時間移動における矛盾の解消方法に関する考察
<時間移動における矛盾の解消方法に関する考察>
タイムトラベルというのは、誰しも無意識にやっているものである。こう言うと、なんだか「それは違う。そんなわけない」と言われそうだが、決して間違ってはいないだろう。我々は常に「未来」に向かってタイムトラベルをしているのだから。未来は先に見ることができない。だからこそ、人間は手探りで自分の未来を掴んでいく……。
さて、タイムトラベル・時間移動というのは小説の中のSFというジャンルの、そのまた一つにカテゴライズされているのだが、ここで扱うタイムトラベルというのは冒頭で述べたような比喩的なものではなく、このカテゴリーに属するものとする。つまり、時間を飛び越えて移動するものをタイムトラベルとするところから始める。
今回ここに論じていくのは、タイムトラベルにおける「方法論」ではなく、タイムトラベル・時間移動を行った際に起こる様々な問題の分類と体系化についてである。方法論については、その作品の作者がそれぞれ想像力の働くままに創作すればいい。それは無数であり多岐にわたるのだから。
ところで、方法論ではなく時間移動による様々な問題とはいったいどういうことなのだろうか。それにはまず時間というものがどういうものかを整理しておく必要がある。
我々が普段から「時間」と表現し、よく使っているこの概念は、実はよく分かっていない。とにかく時間は止まること無く流れ続ける。そう、時間は「流れて」いるのである。流れるというのは河川のような水が止めどなく流れるというように使われるが、時間というのもこの河川の「流れる」に近い。人が簡単にせき止めることも出来ないし、逆流させることすら出来ない。時間の流れとは、それだけ力の強い現象なのだ。
さらに時間の比喩的な表現として、「進む・戻る」というものがある。これは人間の動作としての「進む・戻る」という表現からきたものだと私は思っているが、ようするに時間は動くものだということである。流れるというのは「動く」ということの限定された動作であるため、つまり時間とは動くものであると言える。
その時間の動きというのは、感覚としては我々が住む三次元空間全体がとあるひとつの方向に進んでいると考えることが出来る。その方向はどこか? とか、その速度は? などと訊かれると、それはぜひ物理学者に訊いて困らせてあげて欲しいと返答するところだが、要するに時間は一定の方向に進み、常に一定速度で移動し続けているということである。これはなかなかイメージしづらいかもしれない。実際には人間は時間の「中」に存在するため、時間の構造というのを認識することは出来ないのだ。
ここでひとつ重要なことがある。それは時間というのは常に一定の速度で一定の方向に進んでいるということである。つまり、時間は遡ることが出来ない、そして時間の速度は変えることが出来ないということである。ここに来て今回の論題と矛盾してしまうのだが、これは現実の話であり想像の世界とは違うものである。なので、想像の世界で時間を移動する分には問題は無い。今回は方法論ではなく、時間を移動したと仮定した上での話だからである。
ここでやっと、上に書いた方法論ではなく時間移動の様々な問題というものの外枠は見えたかも知れない。時間の流れというのは常に一方通行であるため何の矛盾などは起きないのだが、過去や未来に時間を飛び越えて移動すると、それは自然現象から逸脱した行為であるために矛盾が起きてしまう。その矛盾をどうとらえるかという問題である。今回はそれを論じていきたい。
ここで一つ断っておくことがあるのだが、私は物理学やその他諸学問を専攻し学んでいたわけではないため、知識が伴っていないことがある。これはあくまで時間移動を題材とした小説が好きな一介の読書家が、思うままに好きなように書く文章であるため、学問的に時間について研究しているわけではないことを前もって謝罪しておく。
さて、本題に入ろう。いま私は漠然と時間移動などと弄しているが、突然そう言われてもイメージがわかないと思うので、「私」がタイムトラベラーになって考えやすい状況を作ろうと思う。
私はいま道を歩いて家に向かっている。ポケットには家の鍵が入っている。私は家までの道を歩き、何事もなく到着した。家の戸には鍵がかかっていたので、私はポケットから鍵を出して戸を開け、家に入った。時刻は午後三時としよう。
ここで私はタイムマシンを使って数十分前に戻るとしよう。方法はなんでも構わない。例えばキッチンに赴いた私はヤカンの取手に手をかけた瞬間、過去に戻ってしまった……、などでも良い。今回は方法論の話ではないのだから。
私はこうやって過去に戻ってしまった。現在時刻は午後二時四十分。いま私がいるのがヤカンを手に取った場所、つまりキッチンである(往々にして時間移動するとタイムトラベラーは、タイムマシンを起動して時間移動した際の「過去のその場所」に現れる)。私はそれから外に出るために、このままキッチンを抜けて家を出て、鍵を閉めた。ここで鍵を閉めるのは、過去の私が家に帰ってきたときには鍵はしまっていたからである。ここには矛盾がないように状況を合わせておこう。
私は道をたどって歩いていき、過去の私を見つけた。そこで私は、過去の私に見つからないような場所に隠れて、過去の私の様子を伺うことにした――。
これで条件は揃った。私は過去に遡行し、その過去の私はこれから家に帰るつもりで歩いている。
ここで、このややこしい状況をわかりやすくするために、一つの工夫を凝らすことにする。まず、いま過去に遡行してきたこの私を「私N」と名付けることにする。NというのはナウのNである。そして過去の私、つまり今の私――私Nの目の前にいる、帰宅しようと帰路を歩いている私を「私B」とする。もちろん、ビフォーのBである。この名付け方は、私を時間移動というジャンルにいざなってくれた「学校を出よう! ② 谷川流著」をリスペクトしたものである。これを気に興味が出たら、ぜひ読んで欲しい。
さてこの状況をもう一度整理すると、私自身は道を歩いて家に到着し、そこでタイムマシンを発動し過去に遡行した。ここで、遡行してきたほうの私を「私N」で、遡行した過去にいる、いま家に帰ろうとしている過去の私を「私B」と便宜的に名付けた。ここでわかることは、過去の私――私Bはこれから家に着き、鍵を開けて家に入りそのままタイムマシンを起動して過去にタイムトラベルして、いまの私――私Nになるということだ。記号をつけて余計にややこしくなったようにも感じるが、ここまでお分かりだろうか。
ここからが本番である。ここで私Nはアクションを起こす。いまから私Nは私Bから鍵を盗むことにする。盗む方法はなんでも構わない。今回は相手に気づかれない未知の能力で奪うことにしよう。私Nはその未知の能力を使用し、私Bから鍵を盗んだ。いま私Bのポケットには鍵は入っておらず、私Nの手には盗んだ鍵と自分の鍵の二つがある状態である。そして私Bには、鍵が盗られてしまったという自覚は無い。
タイムトラベルというのは、誰しも無意識にやっているものである。こう言うと、なんだか「それは違う。そんなわけない」と言われそうだが、決して間違ってはいないだろう。我々は常に「未来」に向かってタイムトラベルをしているのだから。未来は先に見ることができない。だからこそ、人間は手探りで自分の未来を掴んでいく……。
さて、タイムトラベル・時間移動というのは小説の中のSFというジャンルの、そのまた一つにカテゴライズされているのだが、ここで扱うタイムトラベルというのは冒頭で述べたような比喩的なものではなく、このカテゴリーに属するものとする。つまり、時間を飛び越えて移動するものをタイムトラベルとするところから始める。
今回ここに論じていくのは、タイムトラベルにおける「方法論」ではなく、タイムトラベル・時間移動を行った際に起こる様々な問題の分類と体系化についてである。方法論については、その作品の作者がそれぞれ想像力の働くままに創作すればいい。それは無数であり多岐にわたるのだから。
ところで、方法論ではなく時間移動による様々な問題とはいったいどういうことなのだろうか。それにはまず時間というものがどういうものかを整理しておく必要がある。
我々が普段から「時間」と表現し、よく使っているこの概念は、実はよく分かっていない。とにかく時間は止まること無く流れ続ける。そう、時間は「流れて」いるのである。流れるというのは河川のような水が止めどなく流れるというように使われるが、時間というのもこの河川の「流れる」に近い。人が簡単にせき止めることも出来ないし、逆流させることすら出来ない。時間の流れとは、それだけ力の強い現象なのだ。
さらに時間の比喩的な表現として、「進む・戻る」というものがある。これは人間の動作としての「進む・戻る」という表現からきたものだと私は思っているが、ようするに時間は動くものだということである。流れるというのは「動く」ということの限定された動作であるため、つまり時間とは動くものであると言える。
その時間の動きというのは、感覚としては我々が住む三次元空間全体がとあるひとつの方向に進んでいると考えることが出来る。その方向はどこか? とか、その速度は? などと訊かれると、それはぜひ物理学者に訊いて困らせてあげて欲しいと返答するところだが、要するに時間は一定の方向に進み、常に一定速度で移動し続けているということである。これはなかなかイメージしづらいかもしれない。実際には人間は時間の「中」に存在するため、時間の構造というのを認識することは出来ないのだ。
ここでひとつ重要なことがある。それは時間というのは常に一定の速度で一定の方向に進んでいるということである。つまり、時間は遡ることが出来ない、そして時間の速度は変えることが出来ないということである。ここに来て今回の論題と矛盾してしまうのだが、これは現実の話であり想像の世界とは違うものである。なので、想像の世界で時間を移動する分には問題は無い。今回は方法論ではなく、時間を移動したと仮定した上での話だからである。
ここでやっと、上に書いた方法論ではなく時間移動の様々な問題というものの外枠は見えたかも知れない。時間の流れというのは常に一方通行であるため何の矛盾などは起きないのだが、過去や未来に時間を飛び越えて移動すると、それは自然現象から逸脱した行為であるために矛盾が起きてしまう。その矛盾をどうとらえるかという問題である。今回はそれを論じていきたい。
ここで一つ断っておくことがあるのだが、私は物理学やその他諸学問を専攻し学んでいたわけではないため、知識が伴っていないことがある。これはあくまで時間移動を題材とした小説が好きな一介の読書家が、思うままに好きなように書く文章であるため、学問的に時間について研究しているわけではないことを前もって謝罪しておく。
さて、本題に入ろう。いま私は漠然と時間移動などと弄しているが、突然そう言われてもイメージがわかないと思うので、「私」がタイムトラベラーになって考えやすい状況を作ろうと思う。
私はいま道を歩いて家に向かっている。ポケットには家の鍵が入っている。私は家までの道を歩き、何事もなく到着した。家の戸には鍵がかかっていたので、私はポケットから鍵を出して戸を開け、家に入った。時刻は午後三時としよう。
ここで私はタイムマシンを使って数十分前に戻るとしよう。方法はなんでも構わない。例えばキッチンに赴いた私はヤカンの取手に手をかけた瞬間、過去に戻ってしまった……、などでも良い。今回は方法論の話ではないのだから。
私はこうやって過去に戻ってしまった。現在時刻は午後二時四十分。いま私がいるのがヤカンを手に取った場所、つまりキッチンである(往々にして時間移動するとタイムトラベラーは、タイムマシンを起動して時間移動した際の「過去のその場所」に現れる)。私はそれから外に出るために、このままキッチンを抜けて家を出て、鍵を閉めた。ここで鍵を閉めるのは、過去の私が家に帰ってきたときには鍵はしまっていたからである。ここには矛盾がないように状況を合わせておこう。
私は道をたどって歩いていき、過去の私を見つけた。そこで私は、過去の私に見つからないような場所に隠れて、過去の私の様子を伺うことにした――。
これで条件は揃った。私は過去に遡行し、その過去の私はこれから家に帰るつもりで歩いている。
ここで、このややこしい状況をわかりやすくするために、一つの工夫を凝らすことにする。まず、いま過去に遡行してきたこの私を「私N」と名付けることにする。NというのはナウのNである。そして過去の私、つまり今の私――私Nの目の前にいる、帰宅しようと帰路を歩いている私を「私B」とする。もちろん、ビフォーのBである。この名付け方は、私を時間移動というジャンルにいざなってくれた「学校を出よう! ② 谷川流著」をリスペクトしたものである。これを気に興味が出たら、ぜひ読んで欲しい。
さてこの状況をもう一度整理すると、私自身は道を歩いて家に到着し、そこでタイムマシンを発動し過去に遡行した。ここで、遡行してきたほうの私を「私N」で、遡行した過去にいる、いま家に帰ろうとしている過去の私を「私B」と便宜的に名付けた。ここでわかることは、過去の私――私Bはこれから家に着き、鍵を開けて家に入りそのままタイムマシンを起動して過去にタイムトラベルして、いまの私――私Nになるということだ。記号をつけて余計にややこしくなったようにも感じるが、ここまでお分かりだろうか。
ここからが本番である。ここで私Nはアクションを起こす。いまから私Nは私Bから鍵を盗むことにする。盗む方法はなんでも構わない。今回は相手に気づかれない未知の能力で奪うことにしよう。私Nはその未知の能力を使用し、私Bから鍵を盗んだ。いま私Bのポケットには鍵は入っておらず、私Nの手には盗んだ鍵と自分の鍵の二つがある状態である。そして私Bには、鍵が盗られてしまったという自覚は無い。
作品名:時間移動における矛盾の解消方法に関する考察 作家名:ともひろ