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 そんな僕にデータが提示したのは「奇跡」という紛い物だ。
「嫌です、こんな」
 ロボットが人の心を有するという偉業は幾度かあった。
 だけどそれらは不完全で、偶然の産物ばかりだった。結果、人の心を持ち続けるロボットは存在しない。頻繁なるエラー発生・故障などがあり、その偉業は短い奇跡として持て囃され次なる奇跡を待ち望まれる踏み台となっているだけだ。
 そういった点から見ると、僕自身はその奇跡の作品の一つであると言えるだろう。さらに言えば僕は「実験成功」の上に成り立っている。奇跡だとしても偶然的奇跡ではないのだ。人々が知れば大喜びで、この『C&P』装置に群がるだろう。
 静かな誰もいないこの家で、村で、僕は生まれた最初の奇跡になる。
「奇跡なんかじゃない」
 彼ならこんな感情が渦巻く時には酒とクッションとタオルを用意して泣いていた。咽び泣き、痛み辛みをどうにかしようと目を赤くさせていた。だけど僕には酒もクッションもタオルも必要ない。涙の出ない僕の体は、顔を酷く歪めさせるだけ。
「奇跡なんかないんだ!」
 窓の外で大風が僕の言葉に応える。真っ暗な窓の外が僕の顔を映し出し、声を跳ね返し、ただ僕は叫ぶしか術がない。
「こんな酷い奇跡、あっていいはずがない!」
 残酷な結果が僕を苦しめる。
 僕は生まれてしまって、オオノと生き、そして今や僕がオオノになった。エラーになるには小さすぎる矛盾が次々と生まれ僕のデータを埋めつつ、それでも僕は正常作動してしまっている。僕は叫びをどこで止めるべきかも考えられずに叫ぶ。オオノとして喜ぶべき想いを抑え付ける僕の感情が、大風を荒立てる。それでも静かな“遺体”は僕に何も与えてくれないし、奪ってもいかない。ぬるかった掌はもう冷めていた。もう何もない、ただ形がそこに在るだけで、それも時間をかけて消えていくのだから。
 僕はふらりと立ち上がった。ベッドヘッドに伏せてある写真立てを掴んで、その写真を確認することなく抜き取って、写真立てを壊した。
 叫びは僕を動かし、駆け出させる。部屋を飛び出ると、実験室へと向かった。頭の中にあるのは“最後の目的”だ。握り締めている写真が僕を焦らせる。“最後の目的”が逃げるなんてことはない。だけど、僕は一刻も早くこの現状をどうにかしたい、ただその思いで走った。小さな家の中に響く足音はもう大風を打ち負かしていた。
 実験室の奥。オオノが絶対に僕を入れなかった部屋。命令を忠実に守っていた僕はその部屋に入ろうと思うことはなかった。そうだ、あの時、僕は紛れもなくただのロボットだったからそんなこと思う必要がなかったのだ。でも今は“オオノ”として、そして彼の束縛から放たれたロボットであり、人の気持ちと思考を持てるものとして、今この扉を開くことに躊躇いを持たない。
 音を響かせて開いた扉の先には暗く静かに反響させる空間。そこに眠るのは、愛している女性だ。初めて愛した、愛するには遠いような人。黒い部屋と白いベッドと人形。ふらりと手を伸ばすその壁に触れる直前にふと気付いた。
 エラーを起こしているのかもしれない。
 指先が震えている。そんな指でそっと、震えから僕の不安や恐怖が彼女に悟られるのではないかと怯えながら彼女に触れた。彼女は、とても大きなこの黒い機械に眠る。壁のように塞がる機械は何の光も映さず、僕のシルエットすら飲み込んでいる。ここに彼女の記憶と感情が眠っているのだ。今の僕にオオノが在るように。
 静かに稼働する彼女の熱に触れ、自分自身を正当化してこの夢を叶えようとした己に恐ろしさを覚え、噎せた。泣くことができない辛さは、僕の熱をあげる。
 彼女の法律的な死を認めたくなくて、人としての過ちを侵して彼女を永遠にしようとした。
 彼女の肉体的な死より、精神的な生を取った。
 だけど、例え精神を生かそうとも、僕が彼女を殺したことに変わりはないのだ。
 ずっと見向きもしなかった事実は、どうして? と僕を静かに苛む。そんなの分からない。僕はあの時、ただこれが正しいと思ったのだ。どうしてそう思い、どうしてこんなことになってしまったんだろう?
 あぁ、また“どうして”だ。
 ロボットである僕に、疑問符など必要もなかったし、理解もできなかったのに。
 ―どうしてこうなった?
 ―どうして僕はこんな酷い目に遭うのだ?
 ―どうして僕は造られ、ここにいる?
 全ては答えることができた疑問符であり、今でも答えることができる。でも口に出るのは、頭に浮かぶのは
「わからない」
 という悲鳴でしかない。
 咽び、悲鳴が細く小さく連なる。苦しいのは身体ではなくペーストされた“心”だ。
 人間の心。単純と複雑が掛け算されて生まれた疑問符と矛盾ばかりのモーター。そしてそれはロボットである僕にも作用されることが今、実証されている。
 疲れた心を奮うこともできず、僕の指はゆるゆると緩慢に動く。黒い機械が壁となる部屋の中央に用意された器。部屋の中で唯一光を反射するのは白い移動式ベッド。その上に横たわる黒いドレスの美しい、作品。その作品を白い装置へと僕は運ぶ。スムーズすぎる小さなタイヤが憎らしいほどに回る。
 これが正しいのだと僕は小さく呟いていた。
 作品の黒い髪を揺らして、その首に、頭部にコードを取り付ける。黒く伸びるコードがその髪のように流れ、やはりこの装置は彼女のためにあるのだと微笑んだ。
 黒い機械から白い装置へ、彼女というデータを送る。そしてそれは黒い髪に吸い込まれるように作品にペーストされていく。
 装置に表示されるパーセンテージが百に近づくにつれ、僕は早く、と最後の数字を待ち望み焦れた。


 “僕”は遠くから自分に伝えようとした。
 人は己の業を間違っていると思っても、正しいと思い込んでいても、それを成した後にただ動く。『これが正しいのだ』と自分の過ちや目を伏せたその治らない傷跡を消そうとするのだ。何も間違っていないことを自分に証明してみせるために。
 それは人間である証明なんだよ、と。
 だから僕は、ただこの間違いに見てみぬ振りをしているのだ、最初の命令を実行しているだけなのだ。
 全ては人間であるために―


 僕はただ倖いを得た人として、微笑み、それ以外の感情をフリーズさせたかのように忘れて、彼女に口付けていた。遠くで、黒い機械が永遠の眠りに落ちる音がする。それでも問題はない。オールグリーンの素晴らしい光が僕らの頭上で光っているのだ。
「愛しているよ……俺が分かるか……?」
 開く瞳に、僕が映り、ぼんやりとしたそのあどけない表情に愛おしさが増す。
 そぅっと伸ばされた手を取り、僕の頬へと導けば、彼女はようやく僕を知ってくれた。
「オオノ……?」
 体温というものがない僕の頬と、体温を知ることがないだろう彼女の手は、同じ温度で混ざり合い、これからの二人を物語った。
 罪であろうと、過ちであろうと、もう引き返せないところに僕らはいる。
 泣きたくなったのは言うまでもないが、何の為の涙を流したいのかはわからなかった。僕はもうどうにかなってしまったのだろう。
 そしてこれから純真無垢なるこの素晴らしい彼女を、僕と同じ場所に連れて行くのだ。
「さぁ、行こう。もう全てが幸せだ」
作品名:Cut & Paste 作家名:ニイチ