舞うが如く 最終章 5~6
しかし、慣れない馬上で上下に揺られているうちに、
咲の体勢が、次第に危うい形になってきました。
馬の首筋をたたいて、青年が馬の歩みを止めます。
「体中に、
それほどまでに力をこめて、
堅くなっていたのでは、乗せた馬のほうがかえって不安がる。
怖ければ遠慮をせずに、馬のたてがみをつかむがよい。
首筋に、しっかりとすがりつけば落ちることもないであろう。
そのほうが、馬も安心をいたすであろう。」
言われた通りに、咲が首筋へしがみつきました。
「工女の、咲と申します。」
「とうに、知っておる。
琴さまの道場では、1,2を争う腕前と聞きおよんでおるが、
なんとまあ・・・河原の石に、他愛いもなく、足をとられているようでは、
まだまだ、修業が不足そのものですね。」
「失礼な・・・」
「私は、根利の集落に住む、俊彦と申す。
これなるは我が愛馬にて、青と呼ぶ、かなり高齢となる老馬です。
もう、青とは、10年以上のつきあいになりますが、
青がその背中に、おなごを乗せたのは初めてのことです。
その初めてのことが、このように綺麗な娘とは、青も、なんとも運が良い。
ところで・・・
ご存知かな、塩原太助の青の話と、
それなる由来の一件を。」
「沼田は、我が生まれ在所にございまする。」
「ほほう、それもまた奇縁なり。
青よ、背中の綺麗な娘さんは、お前の名前が生まれた処の出身だ。
塩原太助を生んだ沼田よりの客人だぞ。
ゆえに、余り揺らすではないぞ、もっと丁寧に歩むがよい。
これっ、馬上のお前!。
お前も、馬上で、そんなに身体を堅くするではない。
お前が力めば力むほど、
青が困って、さらに緊張をいたすであろう。」
「お前にはあらず、私は咲と、申します。」
「なんとまた・・・
礼を言う前に、すねるとは、
工女の質も、地に落ちたようである。
青よ、近頃の娘は、礼儀を知らぬようである。」
「あ、・・・
し、失礼をいたしました。
取り乱したあまりに・・・つい失礼を、申し上げてしまいました。
お恥ずかしいかぎりにありまする・・・」
「よい。
無事がなにより。
わしは、ただの通りがかっただけのことである。
足をくじいたとはいえ、その後のなりゆきで、馬に乗れたのも
お前の運と、器量がなせる技にあろう。
青よ、お前も、運が良いのう。」
「お前には、あらず。
咲と、申し上げておりまする!。」
「ほう・・・なかなかなもんだ。。
美人のくせに、とんでもないはねっかえりぶりだ。
青よ・・・良く見ると、
背中のおなごは、なかなかの、じゃじゃ馬だ。」
「じゃじゃ馬!・・・」
青はゆったりとした歩みのまま、
咲を背中に乗せて工場をめざし、渡良瀬渓谷を下り続けていきます。
高台で詩織をあやしながら、朝の散策をしていた琴が、
街道を見事なまでにゆっくりと下ってくる、この光景を偶然に見つけてしまいました。
「あれ・・・あら?あれは咲ですね。
なんで、お馬なんぞに乗っているのでしょう・・・
馬方は、例の根利の青年みたいですが。
朝からあの二人には、一体何があったのでしょう。
ほうら、詩織 見て御覧。
咲の様子がまるで、お馬に乗った花嫁さんみたいです。
いつも野菊のようだった咲さんが
いつのまにか、私が全然気がつかないうちに
あんなにも可愛い、花嫁さんのような姿になってしまいました。 」
(7)へつづく
作品名:舞うが如く 最終章 5~6 作家名:落合順平