転がるぞ」
「くだらない脅しだ。立派な悪党だ」
小奇麗な侍が踏み込んでくる。刀が上段から振り下ろされる。
前へ出た。踏み込む。右腕を額まで上げ侍の上段へあげた両腕へ当て刀を防ぎながら正面からぶつかり合い、小奇麗な侍の小さな鼻へ額を打ちつけた。当たり負けした侍は後ろへ吹き飛び尻餅をついた。
鼻血を吹き出し、悶絶した。すぐに着物が鮮血に染まった。立ち上がり、もう一度刀を構えた。「油断した。踏み込んでくるとは思わなかった」
強がり。
「よく立ち上がった。その頑張りにこたえて、俺も刀で受けてやろう」
左手に脇差を持っていた。ぶつかったとき、小奇麗な侍の腰から抜き取った。
「コソ泥もできるのか」鼻血を吹き出しながら侍が言う。
「脇差を左手で。それで十分だ」「馬鹿にするな」「お前は俺が剣術を使えると見えなかったのか」「刀も下げていない橋普請が何を言う」「だからお前は弱いのだ」
侍が突いてきた。左へかわしながら喉へ脇差を突き刺すと同時に侍の両腕を右腕に抱え込む。侍が手にしていた大刀を右手に持ち、脇差を引き抜きながら足で蹴り後ろへ倒した。
両手に刀を持った。
十市の顔色が無くなっていた。
「お藤に何かしてみろ、お前ら全員、逃がさない」
十市は腰から砕けた。後ろを振り返り、何か言おうと口を動かすが、うまく言葉が出てこないようだった。「お藤、お藤を」なんとか、それだけ言えた。屋敷から男が飛び出してきた。背中に刀が突き刺さっている。十市のそばで倒れた。屋敷から風が出てきた。
お藤を抱いて出てきた。
「誰にも気づかれないようにお藤を助けようとしたけど、武蔵がまた乱暴するから、仕方ない」
安堵したのか親方が後ろへ倒れそうになるのを、寅が抱きとめた。
大声で吼えた。吼えながら右手に持った大刀を十市の頸へ振り下ろした。唸りをあげた刀は十市の頸の付け根でぴたりと止まり、皮一枚を切って血が滲み落ちた。
「この首は預けてやる。大人しく、賭場で稼げ。親方に手を出せば、この首をいただきに来る」
風は新しい着物を親方からもらった。上等な反物で仕立てたらしく、喜んでいた。お藤に、よく似合うと言われ、笑っていた。
笑った顔、かわいいのに。
お藤が言った。
俺も新しい着物を仕立ててもらった。
みんなが見送りに来てくれた。へいじもいた。胸に大きな傷がある。
かっこいい。
そう言って、笑っていた。こ助は泣いていた。
「泣くな」俺が言うと、懸命に涙をこらえた。
「また来る。それまで木刀を振っておけ」
頷くと、涙が一度に零れ落ちた。