神様ソウル
「里見、里見!」
いつの間にか眠ってしまってたらしい。顔を上げると目の前に大柄な数学教師が僕の前に覆いかぶさるように立っていた。
「あ、すいません」
「まったく……早く教科書だして」
「はい」
「あと里見、隣の転校生に教科書見せてあげて」
「はい」
僕が準備を始めたのを見て教師は教壇に戻っていった。それと同時に隣の机が僕の机に近づいてきた。僕は教科書を転校生が見やすい位置に移動させた。
「今何ページか分かる?」
「63ページ、って黒板に書いてありますね」
「おお、ありがと……ん?」
この声、聞き覚えがある。ごく最近に。それもすごく嫌な場面でだ。僕はここで初めて転校生の顔を確認した。
「お前!!!」
僕は授業中で教室内が静まり返っていることも忘れ、叫び声をあげて立ち上がった。
「なんでお前がここにいるんだよ!!」
「あ、今日転校してきた茅ヶ崎優花っていいますー。お父さんの仕事の都合で先日この街に越してきました」
「そういうことじゃなくてだな……」
「おい里見……」
教師の声に気付いて周りを見回してみると、教室内の者達全員が手を止めて僕らのやり取りを見つめていた。沈黙とみんなの視線が痛い。僕は軽く頭を下げて椅子に座った。横目で麻倉の様子を確認すると彼女は僕の方を見向きもせず窓の外を見つめていた。
僕は教科書をテミスの机に放り、机を可能な限り彼女から離れた位置に移動させた。
なんでこいつがここにいるんだ。僕の命を狙って転校生のふりをして潜入してきたってことか?わざわざ偽名まで使って?今授業中に襲ってくる可能性はあるだろうか。
昨日の恐怖を反芻しながら考え込んでいると、
「ねぇ」
テミスが小声で話しかけてきた。
「ん?」
彼女のとの距離に注意しながら顔だけ回して反応すると、テミスが小さな体をいっぱいに伸ばして僕の机に小さなメモ用紙を置いていった。
不審に思い彼女の顔を見てみると、
「読、め!」
とメモを指差し小声で命令してきた。メモを手に取り開く。そこには昨日下駄箱に入っていた手紙と同じ筆跡で、
『今危害を加えることはありません。無駄な混乱は招きたくありませんから。昼休みになったら昨日と同じ場所に来て下さい』
と書いてあった。
テミスの顔を見るとぐっと握りこぶしを作ってガッツポーズをしていた。とりあえず今襲われることは無いようだ。とにかく眠い。僕はもう一度眠ることにした。
目を覚ますともう昼休みに入っていた。最近は一度眠りに付くとなかなか起きられないのがちょっとした悩みだ。屋上に向かおう。
「おっそいですよー。もう昼休み終わっちゃいますよ」
テミスは昨日と同じ場所、柵に寄りかかって思い切り仰け反り空を見上げていた。
「ごめんごめん」
「揺さぶっても起きないし。睡眠薬でも服用してるんですか?」
「眠りが深いんだよ。それで、何のようなんだ?」
「私と課長のこれからについてです。色々と事情が変わったので」
テミスは頭を起こし、話始めた。
「えーとまず君の魂を回収することについてだけど。この件に関してあなたはもう心配する必要はないと思われます」
「もう命を狙ったりはしないのか?」
「できないと言った方が正しいですね。無防備な君に私が銃を突きつけているっていう圧倒的に有利な状況を覆すほどの徳の差。これ以上無理をしたら私の命も危ないの」
「そういうもんなのか」
「はいー。かといってそんなに徳の高い方をもう一人呼ぶのも手間なので魂の回収はひとまず保留ということになったというわけです」
「ふむふむ」
保留というのは引っかかるが、しばらくは大丈夫らしい。
「あともう一つありまして。昨晩、君のこれからの扱いについて上から命令が下ったんですよ。それについてです」
テミスはブレザーの懐に手を差し入れた。昨日の拳銃が頭をよぎり僕は身構えたが、引き出されたその手が握っていたのは小さなメモ帳。
「ここからは課長の魂だけでなく、『里見ヒロト』にも大きく関係することだからよく聞いて」
「ああ」
テミスは「よし」と頷いてメモ帳を開き読み上げ始めた。
「えーとね。上に調べてもらったんだけど、あなたの持つ業が通常の人間を遥かに上回るものだったといことが分かったの」
「業?徳の親戚みたいなもんか?」
「そうね。業はその人の魂と体を取り巻いているもので、個人の人生の道筋を決めるものなの。重い業を背負っている人は起伏が激しく分かれ道の多い人生を送ることになる。そしてそこで良い道を選ぶか悪い道を選ぶか、それを決めるのが徳というわけ」
「なるほど……」
「君、昔から事件に巻き込まれることが多かったでしょ?」
「まぁ、確かに……」
他の者達がどんな人生を歩んできたかしらないが、確かに物心付いた頃から僕の周りでは、怪我人が出たり、死人が出たり、何かと事件や事故が多かった。
「心当たりあるでしょ。そして君はそのどの事件においても被害を被っていない。違う?」
それもテミスの言う通りだった。これだけの騒動に巻き込まれていながらも、僕は未だに大きな怪我を負ったことがなかった。
「それが業。君は普通の人よりずっとずっと重い業を背負ってるからそれだけの事件に巻き込まれてきたの。そして一度も被害を受けていないというのは君の徳が高いから。ここまでの話、理解できる?」
「ああ、大丈夫だ」
「その業が君は常人に比べて異常に重い。事件に巻き込まれやすいの。そうすると君と仲が良かったり、多くの時間を君と一緒に過ごす人たちはどうなるかわかる?」
「僕と同じように、事件に巻き込まれる……」
「そう。でも彼らは君ほどの徳は持っていないから事件に巻き込まれた時に悪い結果を引き当ててしまう。不運にもね」
「そんな……」
「業っていうのはね、周囲に伝播するものなの。君の強い業に引っ張られて周りの人も影響を受けちゃうのよ」
「今まで僕の周りの人達が負った怪我はみんな僕の業のせいってことか……?」
「全てとは言わないけど、要因の一つにはなっているわ。まぁそれで君の監視をし、周囲で起こる事故事件の防止に努めよ、という命令が私のもとに下ったというわけ」
「監視……」
「物凄い重みの業だからね。監視役が派遣されてなかったのが不思議なくらい。まったく課長もとんでもないのを寄り代に選んだもんだわ」
テミスは苦笑した。なんだか僕は少し情けないような申し訳ないような気持ちになった。今まで僕の周りで怪我を負ってきた人達。僕はそれが自分のせいだということも知らず平気な顔をして過ごしてきた。
「……僕にもなにかできることは無いかな。手伝うよ」
「ありがたい。そう言ってもらえてうれしいよ。この任務の成功には君の協力が必要不可欠だからね。まーこれからよろしくってことで!」
「おう、よろしく」
テミスが右手を差し出した。僕も手を伸ばしその手を握った。
「そろそろ昼休みも終わりますね。戻りましょ」
「そうだな」
僕らは肩を並べ教室へと歩き始めた。
「そういえばお前なんだよあの名前。茅ヶ崎優花って」