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舞うが如く 最終章 3~4

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 足尾銅山の将来性に悲観的な意見が多い中、
1877年(明治10年)に、古河市兵衛が足尾銅山の経営に着手をしました。
数年間は全く成果が出ませんでしたが、1881年(明治14年)に、待望の有望鉱脈が発見されました。
その後、探鉱技術の進歩によって、次々と有望鉱脈が発見され、やがて、20世紀初頭には
日本の銅産出量の1/4を担うほどの大鉱山に成長をしました。


 産出した銅の多くは、渡良瀬川に沿って山を下り、
扇状台地の付け根にあたる、大間々の宿に運びこまれました。
大間々はまた同時に、周囲の農家などで紡がれた生糸の集散地でもあります。
此処で一泊した銅と生糸は、さらに川船が往来する利根川をめざして、
荷馬車と荷車で銅街道を南に運ばれて行きました。


 しかし急峻な山間部にあたる足尾と大間々の間には、
休むための宿場や宿坊は、ひとつとして作られてはいません。
所々に集落はあるものの、人気のない山道をほぼ1日がかりで歩き切る道中となります。


 その道中に、水沼から工女たちの群れが加わります。
工女のほとんどが「年季奉公」と呼ばれる形態で水沼製糸場にやってきました。
預かった側の水沼製糸場での大切な仕事のひとつは、この「年季奉公」の
少女たちの身持ちと安全を守ることでした。
そんないきさつも含めて、腕の立つ琴や咲たちは、ここでは
「親衛隊」などと呼ばれています。


 時には荒くれ男たちも往来するために、娘たちはことのほかに、
琴や咲たちを頼りにして、なにかにつけて道行きの口実をつくりだします。
そのために、ここだけがいつも大きな集団となり、大行列となってしまいました。




 「運動会」の中でも、とりわけ目立つ規模となり、巷では「琴さまご一行」などと、
もっぱらの評判が立つようになりました。


(5)へつづく